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フィリップ・トルシエ 日本の検索結果1 - 27 件 / 27件

  • 「日本には強烈なショックが必要だ」トルシエが語るサウジ戦…日本代表に欠けていた「野心」と「マネジメント」を埋める術とは?(田村修一)

    「日本の敗戦は見た」 それがフィリップ・トルシエの第一声だった。日本がサウジアラビアに0対1で敗れたカタールW杯アジア最終予選第3節の試合終了直後、私たちは電話で話し合っていた。緒戦のオマーン戦に続き、接戦をモノにできなかった日本代表をトルシエはどう評価したのか。率直な意見を聞いた。 ――試合をすべて見たのですか? 「放映するテレビ局を見つけるのが難しく、アラブの放送を見たから幾つかのシーンは見られなかった。 どうしてなのかわからないが、日本はコレクティブな面で敗れた。コレクティブなクオリティを欠いていた。内容も乏しかった。個の面でも技術的なミスが多く、選手の能力も見劣りがした。インテンシティも動きも質・量ともに不十分で、試合の重圧があったのかも知れないが、これまで日本が作りあげてきたDNAがこの試合では何も感じられなかった。 たしかに大迫はチャンスを2度作り出し、これだけ出来の悪い試合で

      「日本には強烈なショックが必要だ」トルシエが語るサウジ戦…日本代表に欠けていた「野心」と「マネジメント」を埋める術とは?(田村修一)
    • サッカーは自分を証明するものだった…田坂和昭が「人と違う見た目」から得たものとは【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

      人とは見た目が違っていた 子供のころから苦しかった 「有名になる」という気持ちがあった そのために努力した 振り切れるきっかけがあった そして今振り返る どうして自分が乗り越えられたか そんな田坂和昭にオススメの店を聞いた 「サッカーの田坂」と言わせてやろう 僕が苦しかったときはいっぱいありますね。 幼少期から苦しい思い出しかないですよ。僕は2歳ぐらいで髪の毛が抜けたんです。Jリーガーになったあと、広島出身だから被爆した影響だと一時期報じられたんですけど、それは関係ないんですよね。生まれたときは髪の毛があったから、病気だと思うんです。 結局、原因は調べませんでした。幼稚園ぐらいまではいろんな病院に行ってたんですよ。親に連れられて、広島の中でもいい病院と言われるところに行ったり、九州や大阪にも行ったり。でもそういうのがイヤで、面倒くさくなっちゃって止めたんです。 今はスキンヘッドの人を街で見

        サッカーは自分を証明するものだった…田坂和昭が「人と違う見た目」から得たものとは【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
      • <東京五輪>オシムが語った日本対スペインの論点「日本は簡単にボールを失い、それぞれがひとりでプレーした」(田村修一)

        イビチャ・オシムに電話をしたのは、東京五輪男子サッカー準決勝・日本対スペイン戦が始まる50分前だった。東京五輪については、プレスパスを取得できなかったこともあり、仕事をする気はほとんどなかった。大会前のテストマッチは男女ともにほぼすべて取材したものの、それで自分の五輪は終わりだと思っていた。そうであるから、イビチャ・オシムやフィリップ・トルシエが、日本五輪代表のほぼすべての試合を見ることが可能だったことが後に分かっても、彼らから話を聞くという発想は端からなかった。 だが、その気になればかなりいろいろ仕事ができたと思ったのは、男子グループリーグ最終戦の日本対フランス戦の前日だった。それでも仕事モードになかなか切り替わらず、トルシエに電話したのが日本対スペイン戦の小一時間前、連絡がつかずにオシムに電話したのがその直後だった。 電話口に出たアシマ夫人の声は溌剌としており、それだけでオシムの健康状

          <東京五輪>オシムが語った日本対スペインの論点「日本は簡単にボールを失い、それぞれがひとりでプレーした」(田村修一)
        • 「食事は高い上においしくない」「バスは待たされる」…東京五輪取材中、ダバディ氏が率直に語った問題点 | 文春オンライン

