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宗教に関するs_shisuiのブックマーク (42)

  • 日本の神々 - 情報考学 Passion For The Future

    ・日の神々 日のカミの原型とは何かの源流をたどる。日には弥生時代から8世紀の古事記・日書紀成立までの1200年以上のアンドキュメンテッドな豊穣な歴史がある。それが記紀成立時に国策イデオロギーによって大きく変容した。さらに後代の神社神道、国家神道によって改変される過程で古来の要素はどんどんそぎ落とされていった。著者はその歴史の流れを逆流すべく、奄美・沖縄の古い神話からアイヌの神の世界まで、記紀以前の日の神々の姿に関する手がかりを収集して、日の神の原型を追究する。 「日の神の源流をたどってみると、西洋の神にみるような、意志をもち人格をそなえた存在からはなはだ遠いものをカミと呼んでいるいことを知る。居宣長は「可畏きもの」をカミと言った(「古事記伝」)。」 「原初的なカミは非人格的、非意志的であってむしろタマと呼ぶにふさわしいものであった。「霊魂そのものにはそれ程はっきりと思慮記憶

  • 幸福実現党の研究(4)新・日本国憲法試案[絵文録ことのは]2009/08/29

    前文+全16条、十七条憲法とほぼ同じ条文数となる。書籍に掲載された「第2章「新・日国憲法 試案」講義」(コンメンタールだな)も参照しつつ、研究してみたい。ちなみに、講義については大川隆法氏自らが語っている動画がアップされている(幸福実現党|新・日国憲法試案)。 なお、このエントリーはかなり長文なので、結論だけ読みたい方は、ページの下の方を見ていただきたい。 ■幸福実現党の研究シリーズ一覧 (1)新型インフル/(2)オバマ守護霊/(3)ノストラダムス/(4)憲法試案/(5)金正日守護霊/(6)主要政策/(7)活動年表/(8)得票数・率/(9)陰謀説/(10)ゆくえ ■前文 われら日国国民は、神仏の心を心とし、日と地球すべての平和と発展・繁栄を目指し、神の子、仏の子としての質を人間の尊厳の根拠と定め、ここに新・日国憲法を制定する。 講義ではこのように述べられている。 「神仏の心を心

  • 幸福実現党の研究(3)ノストラダムス戦慄の啓示[絵文録ことのは]2009/08/28

    幸福実現党の研究第3回は、オバマ大統領の守護霊インタビューに見られるエスノセントリズムが、実は最近のものではなく、幸福の科学の初期から見られることを検証したい。その題材となるのが、『ノストラダムス戦慄の啓示 人類の危機迫る』と題された大川隆法著・幸福の科学出版 1991年刊の書籍である。 ■幸福実現党の研究シリーズ一覧 (1)新型インフル/(2)オバマ守護霊/(3)ノストラダムス/(4)憲法試案/(5)金正日守護霊/(6)主要政策/(7)活動年表/(8)得票数・率/(9)陰謀説/(10)ゆくえ ■ノストラダムス戦慄の啓示 このの序文と霊示は1991年1月11日の日付となっている。約20年前、まさに「新・新宗教ブーム」のまっさなかに発表された。ところが後に、これはあくまでも「ノストラダムスの霊」が語ったことであり、幸福の科学の考えではない、と主張されるようになる。 もちろん、このが出版さ

  • 幸福実現党の研究(2)オバマ守護霊インタビュー[絵文録ことのは]2009/08/18

    幸福実現党の研究第2回は、幸福の科学がオバマ大統領をどのように見ているのかについて、『オバマ守護霊インタビュー』というブックレットをもとに分析する。これによって、幸福の科学(幸福実現党)の世界情勢のとらえ方が浮き彫りになってくると思われる。 ■幸福実現党の研究シリーズ一覧 (1)新型インフル/(2)オバマ守護霊/(3)ノストラダムス/(4)憲法試案/(5)金正日守護霊/(6)主要政策/(7)活動年表/(8)得票数・率/(9)陰謀説/(10)ゆくえ ■まえおき:憶測メソッド 分析の前に、ちょっと前置きを。私は「憶測メソッド」が大嫌いである。憶測メソッドとは、「あいつならおそらく○○と考えるだろう。仮にそうだとしたら、それはこれこれこうであるからダメである」というような論の立て方である。 このメソッドを使う人は「あいつならどうせこう考えるんだろう」と思いこみ、そうに決まっていると決めつける傾向

