新聞は戦争責任をどう取るのか。1945年8月15日の終戦を境に、毎日新聞の記者たちはそれぞれ葛藤を抱えることになった。その中で、ひときわ先鋭的だったのが、「白紙新聞」を発行した西部本社(北九州市)の高杉孝二郎編集局長だ。 九州と山口県西部を発行エリアとする西部本社に、ポツダム宣言受諾の情報がもたらされたのは8月13日。「毎日新聞百年史」によれば、高杉氏はそれを知ると辞表をしたため、次のような進言書を添えて会社に提出した。「戦争を謳歌(おうか)し、扇動した大新聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪しなければならない。本社は解散し、毎日新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに最高幹部は即時総退陣する」 けれども、当面の新聞は出さなければならない。高杉氏は部下と相談し、終戦の詔勅など公的機関の発表と事実の推移のみを載せ、戦中のストック原稿は使わないことにした。 その結果、終戦翌日から5日間、西部本