          2002年6月、サッカー日韓W杯で日本代表を指揮したフィリップ・トルシエ監督をサポートしていたフランス人男性、フローラン・ダバディ氏(46)は、19年の時を経た今、「東京オリンピック2020」の取材をしている。スポーツ紙「レキップ」の特派員として、「日本人が見る東京大会」を社会面用に取材し、フランス国営テレビのリポーターとして、夕方のハイライト番組「JO CLUB」に生出演している。充実の日々を過ごしているが、決められた「バブル方式」の中で苦戦もある。新型コロナウィルス感染防止対策の中で、日本側が繰り広げたかった「おもてなし」とは程遠い現場のリアル。日本在住通算24年のダバディ氏が、3年後に開催が予定されるパリオリンピックに向けての思いも踏まえて指摘した。

            「食事は高い上においしくない」「バスは待たされる」…東京五輪取材中、ダバディ氏が率直に語った問題点 | 文春オンライン
          • 負けを受け入れることの大事さ……黄金世代だった高田保則が引退後に気付いたこととは【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

            FIFA主催国際大会での日本の最高成績は2位 1999年ワールドユースの偉業は今も輝く メンバーはゴールデンエイジと言われた世代 小野伸二、稲本潤一、高原直泰、遠藤保仁、本山雅志らが名を連ねた 高田保則もそのチームの一員だった だがメダルを胸に帰国した選手の中で 高田だけは他のメンバーと違った道を歩み始める 所属チームは降格を余儀なくされ試合に出られない状態にもなった 現役を引退した後、高田は子供たちに夢を届けていた 自らは裏方に回りアスリートなどの夢先生の手配をする 自分の人生を振り返りつつ高田は子供たちに何を語りたいのか 「大衆酒場好き」のオススメとともに聞いた ベルマーレは「素敵な先輩たち」がいっぱいいたチーム 現役時代を振り返ると、正直に言うといつも苦しかったし、いつも苦しくなかったって言えるんです。 僕がベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でデビューしたのは、プロになって1年半経

              負けを受け入れることの大事さ……黄金世代だった高田保則が引退後に気付いたこととは【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
            • 日本サッカー界のレジェンド・中村俊輔の栄光と挫折の軌跡をまとめたムービーがガチ映画の予告編並みの感動クオリティ

              サッカー日本代表の背番号10として数々の功績を残してきた中村俊輔選手は、Jリーグだけでなく海外のプロサッカーリーグでも活躍した人物。イングランド・プレミアリーグの名門クラブであるアーセナルで活躍するキーラン・ティアニー選手は、自身が少年時代を過ごしたセルティックの英雄である中村俊輔選手について「ずっとナカムラを目指してきた!」と語っているように、現役サッカー選手の中にも同選手のファンは多く存在します。そんな中村俊輔選手の栄光と挫折の軌跡をまとめたムービーが公開されています。 映画『NAKAMURA~Celtic Legend~』予告編 - YouTube 「ワールドカップに出たいです」という言葉と共に映し出されたのは、ノートに書かれた「南アフリカワールドカップで強豪を次々と破り、ベスト4に入り世界を驚かせてみせる!」という力強い目標。 「もっと世界のトップレベルを体験したいですね」 場面は

                日本サッカー界のレジェンド・中村俊輔の栄光と挫折の軌跡をまとめたムービーがガチ映画の予告編並みの感動クオリティ
              • 空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」(飯尾篤史)

                空白の9カ月「嫌われているのかな」 初めて日本代表に選出されたのは、プロ2年目となる1998年2月のオーストラリア合宿だった。フランスW杯本大会を前に、新戦力の発掘を目論む岡田武史監督から声がかかったのだ。 フィリップ・トルシエ監督時代に日本代表に定着し、続くジーコ監督からは10番を託され、2006年ドイツW杯に出場。自身2度目のW杯となった10年南アフリカ大会を最後に、青のユニフォームを脱いだ。 こうして日本代表の成長期を主軸として駆け抜けた俊輔には、一時的に代表メンバーから外れた時期がある。 空白の期間とも言うべき9カ月――。 ドイツW杯グループステージ最終戦のブラジル戦から、07年3月のペルーとの親善試合までの期間である。 俊輔だけではない。ドイツW杯終了後に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムはその間、欧州組を一切招集しなかった。 「なんで呼ばれないんだろうな、っていうことは考え

