滝乃川学園のような民間施設は、公的な制度も支援もなく、経営的には苦難の連続でした。しかし、滝乃川学園の活動を知る者が石井のもとを訪れ、弟子入りするなどして個人指導を受けるようになり、そうして感化を受けたものたちによって、全国に滝乃川学園に続く、知的障害児施設がつくられていきました。 これらの施設の多くは、石井亮一と滝乃川学園を何らかのモデルとして設立・運営されたもので、知的障害児に対しては慈愛の精神だけではなく、生理学に基づく教育実践を必要するという精神が受け継がれ、治療的な教育法を確立していきました。 滝乃川学園「石井亮一・筆子記念館」 昭和初期に建てられ、当時は教室などとして利用され、2階は講堂になっています。 戦前においては、知的障害者に対する国の福祉政策はほぼ無策と言える状態で、これらの民間施設のみが細々とその救済に当たっていました。しかし、収容人数はすべての施設を合わせても400