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災害と昭和に関するsarasaneのブックマーク (7)

  • 38豪雪の写真集は別のページに移動しました(ジオテクサービス)

    【お知らせ】 Wiki外部リンクの「38豪雪の記録写真集」URLが変わりました(2020年07月) 下記URLをクリックして表示するにか 改めて「38豪雪 ジオテク」で検索してください。

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  • 「陸には山津波、どこに逃げても災害は追いかけてくる」【岩手・花巻発】

    今回の大津波で真っ先に思い出したのは今から75年も前の尾去沢の大惨事(注)のこと。鉱山の沈殿貯水池が決壊し、多くの人が死に家も流されてしまった。お父さんも鉱員だったが、住んでいた長屋が高台にあったので無事だった。東京で号外が発行されるほどの大ニュース。縄でつながった親子6人の遺体もあった。「バラバラになって死ぬより、一緒に…」と互いを固く縛りあったのだ。大人たちがそう話していたのを覚えている。その時、私は16歳だった。 大槌出身の市右衛門さんと結婚したのは26歳の時。戦時中、神奈川県の軍需工場に徴用され、飛行機の部品を作っていた。満期になって秋田に帰る途中、汽車の中で北支(中国東北部)の戦地から一時帰国した市右衛門さんと一緒の席になり、その場でいきなりプロポーズされた。夫は戦後漁師になり、日海でのイカ釣り漁やイルカの突きん棒漁で生計を立てていた。それが58歳の時、体調不良のまま漁に出よう

    「陸には山津波、どこに逃げても災害は追いかけてくる」【岩手・花巻発】
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  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地

  • 三陸の津波後に建てられる石碑類について、NHKの2006年番組から聞き書き PE2HO

    Author:Betelgeuse Amazon画像いじり、クレイモア(漫画)、アインハンダー(ゲーム)などについてだらだらと続けるブログ。 その他、タクティクスオウガネタ、動植物ネタ、時事ネタ、宮城県・仙台ネタなども扱います。 はてなアカウント、fc2のこのブログ、twitterでおもに活動しています。それ以外のbetelgeuseさん達は同名の別人。HUMANオス。 Amazon.co.jpアソシエイト カテゴリー 未分類 (15)リンクや感想など (4)Amazon (107)雑記 (154)クレイモア (41)はてな (4)インスタントストア (5)PHSなど (11)PSP(PlaystationPortable) (13)アインハンダー (48)ニコニコ動画・YouTube (126)動植物 (117)事件・事故・単語などのメモ (261)コミック・ライトノベル (35)ゲーム

  • 放射性物質にさらされた世代 - 続・たそがれ日記 - 楽天ブログ(Blog)

    放射性物質にさらされた世代 [ 東北大震災・福島原発事故関連 ]     3月21日(月・祝) 18日から19日にかけて、群馬県と栃木県で放射性物質セシウム137が検出された。 数値は、1日1平方mあたり、群馬で84ベクレル、栃木で62ベクレル。 平常時の1200~2100倍に相当する。 翌日には、それぞれ63、45に下がった。 明らかに12日~16日にかけて福島第一発電所で連続的に起きた爆発・火災事故に原因する飛散と思われる。 「史上最悪の原発事故」と言われるチェルノブイリ発電所事故の直後の1986年5月に、茨城県で月間130ベクレルを観測しているので、それ以来の異常な値。 ところで、もうすっかり忘れられているが、日人が大量の放射性物質にさらされた時代が、かってあった。 それは、1950~1960年代。 この時期、アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、フランス、中華人民共

  • asahi.com(朝日新聞社):「日本一の防潮堤」無残 想定外の大津波、住民ぼうぜん - 社会

    住民たちが「日一」と自慢していた津波防潮堤。右側奥は壁が破壊されていた=岩手県宮古市田老地区、吉村写す    「日一の防潮堤」「万里の長城」――。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。だが、東日大震災の未曽有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。「今後、どうやって津波を防いだらいいのか」。住民たちはぼうぜんとしている。  「津波は堤防の倍くらい高かった」。防潮堤の近くに住んでいた漁師小林義一さん(76)は顔をこわばらせて振り返った。11日の地震直後、いったん堤防に避難した。だが、山のような津波が海の向こうから押し寄せてくるのが見えたため、急いで丘に駆け上り、難を逃れた。自宅は押し流されて跡形もない。  小林さんは「防潮堤は安心のよりどころだった。『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか。堤をも

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