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ブックマーク / www.ne.jp (6)

  • 田嶋陽子-アエラ「現代の肖像」

    ●「現代の肖像 田嶋陽子―日で最もテレビ向きのフェミニスト」 (「AERA」1992年2月11日号 創刊200号記念) フリーライター 島崎今日子 写真 鷹野晃 素朴なキャラクターがうけて、 突然、テレビ番組のスターになった。 信は曲げず、女と男の解放を説き続ける。 「飯も作れないような、パンツも洗えないような男は、(人間として)一人前じゃないよね」 1991年1月7日。この日オンエアされたテレビ朝日の「たけしのTVタックル」では、「ダメな男につけるクスリ」と題したテ−マで、ビ-トたけしと四人の女性ゲストたちがトークを繰り広げていた。 法政大学教授田嶋陽子の「パンツ発言」が飛び出したのは、その最中だった。放送後の反響は大きかった。 「二十年間の積もり積もった憤をよくぞ晴らしてくれた」と田嶋を支持する主婦がいる一方で、「好きな人のバンツも洗えないで、女の幸福があるのか」

    sarutora
    sarutora 2010/10/01
  • あーあ、選挙

    1 二十歳になったとき、「選挙」のことでちょっと悩んだ。誰にいれてよいかわかれへん。次善の人を選べというけど、「何」が次善かもわからん。で、投票にはいかんかった。 そのあとは田舎をはなれてあちこち住所不定みたいやったから、選挙があっても無関係やし、まるで関心がなかった。 ひとつおぼえているのは、都知事選。労組や市民運動してるひとたちがずいぶん応援して、美濃部さんが当選したんやけど、「革新派」の知事いうことになってるから、いままでより文句をつけにくなって、かえってやりにくなったと都庁で組合に勤めてた友人がこぼしとった。ようするに、何でもかんでもすべてお任せしますいうて、そんなこと頼むつもりもないのにわたしらの代表やいう議員を選ばされるのが選挙なんや。そんなんで(大阪に住むようになってから投票用紙がくるようになったけど)ついに一回も選挙にいったことがない。 そやけど、市民運動のなかから立候補を

    sarutora
    sarutora 2010/08/06
    >選挙制度にみんなからめとられてしまったせいやと私は思う。制度の枠の外に出ることなんか、てんから考えられんようにされてる/つくづく選挙制度いうのは、国民という名のわたしらが責任をとらされるという制度や
  • 大杉 栄 1

    僕は精神が好きだ     (1918年 2月) 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されるとたいがいはいやになる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民主義や人道主義が好きだ。少なくともかわいい。しかし法律学者や政治学者の民呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる。 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。 法律と道徳     (1912年12月) 法律は人を呼んで国民という。道徳は人を指して臣下という。 法律が軽罪人を罰するのは、わずかに

    sarutora
    sarutora 2009/03/25
    >書物を読むよりもまず、みずからの身辺の生きている事実に眼を転ぜよ<知を、独立したバラバラの知識の寄せ集めの「量」に還元するのをブルジョア的分析的理性とサルトルは批判した。問題は、本を嫁、じゃない
  • 大杉 栄 7

    sarutora
    sarutora 2008/01/27
    >こんな不従順な振舞いは学校では未曾有のことであった。翌日も、またその次の数日も、クロポトキンは同じような命令を受けた。が彼は頑固に二階のその室に籠っていた。
  • 大杉 栄 5

    sarutora
    sarutora 2008/01/24
    >僕は決してクロポトキン大明神のもうし児でもなければ、またいわゆる無政府主義者なぞという至極量見の狭い狂信者でもない。ただちょっと気違いじみた一人の人間様であるだけのことだ
  • 〈終身刑問題〉をめぐって

    ここんとこ、もうふた月以上も終身刑のことばかり朝から晩まで、寝てもさめても思いつめ状態で、他になんもできんかった。それで、十月十三日の「死刑廃止」東京集会と、十一月三日四日と埼玉であった「死刑廃止」合宿にも行ってきた。みんなはどんなふうに考えてるんやろ。わたしはどうしても「終身刑導入」のはなしには賛成でけへん、それで……。 * この「終身刑」論議は、十年まえごろから言われ出していた。 死刑廃止法案を国会でとおすためには、死刑に代わるものとしての代替刑――「終身刑の導入」が、死刑廃止議員連盟の亀井静香さんや、議員連盟に働きかけていっしょに死刑廃止を実現させようとがんばっている菊田幸一さんや「死刑廃止フォーラム・東京」のなかからも言われ出した。 わたしにしてみたら、代替刑をいうなら、「死刑」に対する「廃止」がなによりも「代替」なんやから、こっちから「終身刑導入」を持ち出すなんてとんでもないこと

    sarutora
    sarutora 2008/01/06
    >「非暴力直接行動」を離れてしまっての「運動」は、それはもう「政治」であって「かけ引き」であって、わたしにとってはもはや「運動」ではない
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