                  空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」(飯尾篤史)
                • 「差を埋めるにはまだ時間がかかる」トルシエが語る日本代表ベスト16敗退の理由と次世代の課題「足りないのは経験とメンタルだ」(田村修一)

                  フィリップ・トルシエに電話をしたのは、日本対クロアチア戦終了後、森保一、ズラトコ・ダリッチ両監督の会見を終えた直後だった。ドイツ、スペインを下してグループリーグを1位で突破した日本は、4年前のロシアW杯以上に目標であるベスト8に肉薄した。PK戦の末に敗れたクロアチア戦をトルシエはどう見たのか。そして大会を通しての日本を彼はどう評価し、今後に向けてどのようなアドバイスを贈るのか……。 勝敗を分けた経験の差 ——試合(クロアチア戦)をどう見ましたか? トルシエ 日本は準々決勝にかぎりなく近づいた。もちろん残念な部分はあるし不満もある。勝負はPK戦で決まったから結果はとても残念だ。しかし試合内容で評価すれば、クロアチア戦も素晴らしい試合を日本は実現した。経験豊かで偉大な選手たちを揃えたチームに対して、日本は震えることなく対等にプレーした。クロアチアにとってはとても危険な存在だった。日本は胸を張っ

                    「差を埋めるにはまだ時間がかかる」トルシエが語る日本代表ベスト16敗退の理由と次世代の課題「足りないのは経験とメンタルだ」(田村修一)
                  • 「日本は適切な戦い方をしたが…」豪州戦を見たトルシエが指摘する欠点<中田英寿にあって、森保一監督にはない>ものとは(田村修一)

                    フィリップ・トルシエに電話をかけたのは、W杯アジア最終予選第4節、日本対オーストラリア戦が終わった直後の埼玉スタジアムからだった。メディアセンターのモニターでは、フラッシュインタビューに答える森保一監督の姿が映っている。トルシエの口調は、4日前のサウジアラビア戦の後とはまったく異なっていた。難敵オーストラリアを下し、日本が予選直接突破の戦いに踏みとどまった試合に、トルシエは何を見出したのか。 ――今日は日本が勝ちました。 「勝ったし、試合をトータルで見て勝利に値した。 この試合にはいくつかの重要なテーマがあった。まずオーストラリアにとっては、勝てば日本を直接突破の圏外に葬り去ることができる。逆に日本は、勝てば突破争いに復帰できる。それが第一のポイントで、この試合が持つ大きな意味だった。選手と監督の両肩に大きなプレッシャーがかかる試合だった。 次に強調したいのは、日本の先制点がとても早い時間

                      「日本は適切な戦い方をしたが…」豪州戦を見たトルシエが指摘する欠点<中田英寿にあって、森保一監督にはない>ものとは(田村修一)
                    • 「すでに世界が見習うべきモデルだが…」手術明けのトルシエが語った日本の課題<マリノスがブンデスリーガに参加したら?>(田村修一)

                      今年、創立100周年を迎えた日本サッカー協会は、2050年までに日本にワールドカップを再誘致し、優勝することを目標に掲げている。またJリーグは、2030年までに世界の5大リーグのひとつになることを目標としている。 日本のこれまでの歴史、とりわけJリーグが創設され、日本代表がアジアのトップとなったこの30年間を振りかえり、今後の10年、あるいは30年を予測したときに、ふたつの目標は達成可能といえるのか。 フィリップ・トルシエに話を聞いた。ベトナム(PVFアカデミーのディレクターとU19代表監督を兼任していた)からフランスに帰国し、懸案だった膝の手術が成功したばかりのトルシエは、術後も3週間の入院とさらなるリハビリを要するという。 手術の翌々日、電話でおこなったインタビューを前後2回に分けて掲載する。(全2回の1回目/#2はこちら) ――手術はどうでしたか? 「ああ、うまくいった。君は元気か?

