タグ

地震と津波に関するsarasaneのブックマーク (10)

  • 大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月明らかになった真実、隠され続ける真相とは

    気象キャスターや番組ディレクターを経て、取材者に。防災、気象、対話、科学コミュニケーションをテーマに様々な形で活動中。「気象サイエンスカフェ」オーガナイザー。最新著書は、ジャーナリストの池上正樹氏との共著『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。『ふたたび、ここから―東日大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)でも写真を担当し、執筆協力も行っている。他に、共著で『気象予報士になる!?』(秀和システム)。最新刊は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。 ブログ:http://katoyori.blogspot.jp/ 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ 東日大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない「惨事」について、震災から1年経った今、これまで伏せられてきた“真実”

  • 「早く、早く高台に逃げて下さい!」 命懸けの避難呼び掛けで津波の犠牲になった女性職員、教材に

  • 津波にのまれたドイツ人一家救助 命の恩人見つかる←日本人凄すぎワロタ

    ■編集元:ニュース速報板より「津波にのまれたドイツ人一家救助 命の恩人見つかる←日人凄すぎワロタ」 1 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) :2011/08/30(火) 19:15:16.46 ID:BD5kdXBa0 ?PLT(12106) ポイント特典 宮城県多賀城市内で東日大震災の津波にのまれたドイツ人一家が、救助してくれた人を探しているとの記事が17日付河北新報朝刊に掲載され、この人は東松島市の自営業庄司武志さん(38)と分かった。自らも車ごと津波に流されたが、冷静な判断と機転で一家を救った。庄司さんは「当然のことをしただけ」と話している。 ドイツ人一家はユルゲン・シュピールベルクさん(72)、(67)、娘(33)の3人。3月11日の震災当日は国内を旅行中で、多賀城市内で乗っていたタクシーごと津波に巻き込まれた。 庄司さんはあの日、仕事先の仙台市内で地震に遭った。

  • これはすごい。神社が、大津波の浸水域に沿って見事に建てられ、警告していた事を示すドキュメンタリー : 座間宮ガレイの世界

    8月20日にTBS「報道特集」で放送された特集です。神社が津波の浸水域に沿って建てられていることが説明されています。過去の大津波の際の被害を伝えるために、神社が津波の危険レベルを示すモニュメントとなっていたことを示しています。私たちの先祖が津波に対して様々な方法で警鐘を鳴らして、後世に伝えていたことがわかる貴重なドキュメンタリーです。 この動画は、このブログの「情報提供エントリー」のコメント欄にて教えていただきました。ありがとうございました。みなさまもどしどし情報をお寄せください。 動画 20110820 原発建設 警告は無視された? 投稿者 PMG5 いかがでしたでしょうか。私は胸を打たれました。惨たらしい大量死を回避するために、過去の賢人たちがあみ出した方法が、神社を浸水域に沿って移設することだったのです。これは「知恵」や「教訓」といったレベルのものではなく、藩をあげての具体的な災害対

    これはすごい。神社が、大津波の浸水域に沿って見事に建てられ、警告していた事を示すドキュメンタリー : 座間宮ガレイの世界
  • 【九死に】津波のエピソード【一生】

    ■編集元:緊急自然災害板より「【九死に】津波のエピソード【一生】」 1 名無しさん@お腹いっぱい。(東京都) :2011/05/11(水) 22:03:45.24 ID:GH2UEMLQ0 名無しさん@お腹いっぱい。(東京都) :2011/05/12(木) 00:39:40.16 ID:ysC/ua6S0 名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ 石巻・女川の震災被害 被災地へ医療スタッフとして行ってきました。 短い間でしたが貴重な体験となりました。 4 名無しさん@お腹いっぱい。(北海道) :2011/05/12(木) 02:14:27.02 ID:pUIUqriQ0 南三陸 海 山 川! 5 名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府) :2011/05/12(木) 20:02:28.77 ID:vbuHs7ko0 【嘘の様なほんと話】床板1枚、夫婦で川を逆流7キロ 津波から

  • http://nureinu.net/archives/3460557.html

  • 津波を生き残った児童 「先生が大丈夫だと言うので校庭でたき火してたら津波がきて皆死んだ」

    ■編集元:ニュース速報板より「津波を生き残った児童 「先生が大丈夫だと言うので校庭でたき火してたら津波がきて皆死んだ」」 1 名無しさん@涙目です。(長屋) :2011/06/03(金) 21:17:22.27 ID:LKHEKFVV0● ?2BP “避難まで30分校庭待機” 巨大な津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている宮城県石巻市の大川小学校で、児童らは教員に先導されて高台に避難を始めるまで、およそ30分、校庭で待機していたことが明らかになりました。 津波に飲まれながら奇跡的に助かった児童がそのときの様子を語りました。 石巻市の大川小学校は2階建ての校舎を超える高さの津波に襲われ、全校児童108人のうち、68人が死亡、6人が行方不明になっており、学校や教育委員会は当時の様子について、助かった児童や教員などから聞き取り調査を進めています。 こ

  • 「陸には山津波、どこに逃げても災害は追いかけてくる」【岩手・花巻発】

    今回の大津波で真っ先に思い出したのは今から75年も前の尾去沢の大惨事(注)のこと。鉱山の沈殿貯水池が決壊し、多くの人が死に家も流されてしまった。お父さんも鉱員だったが、住んでいた長屋が高台にあったので無事だった。東京で号外が発行されるほどの大ニュース。縄でつながった親子6人の遺体もあった。「バラバラになって死ぬより、一緒に…」と互いを固く縛りあったのだ。大人たちがそう話していたのを覚えている。その時、私は16歳だった。 大槌出身の市右衛門さんと結婚したのは26歳の時。戦時中、神奈川県の軍需工場に徴用され、飛行機の部品を作っていた。満期になって秋田に帰る途中、汽車の中で北支(中国東北部)の戦地から一時帰国した市右衛門さんと一緒の席になり、その場でいきなりプロポーズされた。夫は戦後漁師になり、日海でのイカ釣り漁やイルカの突きん棒漁で生計を立てていた。それが58歳の時、体調不良のまま漁に出よう

    「陸には山津波、どこに逃げても災害は追いかけてくる」【岩手・花巻発】
  • http://nureinu.net/archives/3216085.html

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

  • 1