「ほぼ日」が3日間だけの商店街をつくります。この日のためにあつめたものが買えるお店がならび、「食べてみたいなあ!」と思うごはんが食べられる食堂があって、もちろん、ぶらぶら歩くだけでもたのしくて。ウエブをとびこえた、あたらしい「ほぼ日」の挑戦です。
チョコレートは甘い。 そう思われています。 苦くもある。 小さい頃には苦くないミルクチョコレートしか食べられず、 大人になるにしたがって、 チョコの苦味がおいしく感じるようになった。 けれど甘いモノを食べたいなぁ‥‥、と思ったときに 思い浮かべるお菓子の中に必ずチョコが含まれる。 つまり、やっぱりチョコレートは甘いのです。 ボクだって、ちょっと疲れたと思うと チョコレートを舐めたり、齧ったり。 体の疲れは血も滴るような肉の塊に 食らいつくことで癒されるけど、 疲れたココロを癒すには、チョコの苦味と甘みがウレシイ。 チョコレートは甘い食べ物だったのです。 「だった」と過去形になってしまったのは、 とある「特別な」チョコレートを食べてしまったから。 カカオ100%。 まじっ気なしのチョコレートを手に入れて、 それをそっと口に含んでみたのです。 香りはあくまでチョコのそれ。 焦げたような、奥行き
男はにおいがしないのが潔かったんだけど、 でもにおいがしない人間なんてありえない。 そうするとたとえば 自分の生活臭とか体臭とかいうものを 味方につけながら自分のにおいを作りあげていく、 っていうのはもう、日本の男の最後の挑戦よね。
糸井 宮本さんは「クリエイティブフェロー」という 役職になったんですよね。 宮本 そうです。 といっても、仕事がまったく変わったわけではなくて、 まずは、じぶんのやりたいことをやって、 あとは、ひとつひとつの現場を見るというよりも、 うまくいってないところを見つける、という感じで。 糸井 いままでやってたことと似てはいますよね、きっと。 宮本 似てますね。 じつは、この新しい組織の体制というのは、 急にできたわけではなくて、 ここ何年か取り組んでたことなんですよ。 もともとは、 岩田さんといっしょにつくったものなんです。 まぁ、その中軸に岩田さんがいましたから、 そこは大きく考え直しにはなったんですが、 全体の切り替えというのは、 わりとすっきりと進みました。 糸井 簡単にいうと、若いチームが のびのびとつくっていくかたちになるのかな。 宮本 そうなるといいと思ってます。 やっぱり、30代
<Only is not Lonelyについて> 今回は、また、長いです。 全部で240行あります。 「ほぼ日」のサイトにはじめてきた人に、 なにか、言葉を目に入れてみたかった。 しばらくの間は、 「It's getting better all the time」と書いてあった。 それを憶えている人は、相当な「ほぼ日」ファンだね。 ぼく自身でも忘れかけていたくらいだもの。 その時は、 「ま、いまはこんなものですけれど、 だんだんよくなるはずですからお楽しみにね」くらいの、 言い訳も兼ねたご挨拶として掲示したのでしたが。 そのうち、いつまでも「だんだんよくなる」と 言い続けるのって芸もないし、 なんとなくだらしない感じもするよなぁ、と思ってね。 それに、このフレーズって、 ビートルズの曲名のそのまんまパクリだしね。 借り着みたいで落ちつかなかったんだよな。 で、考えてみたら、ぼくはコピーラ
今回、「ほぼ日」乗組員有志が向かう先は、 コズフィッシュ。 親しみ込めて「そぶちゃん」とお呼びしている、 日本が誇るグラフィックデザイナー、 祖父江慎さん率いる事務所です。 さて、なぜ、コズフィッシュを 訪問することになったのでしょうか。 それは、糸井重里が、 あるミーティングで、こう発言したからです。 「おまえたち、 祖父江さんのところに行って、 祖父江さんを見てくるといいよ」 さらに、なぜ、糸井重里が このように発言することになったのかというと、 それはたまたま、 2010年4月22日から松屋銀座で開催される 「ゴーゴー・ミッフィー展」の 祖父江さんによるグッズデザインのアイデアラフを 糸井が拝見する機会があったからです。 こちらが、そのアイデアラフのコピーです。 肉筆で書かれた、あふれて出たような、 たくさんのアイデア。 めくってもめくっても たのしくかわいくうっとりするような思いつ