                        「すでに世界が見習うべきモデルだが…」手術明けのトルシエが語った日本の課題<マリノスがブンデスリーガに参加したら?>(田村修一)
                      • 森保ジャパン、逆転負けも未来を見据えた選手起用「後悔はない」…一度も試してない布陣に遠藤「びっくり」 – 記事詳細 -

                        森保ジャパン、逆転負けも未来を見据えた選手起用「後悔はない」…一度も試してない布陣に遠藤「びっくり」 – 記事詳細|Infoseekニュース◆国際親善試合日本代表1ー2コロンビア代表(28日・ヨドコウ桜スタジアム)第2次森保ジャパンが初黒星を喫した。日本代表(FIFAランキング20位)はコロンビア代表(同17位)に1―2で逆転負け。前半3分にMF三笘薫(25)=ブライトン=がヘディングで先制点を奪ったが、同33分、後半16分とゴールを許… サッカー日本代表がワールドカップの頂点に立つ日! 2022年カタールW杯の出場権をかけた戦いが始まった、サッカー日本代表「森保ジャパン」。世界の壁を突破するために必要な条件は、いったい何なのか? 代表監督に求められる資質とは?─かつて日本代表を率いた監督の系譜をひもときながら、「森保ジャパン」の未来を考察していく。著者による、歴代監督12人の独自採点付き

                          森保ジャパン、逆転負けも未来を見据えた選手起用「後悔はない」…一度も試してない布陣に遠藤「びっくり」 – 記事詳細 -
                        • トルシエが彼らをC代表と呼ぶ理由。「コパの意義は個人の成長と選別」(田村修一)

                          コパ・アメリカ2019が開幕し、日本の初戦となるチリ戦がいよいよ今夜キックオフを迎える。 当連載コラム『ワインとシエスタとフットボールと』では、ロシア・ワールドカップ、UAEアジアカップに続き、コパ・アメリカでもイビチャ・オシム、フィリップ・トルシエの不定期連載を予定している。ただ、今回は、時差の関係でヨーロッパで試合が見にくいため、オシムについては実現できるかどうか、現段階でもハッキリしていないが……。 ディフェンディングチャンピオンであるチリとの対戦を前に、まずはトルシエがコパ・アメリカに参加する意義を語った。 「私の時は準備が難しかった」 ――日本が20年ぶりにコパ・アメリカに参加します。あなたが率いた1999年以来の出場をどう見ていますか? 「日本サッカーの進歩の過程にはなり得るとは思う。しかし協会とJリーグの間に十分な合意ができていない状況で、コパに送り出す選手の年齢層がとても若

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                          • 2022-2023 イタリア・セリエA 第34節 - SHIPS OF THE PORT

                            来年1月から始まる、サッカーのアジアカップの組み合わせが決まりました。 www.soccer-king.jp ベトナムは、日本代表の監督を務めたこともあるフィリップ・トルシエ氏が監督。 日本のことをよく知っている監督が相手だったり、イラクもなかなか強いので苦戦しそうですが、ここはなんとしても突破してもらわないといけません。 やっぱり日本は強かった…というところを見せつけてほしいですね! それでは今日の記事のもくじです。 今日は何の日?? 海上保安の日 2022-2023 イタリア・セリエA 第33節 結果 順位 今日は何の日?? 5月12日は「海上保安の日」です! 海上保安の日 1948年5月12日、海上保安庁が開庁しました。 ずーっと「開庁記念日」だったようですが、2000年から「海上保安の日」となっています。 2022-2023 イタリア・セリエA 第33節 第33節は、5月6日~8日

                              2022-2023 イタリア・セリエA 第34節 - SHIPS OF THE PORT
                            • 【アジアカップ】久保建英〝トルシエ魔術〟に衝撃「ベンチで見てて、圧倒された感じがあった」(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

