たまごうどんを食べながら、持ち歩いていた文庫本を読む。その日読んでいた本はキェルケゴールの死に至る病。タイトルは不安な感じだが、内容はそんなに不安ではない。 言いたいことは 「死に至る病とはいうのは絶望です。みんな絶望した絶望したと言うけれど、全然わかってません。本当の絶望ってのは奥が深いんですよ!」ということだろう。元気があるんだかないんだかわからない。
電子辞書には手に負えないほど膨大なことばが詰まっている。何か単語の意味を知りたくなったら、その手段として電子辞書をひく。しかし、例えば家電量販店で電子辞書を買おうとするときは、知りたい単語というよりは、「適当な単語」を入力して辞書の使い心地を試してみるものだ。 人間は「知らない単語の意味を調べる」という目的から解放されて自由に辞書を使うとき、一体どんな単語を調べがちなのだろうか。実際にお店に行き、電子辞書の「履歴」ボタンを押して調査してました。 (text by 藤原 浩一) 「履歴」ボタンをおしまくる 高校生のとき、授業が退屈になると電子辞書を開いて、思いつくままに単語を調べていた。ぼくの持っていた電子辞書には百科事典が内蔵されていたので、退屈な時間をやりすごすには重宝した。 そして授業が終わるときに「履歴」のボタンを押すと、それまでに調べた単語がぱっと現れて「なにやってんだ、おれ」と感
缶ビールを飲んでいたら気づかずにいられないあの突起。点字だ。でも、これってなんて書いてあるんだろう? 点字は、6つの点の突起のある・なしの組み合わせで1文字をあらわしている、ということくらいは知っている。というか、それしか知らない。 これまでの人生で目にしたり触れることはあったものの、実際に読んでみたことはなかった。それは書かれている場所から推察すればおおよそ予測はつくからであるが、本当はどんなことが書かれているのだろうか。 ということが気になってしまったので、街中で点字がありそうなところを歩き回ってみた。 (text by 藤原 浩一) 最初はこれ 興味の発端が缶ビールに書かれた点字だったので、まずは缶入りのお酒を見てみることにした。 はじめ、気づかず逆さにして読んでいて「え、なんて書いてあるんだ?」とか思ってしまったが、缶に書いてある点字は上側にして読むのが正しいみたい。どっちが上か知
〔今回の要約〕 夏休みなのにどこにも出かけなかったので体が真っ白だ。そうだ、背中に日光を遮る何かを置いたまま日焼けすれば、好きな模様がデザインできるかもしれない。 そう思ってうかうか江ノ島に行ったら、いろいろあって耐え切れなくなったので、途中で諦めて帰宅しました。 (藤原 浩一) ひとり江ノ島 真っ白な背中に、何か模様をうつしたような形で日焼けしたい。 そんな企画を思いついたときは、いつものとおり近所の河原でやればいいかなと思っていた。しかし、企画会議で発表したとき他の人から「海に行くといいよ」と言われたのでそうすることにした。江ノ島に行って、そこで感じたことを交えて書くといいかもしれない。江ノ島といえば若者が集まる海だし。 ……思えばそれが大きなミステイクだった。 江ノ島までは、家から電車でだいたい1時間半だった。普段通学には2時間かかっているから、江ノ島は大学よりも近いことになる。江ノ
原題『По щучьему веленью』 ロシア民話 ― 10年前のボクに捧ぐ ― (作 アレクセイ・コンスタノビッチ・トルストイ 訳 藤原 浩一) むかしむかし、あるところにおじいさんが住んでいました。おじいさんには三人の息子がいて、上の二人は利口でしたが、三人目のエメーリャはばかでした。 *1
外国語、わからない。 英語ならちょっとは分かるかもしれないが、英語以外の外国語ともなるとさっぱりだ。 外国語習得における最初の壁は、馴染みのない単語と文法を覚える必要があること。外国語を使いこなすのはかっこいいが、そんな面倒な壁を乗り越えるような熱意は無い。 ああ、どこかに日本語に限りなく近い外国語はないものだろうか。 無い。無いなら作ろう。 (text by 藤原 浩一) オレ専用アルファベット略してオレファベット 要するに、ひらがな・カタカナ以外の方法で、日本語を表記する文字を新しく作ろうというのが今回の趣旨だ。しかし五十音すべてに対応する文字を考え出すには労力がかかりすぎる。何せ50個以上考えねばならない。そんなのやだ。 というわけで、アルファベットに対応する新しい文字を考えて、ローマ字のように組み合わせることで日本語を外国語っぽくしてみようと思う。オレ専用アルファベット、名づけてオ
街角でよく見かけるティッシュ配り。アレを見るたびに凄いな、と思う。なんせタダでたくさんティッシュを配っている。「大盤振舞い」という言葉がぴったりではないか。 広告は付いているものの、見知らぬ他人に対してティッシュを配り、幸福を与える。素晴らしい精神だ。 そんな精神にあこがれて、ティッシュ配りをやってみた。 (text by 藤原 浩一) ティッシュ配りの聖地にて 善は急げとばかりに、早速新宿駅にやってきた。新宿駅南東口にある階段の下には、宣伝のためのティッシュを配る人たちがいつもたくさんいるからだ。ここでならティッシュを配ってもなんら問題無いであろうと思う。
自転車操業、という言葉がある。 操業を停止するとそのまま倒産してしまう恐れがある企業のありかたを、こぐのをやめると倒れてしまう自転車に例えたものだ。 しかし、「こぐのをやめると倒れる」という部分がどうも引っかかる。おそらく自転車に乗っていてこぐのをやめたら倒れた、なんていう人はいないのではないだろうか。何故なら足をつけばいいからだ。 だから、足をつかずに自転車をこぎ続けたらどうなるか、試してみた。 (text by 藤原 浩一) 足をつかないとはどういうことか 足をつかないとはどういうことか。言うまでもなく自転車はスピードが無くなると倒れてしまう乗り物だ。そして倒れそうになると足をつかなければならない。つまり、要は止まらなければいいのだ。 止まらないと、どうなるか。 そういうことがやってみたくなる大学生の春休みである。ま、とりあえず走り出しましょう。愛車「第三スレイプニール丸」に乗って出発
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