岸田さんの隣に、服部研究室というのがあって、 そこへ最終的に入ったんですけれど。 和光に行ってこのまま就職したら 何やって飯食っていくのかなと思ったときがあったんです。 うちの兄貴は東大出て弁護士になって 「それに比べて弟さんは・・・」 なんて周りに言われながら、その状態のなかで 「待てよ」 と思って……。 当時秋葉原をうろうろしていたときに Apple-IIというマシンが、あったんですね。 マッキントッシュの前のもので当時78万円したんですよ。 それが今あるものの機能で言うと、 ファミコンのなかに入っているのと同じ構成ですね。 初代のファミコン、エンジとクリームのコンビの、 だいたいあれと同じ程度。 そのApple-IIが、アメリカの サンノゼで開催されていた 「ウエストコーストコンピュータ・フェア」、 そこに出展されたんです。 見学に行った僕が、そこで バコーンと頭を殴られたような 衝
第1回 黄金の次は、わびだと思った。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ かつて、あるカメラマンを紹介したおぼえがあります。 助手をやっていた彼が独立したときに、有り金はたいて、 インスタントラーメンを買い込んだという話。 「これで、食う心配をせずに仕事ができる」という。 ある意味ではまちがった考えなのでしょうが、 やっぱり、こういう話は、聞いて気持のいい青春物語です。 本人はごく自然にやっているらしいんだけど、 周囲のぼくらみたいな平凡な人間は、息をのんでしまう。 そう、十文字美信さんのことです。 こんどの写真集は、『わび』(淡交社)というんですよ。 この人、また、とんでもない世界を相手にしはじめた! おそらく、美的センスというものの正体を 捕まえたくなったのではないかと思うのです。 またまた、ぼくは恐れ入ってます。 (2002年12月8日の「ほぼ日」
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 おれは生きる、という発想。 2009-02-02 いまみたいに景気がわるくなってきたり、 いろんな循環がうまくいかなくなってくると、 「どうしたらいいんだろう」ということを、 考えることも多くなる。 もともとぼくは心配性だから、 しょっちゅう「どうしたらいいんだろう」なんてことは、 考えてばかりなんだけれど、 いまみたいな状況になると、 あんまり心配性じゃなかった人も、 もともと心配性だった人も、 どっちもが「どうしたらいいんだろう」と、 考えるようになる。 心配性については、 他のこととちがって、 ぼくは大先輩だから、 ある程度は、先輩ぶったことが言える。 と言っても、あんまりたくさんは言えない。 心配のタネというのは、人によっていろいろだ
第22回 コンピュータは怖くなかった。 二度ほど臨時の原稿を書いてしまったので、 第18回の続きが唐突に出てくることになってしまった。 前回は、コンピュータのことを、 やや斜めに見ていたぼくの前に、 「HAL研究所」の岩田さんが登場した というところまでだった。 「MOTHER2」というゲームづくりが 行き詰まっている所に、岩田さんの登場は、 まるでスーパーヒーローのようだった。 いまではしょっちゅう会っている人なので、 いまさら彼をほめたりするのは難しいのだが、 ぼくの「脱線web革命」を語るためにはしかたがないのだ。 「MOTHER2」は、岩田さんの「見積もりどおり」に、 ドタバタしながらも完成した。 期待や不安を、おろおろしながら語り合うよりも、 「いまある現実」を、正確に把握して、 次にやるべきことを、ひとつづつ積み上げていく。 この当たり前のシステムを、 実際に組み上げて確実に実
ぼくは「下ネタを否定してはならない」と つねづね、思っているんですが、 「それ、NGだよな‥‥」って下ネタも ほっといたら、出てしまうじゃないですか。
ああ、日テレ55周年の特番で ごいっしょさせていただきまして。 ※この対談は、糸井重里も出演した 特番『タモリ教授のハテナの殿堂?』放送直後に おこなわれました。
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