2014年10月にスタートした総合オピニオンサイト「iRONNA」は、諸般の事情により2021年3月下旬をもって新規コンテンツの公開を終了することになりました。 およそ6年半の間、当サイトをご愛読いただいたユーザーのみなさま、700人を超える執筆者、協力していただいた各メディアの方々、及び広告等に協力いただいた方々に厚く御礼申し上げます。
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―本書『冲方丁のこち留』は、冲方さんが身に覚えのない妻へのDV(ドメスティック・バイオレンス)容疑で逮捕され、渋谷警察署内の留置場に9日間も閉じ込められた挙げ句、無罪放免になるまでの顛末が“喜劇調”で綴られています。妻がほんとうに被害届を出していたのか、最後まではっきりせず、まさに理不尽の極み。これが日本の司法の現実かと思うと、寒けを覚えました。 冲方:警察が逮捕状で私が妻にDVをしたという「作文」を行なうと、検察や裁判所はそれに従って有罪の判決を導くというストーリーが出来上がっている。たとえ前後の事実関係に矛盾があっても、一度逮捕されてしまうとなかったことにされてしまう。警察の取り調べとは、当事者から事実関係を聞き出して捜査の参考にするのではありません。あらかじめ用意された筋書きに当てはまる自白を被疑者にさせ、それを調書に記録する作業のことをいうのです。いわゆる自白主義。ほんとうに怖いと
私は『新潮45』8月号の「杉田水脈論文」への批判を受け、10月号で小論「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」を執筆した。だが、雑誌掲載内容が世に普及する暇(いとま)さえなく、したがって雑誌の内容が社会的糾弾に値するかどうかの世論の醸成が全くないまま、発売初日から、ツイッターの組織戦で小論の完全な誤読による悪罵(あくば)を大量に流布された。そして発行からたった3日で「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」を佐藤隆信社長が詫び、発行1週間で事実上の廃刊となる。全く異常な話ではないか。
一つは、権力を監視し、現権力に対する絶え間なき批判的吟味を繰り返し続けることにより、権力による正統性調達の再生産を常に促すことである。権力は、我々国民から正統性を付与されるために努力せねばならないのだ。我々一人一人には、日々の生活があり、権力に張り付いて常に監視し適切に情報を得ることはできない。だからこそ、国民が負託した権力を適切に運用しているかどうかを国民の代わりに常に監視する責務を課されたのが、マスコミが享有する表現の自由の内実の一つである。 もう一つが、あらゆる価値観が公的空間にあふれるべく、多様な情報を流通させることである。多様な情報があまねく社会に行き渡ることによって、我々は自分自身の善き生の構想をより「善く」する材料を得る。ひいては、民主主義的決定の際の人々の熟議と熟慮の一助となることで、その特定の社会の民主主義を円熟させる。公共空間をより豊か(rich)にするために、マスコミ
いったいなぜ、横綱日馬富士は、格下の平幕力士貴ノ岩を暴行したのだろうか。当初、単なるモンゴル人力士同士の飲み会での乱行と思われていた事件は、不可解な経緯をめぐってメディアが大騒ぎしたため、意外な様相を見せるようになった。ただ、これまでの報道を見ていると、あまりにもピント外れなことが多いので、ここで、きちんと整理しておきたい。 まず、今回の事件をきっかけに「モンゴル人力士は日本の相撲を理解していない。横綱の品格がない」などという批判がもっともピント外れである。また、「もともと日馬富士は酒癖が悪かった」などと、個人的な問題に矮小(わいしょう)化してしまうのも、事件の本質を捉えていない。さらに、殴ったのがビール瓶であるかどうかも実は本質的な問題ではない。 ただ、この事件の背景に、貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)と日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)との間の「確執」があったというのは的を射て
今回の総選挙において、当初勢いのあった希望の党の潮目になったのが「排除の論理」という言葉だ。「排除の論理」は強烈な「呪文」である。うまく使えば武器になるが、使い方を間違えると凶器に変わる。 民主党結成の呼びかけをする左から岡崎トミ子氏、鳩山由紀夫氏、菅直人氏、鳩山邦夫氏=1996年9月、第一議員会館 1996年、その「排除の論理」によって誕生したのが民主党(のち民進党)だ。新党立ち上げ直前、村山富市元首相、武村正義さきがけ代表の二人を斬るために行使したのがこの年流行語大賞にもなった「排除の論理」だ。