  • 幸福実現党の研究(1)幸福の科学と新型インフルエンザ[絵文録ことのは]2009/08/18

    宗教団体「幸福の科学」が「幸福実現党」という政党を結成したというニュースが流れたのは2009年5月末のことだった。そこで、この政党は一体何を目指しているのか、どういう政策を掲げているのかということを知りたいと考えた。 幸福実現党はどのような理念を有しているのか。批判するにせよ賛同するにせよ、まずは知ることだ。自分の価値判断はそれからでも遅くはない。というわけで、まずは彼ら自身の書いていることを読み、そしてどのような思想であるかを把握しようと考えた。第三者の分析より、まずは彼ら自身の言葉を彼ら自身の解釈で理解する必要がある。結論から言えば、幸福実現党は極めてエスノセントリズム的であった。 この幸福実現党の政策を踏まえた上で、現在の世論の趨勢に加え、さらにその選挙戦略(ドクター中松の擁立、出馬するしないが二転三転している状況など)を考えると、幸福実現党はおそらく一議席も獲得できずに終わるだろう

  • [書評]イスラムの怒り(内藤正典): 極東ブログ

    もう15年ほど前になるが私がトルコ旅行をした後、内藤正典のトルコ滞在記「トルコのものさし日のものさし」(参照)を読み、自分と同世代で、普通のムスリムの生活をやさしく見つめるこの論者に関心を持ち続けてきた。近著「イスラムの怒り(内藤正典)」(参照)も、普通のイスラム教信者の視点から、西洋が彼らに浴びせる非難について、イスラムの心がどう受け止めているのかをわかりやすく解き明かしている。 特に書名が暗示するように、普通のイスラム教信者が、異教徒の言動の、どこに怒りを覚えるのかという問題に重点が置かれている。日が今後、対外労働者をどの程度まで入れていくのか現状では不明だが、世界最大のイスラム教国インドネシアとの人的交流が活発化するなか、同書で述べられているイスラムの「常識」は普通の日人も理解したほうがよいだろう。できることならイスラム教と限らず、異文化における生活人の思考様式のごく常識的な部

  • 新興宗教サイエントロジーをめぐるネット上の情報戦 | WIRED VISION

    前の記事 全天候型スピーカー『Rock』シリーズ 次世代低燃費車レース『X PRIZE』の、ユニークな車たち 次の記事 新興宗教サイエントロジーをめぐるネット上の情報戦 2009年6月22日 Ryan Singel 街頭で、サイエントロジー教会に対する反対運動を行なうAnonymousメンバー。「なぜ救済のために金を払うのか」と書いている 米国の新興宗教団体『サイエントロジー教会』(Church of Scientology)は、新しいサイト、衛星放送ネットワーク、37のケーブルテレビ局、さらにはワイアード・コムを含むサイト広告展開など、数百万ドル規模のメディア・キャンペーンを展開中だ。 代表的な動画では、次のように述べている。「あなたとは、あなたの名前ではない。あなたとは、あなたの仕事ではない。(中略)あなたは恐怖ではない。あなたは希望なのだ。(中略)決して滅びることのない魂なのだ。(中

  • 仏陀―その生涯と思想 - 情報考学 Passion For The Future

    ・仏陀―その生涯と思想 「この人を見よとわたしはいう。なんとなれば、ここにわたしどもが考えうるかぎりの、最高の人間像があるからである。」初期の経典や史実を紐解くことで、偶像としての虚飾を排し、一人の人間としての仏陀の実像に迫った、高名な仏教学者の傑作。 著者は人間の理想像としての仏陀を正確にとらえようとする。そのために阿含部と呼ばれる仏教の最初期の教典に重きを置いて、修飾されない仏陀来の姿を再現する。たとえば仏陀は誕生したとき「天上天下唯我独尊」と言ったのは後生の作り話だし「生まれによりて聖者になるのではない」ことが仏陀の真の偉大さなのだと教える。 生誕から出家、最初の説法、有名な山上の説法、伝道の長い旅、祇園精舎、最後の説法、入滅まで、人間としての仏陀の生涯を代表的エピソード単位で追いかけながら、それぞれの教えの来的な意味を著者が解説している。仏陀を偉大に見せるためのお化粧を、初期教

  • ハワイ伝統の秘法「ホ・オポノポノ」は幸せを呼ぶか?――イハレアカラ・ヒューレン博士

    ハワイ伝統の秘法「ホ・オポノポノ」は幸せを呼ぶか?――イハレアカラ・ヒューレン博士:嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/4 ページ) 嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?: 「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。 連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。 現代のようなストレスの強い時代に生きていると、仕事であれ、プライベートであれ、人はさまざまな悩みを抱えがちだ。「何で自分だけこんな目にあわないといけないの