                              日本代表がアジアカップ1次リーグ初戦のベトナム戦(14日)で4―2と逆転勝利し、MF久保建英(22=レアル・ソシエダード)が後半39分から出場した。 【動画】ダメ押しの得点!久保のアシストから上田綺世が強烈なシュート!! 左太ももの打撲などで状態が不安視された久保は、初戦から出場して1アシストをマークするなど存在感を発揮。「しっかり結果を残せて良かった。コンディションがあまり落ちてないなというのを確認できた」と手応えを口にした。 自身初のアジアカップで衝撃を受けたのが、フィリップ・トルシエ監督率いるベトナムのプレーだ。「トルシエ監督に僕たちがやろうとしてることをやられちゃったというか、相手の嫌なことをやって、自分たちのペースでゲームを運ぶということを前半はずっとやられていた。気持ちだけじゃなくて、しっかり戦術もすごいものがあったので、僕はちょっとベンチで見てて、びっくりじゃないけど、すごい

                                【アジアカップ】久保建英〝トルシエ魔術〟に衝撃「ベンチで見てて、圧倒された感じがあった」(東スポWEB) - Yahoo!ニュース
                              • これからのサッカー日本代表監督について懲りずにまた考えてみた - sugarless time

                                出典:JFA | JFA|公益財団法人日本サッカー協会 2022年も終わりに差し迫った12月28日に大方の予想通り、次期サッカー日本代表『森保』さんの続投が発表されました。 www.asahi.com 個人的には過去記事にも書いてますが、現在のサッカー日本代表の置かれた環境を考えるとベターだと思っていますが、森保さん本人だけじゃなく、森保さんご家族のこの4年間(特にワールドカップ予選が始まってから)は大変な負担だったでしょうから森保さんの意志で続投はないかと思っていたので、けっこう意外な感じがしました。 ⇩⇩過去記事はこちら⇩⇩ www.sugarless-time.com 協会も懐具合とかリスクをかけたくないといった消極的な部分もあったと思いますけど、繰り返しますが現在のサッカー日本代表の置かれた環境を考えると外国人監督というのはサラリーの問題、代表監督としての稼働時間の縮小問題、それに

                                • トルシエがダバディに明かす日韓W杯トルコ戦の真実。「私の采配ミス」とは?(フローラン・ダバディ)

                                  「私は初めてトルコ戦を観直しましたよ。日本代表はボールを支配しているし、終始トルコと五分五分でした。ナカタ(中田英寿)とオノ(小野伸二)はやはり上手で、本当に悔しいです」 私は言葉を続けましたが赤鬼は反応しない。むしろさらに黙りこみました。 ベトナムのU-19代表監督としてAFC U-19選手権2020に出発する前、ハノイの自宅からZoomで話してくれる約束でしたが、いきなり袋小路に入ってしまいました。 「試合を観る気持ちはないよ」 私の質問がいけなかったのでしょうか。2つ目のセリフも、社交辞令で言った訳ではありません。DVDであの日韓大会のベスト16での敗退をフルタイムで観ましたが、記憶していたほどひどい試合ではありませんでした。 失点は早すぎたけれど、アレックス(三都主アレサンドロ)のクロスバー直撃弾を含め、五分五分というより日本は押していました。西澤明訓だってシュートを枠に飛ばしてい

                                    トルシエがダバディに明かす日韓W杯トルコ戦の真実。「私の采配ミス」とは?(フローラン・ダバディ)
                                  • 「情けないのは親の教育」トルシエの元通訳が仏代表2選手の日本人差別疑惑に見解「それが面白いと信じている」(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース

                                    フランスと日本に深い繋がりを持つ“識者”が、バルセロナ所属のフランス代表ウスマンヌ・デンベレとアントワーヌ・グリエーズマンによる日本人差別疑惑に私見を述べている。 【関連画像】日本人スタッフを侮辱か。流出した問題の動画の静止映像 事の発端は2019年、バルセロナがプレシーズンツアーで来日した際の映像が流出したことだ。ホテルの一室で、ゲームのセッティングを行なうスタッフを待つ間、デンベレが隣にいるグリエーズマンに対して、「この醜い顔は、PES(日本名『ウイニングイレブン』)をプレーするためにいる。恥ずかしくないのだろうか」とつぶやいた。 さらには、部屋にいる日本人スタッフの仕事ぶりに対して、「どんな言語なんだ、これは?」「君たちは技術的に進んでいるのか、いないのか。国としては発展しているはずだよな?」とフランス語で馬鹿にするような発言をしていたのだ。 海外メディアでも取り上げられ、騒動が大き

