われわれは、ここ最近のスポーツ界や芸能界の一連のスキャンダル報道を通じて、ある種の「道徳劇」(?)の上演を繰り返し見せつけられてきた。テーマは「下剋上とその挫折(自滅)」、ということではないだろうか。自らの「実力」で一気にスターダムにのしあがって(のしあがろうとして)きた者たちが、自らの無責任な・わがままな・無礼な言動によって、人々の怒りを買い、マスコミや世間から一斉にバッシングを受けることで、面目を失ってしまう…、というストーリー。「下剋上」とは、小林秀雄=柄谷行人によれば、「デモクラシイ(民主主義)」のことで、自らの実力で特権的な「立場」を勝ち取ろうとする激しい野望のことだと言っていいかもしれない。新自由主義的な「能力(実力)主義」の風潮も、こういう「下剋上」を歓迎するだろう。スポーツ界や芸能界は、一般社会よりも流動的で、「実力本位」志向が強いといえるだろうから、スターダムの地位に上っ