2010年に初当選したとき、あるベテラン議員にこう言われたことを思い出す。「有田さん、国会議員って平気でウソをついていいんですよ」。あぜんとした。総理が解散時期について事実を言わないことはよく知られている。しかしいま問題となっている「加計(かけ)学園疑惑」については本筋の問題から離れても異常な状況が続いていることに注目するのは、どうも「ウソ」が横行していると思えるからだ。 文部科学省の前川喜平前事務次官が、「総理のご意向」「官邸トップの指示」などが記された内部文書を、実際にあったものと証言してからのことである。菅義偉(よしひで)官房長官は正式の記者会見で、この文書を「怪文書」だと表現した。信じるに足る文書ではないと公式に表明したのだ。しかしその一方で、口外を禁じるオフレコ発言では、前川氏が文書をリークしたと名指しで語っていた。ダブルスタンダードである。しかも発言はさらにエスカレートした。
国会での証人喚問で話題をさらう森友学園。その騒動ともいえる連日の報道の中で、当の籠池理事長やその妻である諄子氏とあわせて注目を集めた人物がいる。自称「著述家」で、昨年ベストセラーとなった『日本会議の研究』でも知られる菅野完氏である。 大阪府の松井一郎知事と迫田英典国税庁長官の写真を手に 記者の質問に答える菅野完氏=3月15日、東京都港区 すでに渦中の人となっていた籠池氏が、外国人記者クラブの共同会見が中止になったにもかかわらず、東京に来た際に訪れたのが、この菅野氏の麻布の自宅マンション。それを追って集まった取材陣の前に現れた菅野氏は、籠池氏に成り代わるようにして自らの主張を述べた。いわく、籠池氏の問題の核心にはこの二人がいると。取材陣のカメラに囲まれた菅野氏は懐から森友学園の土地売却にかかわったとされる迫田英典元理財局長(現国税庁長官)と大阪府の松井一郎知事の顔写真をプリントアウトした紙を
疑惑の発端になったのは、昨年7月26日に将棋会館で開催された竜王戦決勝トーナメントの久保(利明)九段との対局でした。対局中の私の行動から不正を疑い、(日本)将棋連盟に提案したことがきっかけです。「自分は気持ち良く指したいからルール作りをしてほしい」という趣旨で、対局中の電子機器の使用を規制すべきと訴えていたそうです。その提案後、連盟の理事が対局中の私の行動を監視していたそうですが、報告書にもあった通り、私にはソフト指しを疑わせる不審な行動はなかったのを理事自身が確認しています。 このとき対局したのは、丸山(忠久)九段でしたが、丸山さんは私の行動を「不審に思うことはなかった」とはっきり言ってくださったんです。疑惑の対象となった四局のうち、二局が丸山さんじゃないですか。しかも、その前にも一局指しているんで計三局なんです。つまり、疑惑が浮上してから一番多く指したのは丸山さんだった、ということにな
安全保障法案の時、一部ニュース番組は、こぞって国会前の若者や主婦などを取り上げ、「普通の人たちが声を上げ始めた」とうれしそうに報じました。テレビ局の気持ちもわからないことはないのです。この人たちをカメラから外してしまえば、そのえづらは、とてもゴールデンタイムのお茶の間に耐えられるものではなかったのですから。 ○○労組、○○教組、○○連、さらには過激派団体まで、のぼりや旗を見れば、これらがフツーの人だとはだれも思わないはずです。むろん言論の自由、集会の自由がありますが、結局いつもの沖縄基地問題、反原発などのデモと変わらず、彼らの動員がうまくいっただけというのが真相のようです。
私が朝日新聞での連載「新聞ななめ読み」を始めたのは、朝日だけでなく、いろんな新聞の比較をすることがそもそもの狙いでした。月に1回、言ってみれば新聞時評みたいなものですよね。「朝日新聞の記事は分かりにくい」と随分批判もしてきましたが、それに対して担当部局のデスクから抗議が来たりすると、それも紹介しつつ、反論も書いたりして、新聞記者との双方向性を持つというやり方でやってきました。 朝日以外にも読売や産経の話も書いたりしたことはあったんですが、ある日突然、掲載できないという話になったんです。もちろん、新聞社には編集権がありますから、最終的に掲載する、しないを判断するのは、それぞれの新聞社が決める編集権ですよね。それについて著者が「載せないのはおかしい」とか、そういうことを言う立場ではないと思うんですよ。
2014年最も読まれた記事トップテン 10月1日にスタートした総合オピニオンサイト「iRONNA」も、はや3カ月を迎えます。この間、多くの記事や寄稿を掲載しました。激動の2014年も残りわずか。今年を振り返り、ユーザーの皆様から特にご好評を頂きました記事トップテンを再掲載します。 朝日新聞社長、木村伊量君との出会いは、私が時事通信のワシントン支局にいた頃です。 それまで一緒に仕事をしたことはありませんでしたが、ともに早稲田大学の出身で同じ政治部だったこともあり、ワシントンでは家族ぐるみで親しくさせてもらっていました。 木村君はテニスが好きで、奥さんは全日本アマで上位になったテニスプレイヤーということでした。 また、大阪フィルハーモニー交響楽団がシカゴに来ることを聞きつけ、一緒にコンサートを聴きに行ったり、九六年のアトランタオリンピックではアトランタ総領事(当時)で共通の友人である宮本雄二さ
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