                                      「情けないのは親の教育」トルシエの元通訳が仏代表2選手の日本人差別疑惑に見解「それが面白いと信じている」(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース
                                    • 結局はグラウンドですよ……曽ヶ端準が考えるGKに必要な経験とは【サッカー、ときどきごはん】

                                      結局はグラウンドですよ……曽ヶ端準が考えるGKに必要な経験とは【サッカー、ときどきごはん】 2020年01月08日 7時00分 カテゴリ: ★無料記事 • インタビュー • サッカー、ときどきごはん タグ : pickup • targmar • 鹿島アントラーズ いつもは表情をあまり変えない曽ヶ端準が 自分のサッカー人生を振り返るときは 本当に楽しそうに語り出した その表情はサッカー少年そのものだった 鹿島で数多くのタイトルを獲ったからではない 苦しかった時期を乗り切ったからではない まだ少年だった曽ヶ端が抱いた夢を 今も実現し続けているからこその満面の笑みだった ▼地元のクラブに入り、一歩ずつレギュラーに近づく日々 自分のサッカー人生を振り返ると本当に幸せで。まず地元のこのチームに入れたってことがすごく幸せなことですね。他のチームでも地元でプロになった人ってほとんどいないと思いますし。

                                        結局はグラウンドですよ……曽ヶ端準が考えるGKに必要な経験とは【サッカー、ときどきごはん】
                                      • トルシエ氏「私は根性論は一切信じない」中田英寿とは「意見も一致していた」/20年後の証言1 - 日本代表 : 日刊スポーツ

                                        5月31日はサッカー2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会の開幕20周年となる。日刊スポーツでは「2002年W杯 20年後の証言」と題して、当時のキーマンたちが語る秘話などを4回にわたり連載する。第1回は日本代表を率いたフィリップ・トルシエ監督(67)。時に周囲と衝突しながら、日本をW杯初の決勝トーナメントに導いた濃密な4年間を振り返った。 トルシエ氏は98年9月に日本サッカー協会と日本代表監督に就任する契約を結んだ。日本が初出場したW杯フランス大会直後、日本サッカー協会の相談を受けたフランスサッカー協会のベルバック副会長が、推薦したのがきっかけだった。 トルシエ 日本からオファーが届いた時、私は1964年の東京五輪やパリで上映された数々の日本映画のことが頭に浮かんできた。魅力的で神秘的な東洋の国という漠然としたイメージだった。大勢のフランス人は親日で、日本に行く。そんな偉大な国からオフ

                                          トルシエ氏「私は根性論は一切信じない」中田英寿とは「意見も一致していた」/20年後の証言1 - 日本代表 : 日刊スポーツ
                                        • ダバディ氏が、ひろゆき氏が…仏代表FWの“差別発言問題”で意見飛び交う | ゲキサカ

                                          フランス代表FWアントワーヌ・グリーズマンと同FWウスマン・デンベレが19年に来日した際にホテルの一室で日本人スタッフを侮辱するかのような発言、態度を取った動画が拡散された問題だが、騒ぎは拡大している。 2選手は5日にそれぞれのSNSアカウントを通じ謝罪メッセージを投稿。しかしデンベレが「地球上のどこで起きても同じ表現を使っていただろう。特定のコミュニティを標的にしたわけではない、私はプライベートで、友人と、相手がどこの国の人であろうと、このような表現を使うことがある。舞台がたまたま日本だっただけ」。 グリーズマンが「私はどんな差別にも反対してきた。ここ数日、とある人々が私を自分ではないような姿に見せようとしている。私に対する非難には断固反論する」などとしたことで、火に油を注ぐ事態にもなっている。 これには日本の関係者も過敏に反応。両選手が所属するバルセロナのメインスポンサーを務める楽天グ

                                          • トルシエがU-23日本代表に失望……。「選手達の野心のなさには驚いた」(田村修一)

