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  • なろう小説「戦国時代に宇宙要塞でやってきました」。アニメ化無理そうだけど面白い - 仮想と現実

    www.amazon.co.jp 「小説家になろう」で連載されている小説「戦国時代に宇宙要塞でやってきました」。「なろう」連載小説は一時300本くらいブックマークしてたのだけど、いまでも毎日公開を楽しみにしてるのはこれと「マギクラフト・マイスター」くらいだ。まあ、なろう独特の「人気作品は毎日新作公開でランキング上位に食い込む」という仕組みを追い続けるのがきつくなってしまって、最近は完結小説を探してまとめ読みすることが多いのだけど。 この作品は、VRMMO「ギャラクシー・オブ・プラネット」の廃ゲーマー、アレックスこと久遠一馬が、ゲーム中で作り上げた120人の美女/美少女アンドロイド及び、ゲーム中でも所有がとても難しい月サイズの巨大宇宙要塞シルバーンとともに、現実の戦国時代に転移してしまうという設定だ。VRMMOが実現している段階で現実の一馬のいた地球もかなり未来なのだけど、宇宙要塞や、人間と

      なろう小説「戦国時代に宇宙要塞でやってきました」。アニメ化無理そうだけど面白い - 仮想と現実
    • 『信長の野望 覇道』は自由度の低いクソゲーである件 #信長覇道|山本一郎(やまもといちろう)|note

      いま、結構かっちょいいテレビCFとか宣伝で流してる、コーエーテクモのソシャゲ『信長の野望 覇道(信長覇道)』。いわゆるトラビアンクローンから派生した村ゲーム(村ゲ)であります。実績のあるRTSライクな『三國志 覇道』のシステムを上手く発展的に流用した(はずの)システムで、戦国時代をモチーフにしたビジュアルも武将の造形もすごく伝統的な『信長の野望』シリーズをちゃんと踏襲しているし、音楽もいい感じなので、ガワの仕上がりは良いと思うんですよね。個人的に、春の雰囲気が好きです。ええ。とても。平松健治さん、ありがとう。 先日、そんな『信長覇道』について、4Gamer.netにも期待感込みでプレイレビューなど書かせていただきました。ずいぶん課金してしまいましたが、スタートダッシュして本当に楽しかった時期が、俺にもありました。 駄菓子菓子。一向にゲームシステムのクソ具合が直らず、しまいには一門レベル25

        『信長の野望 覇道』は自由度の低いクソゲーである件 #信長覇道|山本一郎(やまもといちろう)|note
      • 戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」

        こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」です。 (景徳院総門) ■武田勝頼の末路 かつては戦国最強と謳われた甲斐・武田軍…。 しかし信玄の跡を継いだ武田勝頼は、長篠設楽原の戦いでの大敗や度重なる軍役への不満鬱積もあって、次第に統率力を失っていきます。 天正10年(1582年)2月、武田一門衆の木曽義昌が離反。これを機に織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻を開始します(甲斐征伐)。 すると武田方の武将は次々と勝頼のもとを離れます。一門衆の穴山梅雪が徳川家康に通じて離反、信玄の弟・武田逍遥軒も織田軍を前に逃亡しました。 兵力を大きく減退した勝頼は、諏訪から甲斐の新府城に撤退。その新府城も未完成であったことから火を放ち放棄

          戦国の雄・甲斐武田氏、天目山に滅ぶ…武田勝頼終焉の地「景徳院」
        • 明智十兵衛光秀の同級生集めていろいろランキング ー1528年世代ー - ツクモガタリ

          戦国時代の人物で同級生ランキング3回目。 今回は2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の 主人公、明智光秀の同級生を集めて 勝手にランキングです。 明智光秀は生年については諸説あるんですけど 「麒麟がくる」での設定をベースにしています。 というわけで今回のお品書きはこちらです。 1.明智光秀の同級生は何人? 一応の注意事項 2.明智光秀の同級生たちで勝手にランキング 2.1.石高ランキング 2.2.長寿ランキング 2.3.短命ランキング 2.4.子沢山ランキング 2.5.兄弟沢山ランキング 2.6.猛者ランキング 2.7.知勇兼備の名将ランキング 2.8.国を追われた人たちランキング 2.9.権力者の怒りを買ったランキング 2.10.お坊さんランキング 2.11.文化人ランキング 2.12.カッコイイ渾名ランキング 2.13.裏切りランキング 2.14.名前読めないランキング 3.ランキ