    ハワイ伝統の秘法「ホ・オポノポノ」は幸せを呼ぶか?――イハレアカラ・ヒューレン博士
  • キリスト教と文学 - finalventの日記

    増田海外の文学作品を聖書の理解なしに読める? 私の場合、どういう運命か、先の世の契りや深かりけむか、10代後半から20代前半に、それなりに聖書を読んだ。よく読んだ部類ではないかな。それ以降も読むか。共同訳は全然なじめないし、あれだったら、自分の聖書理解はかなり違ったか。 そういえば、ひょんなことでコイネグリークまで勉強して、気になる部分は原典でたしかめもしたものだった。 若いころは、当然、信仰とか生き方に関連していたが、だんだんその思いは抜けてきている。日人にありがちな「キリスト教を卒業した」とかでは全然なくて、なんというか、長くなじんでそれが自分になっている以上どうしようもない。 で。 聖書というのは、ある若い時期、人生への刻印として読むという経験がないと、わからないものではないかなとは思う。わかれともまるで思わないが。ある程度、わかるという感じがつかめると、ああ、そういうことかとい

    キリスト教と文学 - finalventの日記
  • 浄土真宗系の成り立ち:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

    http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/prog/1218490874/ 221 おさかなくわえた名無しさん sage New! 2008/09/07(日) 01:11:17 ID:Oy8wBgQj >>141 浄土真宗系のできかたって、いかにも日的だと思うんだよなー。 仏教開祖のお釈迦様が、当時の日の思想的エリートが導き出したこの結論を見たら モニタに茶を噴くのは間違いないと思う。w 比叡山で修行した法然。→浄土宗 「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日人的謙遜) 働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。 でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。 はらたいらさんどころじゃないよ。「あ

  • 日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで - 情報考学 Passion For The Future

    ・日語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで 「日の古代信仰のもっとも中心的な課題は、霊魂の観念であり、それも遊離魂よりはむしろ霊力、呪力の観念であるが、日の学界ではこの種の霊魂観念に関する問題意識が乏しく、そのために呪術・宗教のもっとも基的な概念である「神聖」ということも、清浄なことと解して疑うことなく、賀茂祭のミアレ木や阿礼幡など、各種の儀礼に用いられる呪物も、神の依代だとする誤解が常識化している」 著者は古代の儀礼、神話、歌を資料として、霊魂と呪物・呪術に用いられた言葉を分析し、古代人の宗教意識を解明していく。最初に取り上げられているのは霊魂(タマ)の観念の分別である。古代語には呪力霊力(マナ)を表すタマと、遊離霊としてのタマがあるという話。 魂という言葉はタマシヒ(タマ=霊魂、シ=の、ヒ=霊力)からきている。平安の頃の用法ではタマシヒは霊力であり霊威であり、生まれつきの

  • 日本人の原罪 - 情報考学 Passion For The Future

    ・日人の原罪 二人の学者が神話と昔話の分析によって日人ならではの罪悪感について考察する。 著者は日神話と昔話に特徴的な「見るなの禁止」とそれに伴う罪と恥の意識に注目した。 たとえば「鶴の恩返し」では女が鶴の姿になって機織りをしている姿を、見るなと言われていた男がのぞいてしまう。古事記では死んでしまったイザナミを迎えに夫のイザナキが根の国を訪れるが、のぞくなと言われていたのにの腐敗した醜悪な姿を見てしまう。男が見るなの禁止を破ると女をはずかしめ傷つけることになり女が去っていく。 「「愛しい」の語源は「痛しい」だと言うが、愛する者が、私たちのために死んだ、あるいは傷ついたとすれば、それはじつに痛いことである。私は、国々や神々を産んで死んだイザナミとは、男性的自我にそういう痛い罪意識をひきだす存在であり、人間のために殺されたキリストに匹敵するものだと思う。ゆえに、この罪は「原罪」と呼ぶ

  • 節分の謎: 極東ブログ

    節分である。私は節分行事にはほとんど関心がない。豆をまくのにはなんか由来があるのでしょ、くらいな認識。恵方巻に至っては、そんなもんほんとにあるんかいな知らんなくらい。しかしなぜ関心がないかというと、うまく直感に結びついてこないからだ。背景がわからないというのもある。背景というのは中華圏とのつながりのことだ。そこがわからない。そこがわからないとバレンタイン・デーのチョコレートのような偽物感がある。 中国とのつながりは道教とのつながりといってもいい。私は日文化風土はざっくり言えば道教だと思っている。なにより葬式そのものが道教(儒教)だ。しかもこれは近世になって入りこんだ。靖国神社も道教でしょと思う。だから韓国中国は気にするのだろうけど。 日の古代も道教の世界だし中世でもそう。そして近世でも、と、時代時代に道教が入り込んで日の民俗が形成されている。つまり日というのはやや特殊ではあるけ