                                            右から、森保一監督、横内昭展コーチ、栗原克志コーチ、下田崇GKコーチ、松本良一フィジカルコーチ……チーム編成の難しさをどう乗り切るか? AFC・U23選手権グループリーグ最終戦のカタール戦は、すでに敗退が決まった日本にとって、ある意味チームの真価が問われる試合でもあった。 レフリーやVARの不可解な判定があったとはいえ、初勝利をあげられずに終わったこの試合を、フィリップ・トルシエはどう見たのか。また、グループ最下位に終わった日本代表を彼はどう総括するのか。トルシエに聞いた。 「私にとってこの3試合に違いはない」 ――サリュ、フィリップ。 「試合後の監督会見には出たのか?」 ――ちょうど今終わったところです。今日のカタール戦に関しては、10人になった後半は悪くはなかったと森保(一)監督は言っていました。 「彼に多くの選択肢がなかったのは事実だが、この第3戦でも日本の攻めが効率的でないのは明ら

                                              トルシエがU-23日本代表に失望……。「選手達の野心のなさには驚いた」(田村修一)
                                            • 安全標語自動作成 〜更新ボタンを押すだけで安全標語をどんどん作成〜

                                              リンク 安全標語の作り方 安全標語作成方法のヒント キーワード解説 過去の安全週間 安全標語ア行 安全標語カ行 安全標語サ行 安全標語タ行 安全標語ナ行 安全標語ハ行 安全標語マ行 安全標語ヤ行 安全標語ラ行 安全標語ワ行 安全標語自動作成の使い方 (1)画面が表示されると「5,7,5」の安全標語のキーワードが自動で表示されます。 (2)変更したいキーワードを変更します。 (3)残したいキーワードの前のチェックボックスにチェックをいれます。 (4)「更新する」ボタンを押下するとチェックがはいっていないキーワードが入れ替わります。 (5)最適な安全標語になるまで「更新する」ボタンを押してください。 リンク 安全標語自動作成 安全衛生標語自動作成 交通安全標語自動作成 5S標語自動作成 品質標語自動作成 人権標語自動作成 環境標語自動作成 健康標語自動作成 防火標語自動作成 選挙標語自動作成

                                              • 森保監督擁護というかこれからのサッカー日本代表監督について思うこと - sugarless time

                                                2020Jリーグが始まって、開幕戦で勝点2を取り損ねた我らが横浜Fマリノスについても書きたいところですが、今さら日本代表についてです(汗) 出典:JFA|公益財団法人日本サッカー協会 2022年ワールドカップアジア最終予選アウェイでのオマーン戦を辛勝してほとんどのメディアが首の皮が繋がったとする森保サッカー日本代表監督。 森保監督を擁護するつもりはないけれど、多くのメディアも識者もこぞって批判を繰り返すことに違和感がある。 年が明けてホームでの正念場サウジアラビア戦に勝利するも、オマーン戦前後よりは大人しくなったものの手の平を返すというところまでには至っていない。 ヤフコメなんぞは相変わらずの森保監督批判で溢れ、その多くは森保監督の戦術に関するもの、川崎フロンターレの「鬼木監督」に交代しろとか、元横浜Fマリノス、現在スコットランドのセルティックで指揮をとる「ポステコグルー」にしろとか匿名と

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                                                • 元サッカー日本代表の守護神 楢崎正剛が語る現役引退後の生活とは? #さくマガ #さくらインターネット - さくマガ

                                                  日本代表のGKとして長年活躍した楢崎正剛氏が引退したのは2019年。その後は名古屋グランパスの「クラブスペシャルフェロー」、アカデミーダイレクター補佐、アカデミーGKコーチとして活動している。(楢崎氏の崎は、正確には「大」の部分が「立」) 選手の引退後の活動はどういうものなのか、私生活は変わったのか、そして現在の夢とインターネットではどういうことをやっているのか。現役時代とは違う穏やかな表情を浮かべながらオンラインで語ってくれた。 楢崎正剛が語る現役引退後の活動 2019年に引退した後、パブリックの部分で言えば名古屋グランパスの「クラブスペシャルフェロー」という役職をいただいて、最初の1年はGKの普及や指導、自分の経験を伝えるなどの活動をやってました。そのころはやっぱり引退して間もないということで、メディアの仕事も多かったですし、日本サッカー協会の活動もやらせていただきました。 クラブのア

