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2017年7月1日のブックマーク (2件)

  • 鉄道トリビア(203) 富士急行「富士山駅」が行き止まり型の駅になった理由

    富士山の世界文化遺産への登録がほぼ確実になったという。鉄道ファンにとって、富士山への交通手段といえば、まず富士急行が挙がるだろう。「世界文化遺産への登録が確実」との報道が流れるや、同社の株価もストップ高になったほどだ。 富士急行は山梨県を中心に鉄道とバスを運行している。富士山観光の拠点となる駅は、かつて「富士吉田駅」という駅名だったが、2011年に「富士山駅」へと変更され、水戸岡鋭治氏のデザインでリニューアルされた。 富士急行の鉄道路線は、JR東日の中央線と接続する大月駅から河口湖駅までの約26km。富士山駅はその中間駅だが、なぜか行き止まり型だ。ほとんどの列車は大月駅から河口湖駅まで運行されるので、富士山駅でスイッチバックすることになる。 たとえば、大月駅から「フジサン特急」のパノラマ展望車に乗り、前面展望を楽しんでいると、富士山駅からは最後尾になってしまう。「フジサン特急」には逆向

    鉄道トリビア(203) 富士急行「富士山駅」が行き止まり型の駅になった理由
  • 富士山麓お馬啼く

    1889(明治22)年2月1日、富士山を間近に望む御殿場の街外れ新橋(にいはし)地区に東海道線の御殿場停車場が設けられ、東京や静岡方面へと向かう汽車が走り始めました。 当時、富士登山の街として賑わっていた御殿場は、これにより周辺地域への貨物集散地としてさらなる発展をみる事になります。 やがてそんな状況に注目した地域の有力者が中心となり、御殿場駅と登山口である須走の間を結ぶ馬車鉄道を敷設する事となりました。 これが今回ご紹介する御殿場馬車鉄道、富士山の麓に広がる裾野をお馬に引かれてポクポクと登って行くこの鉄路には、あの竹久夢二も乗ったというのです。 年間で乗客4万7千人を運び、特に登山客の増える7~8月は通常に比べて2倍近い人数が利用したそうです。 客車15台、貨車65台も所有し、米穀類、魚介類など貨物を1万トン以上運んだ年もあったとの事。 ではまずその歴史について、年表を追って見てみましょ