            明智十兵衛光秀の同級生集めていろいろランキング ー1528年世代ー - ツクモガタリ
          • 『鹿児島県史料集』が便利! 鹿児島県立図書館のホームページで読める! - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

            『鹿児島県史料集』なる鹿児島県立図書館のシリーズ刊行物がある。こちらで出ている本が、島津氏や南九州の歴史を調べるときにすごく重宝するのだ! 鹿児島県立図書館には貴重な史料・資料が大量に所蔵されている。『鹿児島県史料集』は、その所蔵本をおもな底本として翻刻されたものだ。昭和34年(1959年)よりはじまり、ほぼ年1冊のペースで発行。これまでに第61集までが出ている。 そして、『鹿児島県史料集』各刊は鹿児島県立図書館のホームページ内ですべて閲覧可能なのだ。pdfが公開されている。 鹿児島県史料集はこちらで読める。 www.library.pref.kagoshima.jp とにかくイイ本が揃っている! 当ブログでは南九州の歴史をテーマにしているが、この中には参考資料としているものもかなりある。そんなわけで、全61集のうちで個人的なオススメをちょっと挙げてみる。 『島津世禄記』/第36集 『島津

              『鹿児島県史料集』が便利! 鹿児島県立図書館のホームページで読める! - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
            • 歴史人物語り#71 若き浅井氏当主にして湖北の鷹と謳われる浅井長政を一門衆として支えたけどマイナーな浅井政澄と浅井亮親 - ツクモガタリ

              今回は浅井氏を一門衆として支えた 浅井政澄(あざいまさずみ)と、 浅井亮親(あざいすけちか)。 「麒麟がくる」に登場するかどうかはともかく(?)、 浅井政澄は信長の野望シリーズに登場させてほしいと切に願っています! www6.nhk.or.jp では今回のお品書きはこちらです。 1.浅井政澄(あざいまさずみ) 2.浅井亮親(あざいすけちか) 3.「麒麟がくる」で浅井政澄と浅井亮親の登場はある?信長の野望シリーズでは? 4.まとめ また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たちは 以下の一覧記事にまとめてあります。 tsukumogatari.hatenablog.com tsukumogatari.hatenablog.com その他今までに紹介済みの戦国武将たちはこちから確認できます。 tsukumogatari.hatenablog.com まだ読んでいない武将の記事がありましたら

                歴史人物語り#71 若き浅井氏当主にして湖北の鷹と謳われる浅井長政を一門衆として支えたけどマイナーな浅井政澄と浅井亮親 - ツクモガタリ
              • 『一揆敗れて山河あり』加賀一向一揆最後の砦、鳥越城跡を巡りご先祖様への思いにふける。 - ken-j’s diary

                加賀一向一揆の里と言われる我が故郷『鳥越』 昔はよく登った鳥越地区の名所【鳥越城跡】に行ってきました。 昔からよく聞かされてきましたが、ここ加賀の里は昔、一向一揆最後の砦としたら言われてきたようです。 それではこの加賀一向一揆はどのような歴史があったのか見ていきましょう。 加賀一向一揆とは? 一向一揆最後の砦「鳥越城跡」 補足情報 まとめ 加賀一向一揆とは? 長享2年(1488年)頃から天正8年(1580年)にかけて加賀の本願寺門徒らが中心となった信徒による一揆だそうです。 内容の詳細が細かく難しいのでウィキペディアのリンクにて。 蓮如は文明6年(1474年)から文明7年(1475年)までの間、吉崎御坊(福井県あわら市)に滞在した。蓮如は親鸞以来の血脈相承を根拠として、北陸の浄土系諸門を次々と統合していった。文明5年(1473年)には富樫政親の要請を受けて守護家の内紛に介入し、翌年には富樫