                                                    元サッカー日本代表の守護神 楢崎正剛が語る現役引退後の生活とは? #さくマガ #さくらインターネット - さくマガ
                                                  • 久保竜彦の“破天荒さと凄み”を生かせなかった日本の現実 戦友たちの証言で振り返る

                                                    「サッカー界の“宝石”久保」のストーリーだと聞くと現在誰もが久保建英をイメージするだろう。しかしこれから取り上げるのは2000年代を代表するストライカー“ドラゴン”久保竜彦である。 破天荒で豪快。圧巻のバネと得点力。「宝石」とさえ呼ばれた特異な才能は、プロとしてどのように評価され、どのように評価されなかったのか。 「単独で欧州や南米の守備陣を破壊しうる人材」。そんな彼を彷彿とさせる新たな日本を代表するストライカーの出現に期待しつつ、久保竜彦の“破天荒さ”と“凄み”を数々の証言を交えて振り返る。 (文=中野和也、写真=Getty Images) 「2002年? その時は地球が滅亡するらしいから」 久保竜彦を書くと決まった時、何から書き出すか、判断に迷った。彼のプレーの素晴らしさか、それとも破天荒な生活か。 ただ、もう久保竜彦の存在自体が歴史的なものでもある。なので、彼の名言の数々をまずはご紹

                                                      久保竜彦の“破天荒さと凄み”を生かせなかった日本の現実 戦友たちの証言で振り返る
                                                    • なぜか…日本代表で輝けなかった5人の名手(1)。最強ドリブラー! だけど…全くアピールできなかったのは?(フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース

                                                      日本代表にはこれまで数多くの選手が名を連ねてきた。しかし、当然その中の全員が活躍できたわけではない。クラブで絶対的な存在になりながらも代表では…という選手も実に多い。今回は、選手層が厚すぎるがゆえに日本代表で活躍できなかった選手を紹介する。 MF:本山雅志 生年月日:1979年6月20日 日本代表成績:28試合0得点5アシスト 1999年に開催されたU-20世界選手権(ワールドユース)で、本山雅志は日本代表の一員として準優勝に貢献。小野伸二と共に大会ベストイレブンに選出された。また、高校卒業後に入団した鹿島アントラーズでは2002年に名手ビスマルクから10番を継承。最終的に18年在籍し歴代4位となる公式戦498試合に出場するなど、名実ともにクラブのレジェンドとなっている。 と、年代別代表や鹿島で確かな存在感を示してきた本山だったが、日本代表で輝きを放つことは残念ながらなかった。2000年に

                                                        なぜか…日本代表で輝けなかった5人の名手(1)。最強ドリブラー! だけど…全くアピールできなかったのは?(フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース
                                                      • トルシエが振り返る中村俊輔の一撃。「日本の運命を変えたゴールだった」(田村修一)

                                                        フィリップ・トルシエの電話インタビューを敢行したのは3月12日、新型コロナウイルスによる被害がここまで深刻化する前のことだった。前日に電話をすると、飛行機での移動があるから翌日に掛け直してくれという。 事前にメールのやり取りで、「運命の1点」という今回のテーマは伝えていた。トルシエからの返答には2つのゴールが記されており、ひとつがU-21アルゼンチン戦(1998年11月23日)での中村俊輔のゴール、もうひとつが日韓ワールドカップ・チュニジア戦(2002年6月14日)での森島寛晃のゴールだった。 ひとつを選ぶなら、中村のゴールであるという。ならばそちらだけ話を聞けばいいかと思っていたら、トルシエの方から森島のゴールについても話し始めて……。2つのゴールは彼のなかで、《始まり》と《終わり》という象徴的な意味を持っていたのだった。 このインタビューはNumber1001号に掲載したが、紙幅の都合

                                                          トルシエが振り返る中村俊輔の一撃。「日本の運命を変えたゴールだった」(田村修一)
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