  • 三位一体論

    野葉暮四郎・ポントス警部の痛快キリスト教!! (第三話)三位一体論 目次 1.    内意 2.内意があることが分からなくなる 3.並列ではなく重層的 4.神の右手に座る 5.真理の外観 6.アブラハムの見た三人の天使 7.エロヒーム文書 8.アタナシウス信条 9.使徒的教会、原始キリスト教会 10.ギリシャ正教 11.それは多神教 12.救う信仰 13.三位一体説の影響 14.ホトトギス 15.他の証言 あとがき 1.内意 ポントス:ところで野葉さん、従来の三位一体説は誤りだというのは分かったのですが、なぜ現在これほど三位一体説が信じられるようになったんですか? 野葉:うーん、私も正式な三位一体論を勉強したことはないので・・・。ただいくつかその論拠とするところはあるようです。 ポントス:と、おっしゃいますと? 野葉:やはりまず第一にそれは「父と子と聖霊」という表現から来ているのだと思い

  • お盆の起源は仏教ではなく、中国儒教と日本アニミズムの混交[絵文録ことのは]2008/08/16

    では、夏に「ご先祖様が帰ってくる」として「お盆」の風習がある。このときには、先祖のお墓参りを口実にして実家に帰省するのが日の風習となっている。 そして、お盆というのは『盂蘭盆経』というお経がもとになっている仏教の風習だと思っている人が多い。確かに語源はそうなのだが、この『盂蘭盆経』というお経自体が中国で儒教道徳の影響のもと作られた偽経であり、「お盆」という風習はさらに日古来のアニミズム信仰が混じって成立した、お釈迦様とは何の関係もない風習なのである。 日では儒教道徳の影響を受けて、「親孝行」は無条件に「善」であるとされることが多いが、仏教にはそのような思想はない。また、死んだ人は49日の間に次の世界に生まれ変わるため、「先祖霊」「先祖供養」とか「水子霊」といった発想は仏教のものではないのである。今の日仏教が「先祖供養」「水子供養」を商売にしているのは、来の仏教とはかけ離れた行

  • 『聖☆おにいさん』Tシャツ文字のモトネタ一覧[絵文録ことのは]2008/07/28

    第2巻が出たばかりの中村光『聖☆おにいさん』が面白すぎる。Tシャツにジーンズ姿で、立川での下界バカンスを楽しむブッダとイエス。 宗教に限らず原典・原点が大好きで、一部の人には「何に対しても原理主義的」とまで言われてしまうわたしが(多少細かいところには目をつぶりつつ)大爆笑しているのがこのコミックである。とにかく面白い。特にモトネタを知っているとたまらないところが多数である。 さて、この話、毎回二人が白Tシャツやセーターやトレーナーに手書き風文字(うち3割はブッダの手作りシルクスクリーン)で登場するのだが、この文字がまたマニアックなのだ。今回は、コミック2冊分のTシャツのモトネタをまとめてみた。

  • イエスの話。 - 備忘録ことのはインフォーマル 2008-06-29

  • アインシュタイン、宗教は「子供じみた迷信」 ユダヤ教の選民思想も否定

    ロンドン(London)でオークションにかけられる、ドイツ生まれの米理論物理学者アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)の手紙(2008年5月14日提供)。(c)AFP/Bloomsbury Auctions Press Office 【5月16日 AFP】神への信仰は「子どもじみた迷信」、ユダヤ人は「選ばれし民」ではない――ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)が宗教観をこのように表現した手紙が15日、ロンドン(London)で競売にかけられた。 古書類競売業者ブルームズベリー(Bloomsbury)が13日明らかにしたところによると、アインシュタインの手紙は1954年のもの。「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたも

    アインシュタイン、宗教は「子供じみた迷信」 ユダヤ教の選民思想も否定
  • チベット的癒しの話: 極東ブログ

    虐待されているチベットの人のことを思いながら書棚のを手にとって少し考えた。まとまった話ではない。雑談がてらに。 以前も少し触れたけど、ダニエル・ゴールマンが編集した「心ひとつで人生は変えられる」(参照)は、ダライ・ラマを交えた、「こころはからだを癒すのか」というテーマの討論会のまとめだ。この中で、心の傷を負ったチベット人の話が出てくる。ちょっと読むと、ダライ・ラマの意見はあっけらかんとした印象がある。 ダライ・ラマ 強制収容所に長くいたチベット難民は、収容所の体験が貴重だったとよくいいます。そこは最高の精神修行の場だったと。チベット人の場合、トラウマがこころに深い傷を残すいうことは珍しいんじゃないかな。その道の専門家にインタビューしてもらえばおわかりになると思うが、チベット難民はほかの難民とは違うと思いますね。 ダニエル・ゴールマン 彼らは悪夢に苦しまないんですか? ほかの拷問体験者みた