                  『一揆敗れて山河あり』加賀一向一揆最後の砦、鳥越城跡を巡りご先祖様への思いにふける。 - ken-j’s diary
                • 島津氏の戦国時代を知る本、オススメをまとめてみた - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                  島津氏の歴史は面白い! その中で、戦国時代が人気だ。島津忠良(しまづただよし)・島津貴久(たかひさ)・島津義久(よしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)・島津家久(いえひさ)・島津忠恒(ただつね)・島津豊久(とよひさ)など人物もそれなりに知名度がある。 島津氏の戦国時代を知ることができる本をまとめた。記事作りでお世話になっているもの、個人的に人に薦めたくなるものを紹介してみる。 『島津貴久-戦国大名島津氏の誕生-』 『「不屈の両殿」島津義久・義弘 関ヶ原後も生き抜いた才智と武勇』 『島津義弘の賭け』 『関ヶ原 島津退き口 -義弘と家康―知られざる秘史-』 『図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル』 『九州戦国城郭史: 大名・国衆たちの築城記』 『戦国武将列伝11 九州編』 『現代語訳 上井覚兼日記 ―天正十年(一五八二)十一月~天正十一年(一五八三)十一月』 『現代

                    島津氏の戦国時代を知る本、オススメをまとめてみた - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                  • 新納氏は14世紀から続く、じつは南九州の歴史のカギを握る一族!? - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                    戦国時代の島津氏の家臣には、新納氏の名が見える。それなりに知られている人物としては新納忠元(にいろただもと)とか、新納旅庵(にいろりょあん)とか……。新納氏は島津氏の支族で、その歴史は14世紀の南北朝争乱期よりはじまる。 新納氏についてあらためて調べてみると、島津氏の歴史にものすごく絡んでくるのである。また、島津本宗家にはけっこう新納氏の血が入っていたりもする。 足利尊氏から新納院を与えられる 志布志の領主 新納忠臣 島津本宗家の外戚になる 新納氏と伊作氏 肝付氏の外戚にもなる 新納是久の娘(常盤) 新納忠澄と新納康久 新納家嫡流の隆盛と没落 新納忠元 新納忠堯 新納忠増 新納忠在(島津久元) 新納旅庵(新納長住) 新納久脩(新納中三) なお。日付については旧暦で記す。 足利尊氏から新納院を与えられる 島津氏4代当主の島津忠宗(しまづただむね)には7人の息子の名が伝わっている。その四男の島

                      新納氏は14世紀から続く、じつは南九州の歴史のカギを握る一族!? - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                    • 樺山氏についてまとめてみた、中世より存在感を放つを島津の支族 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                      島津貴久(しまづたかひさ)のいちばんの協力者は、樺山善久(かばやまよしひさ)であろう。 16世紀の南九州において、島津氏は一族で覇権を争った。本家筋の奥州家と、分家の薩州家と相州家と。この中で抗争を制したのが相州家の島津貴久だった。樺山善久は一貫して相州家に協力し、覇権の確立とその後の勢力拡大に貢献する。 樺山氏は島津氏の支族である。その歴史は南北朝争乱期にまで遡る。そして、なかなかの存在感を放っているのだ。そんな樺山氏について、ちょっとまとめてみた。 初代/島津資久(樺山資久) 2代/島津音久(樺山音久) 3代/樺山教宗 4代/樺山孝久 5代/樺山満久 6代/樺山長久 7代/樺山広久 8代/樺山善久 島津貴久の盟友 朝鮮に出陣できず、悔しがる 娘は島津家久に嫁ぐ、島津豊久は外孫 10代/樺山忠助 11代/樺山規久 12代/樺山忠正 13代/樺山久高 17代/樺山久広 藩家老を出す 近思録

                        樺山氏についてまとめてみた、中世より存在感を放つを島津の支族 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                      • 11 魂の沃野(加賀一向一揆) 北方 謙三(2016) - 小説を 勝手にくくって 20選!

                        魂の沃野(上)【電子書籍】[ 北方謙三 ] 価格: 770 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 加賀国では、応仁の乱で東軍に属した兄富樫政親と西軍に与した弟の富樫幸千代が、守護の座を巡って争っていた。そこに浄土真宗の富田派と、蓮如の登場で門徒が急増している真宗本派の争いが加わる。一時は富樫政親が敗退するが、政親は真宗と加賀南部を領土とする有力地侍の風間小十郎を仲間に引き入れて、加賀の守護に返り咲く。政親は守護になると、一度は手を組んだ真宗(一向宗)の軍勢が次第に邪魔と感じてきた。年貢も本願寺に寄進するものが多く、政親は次第に国人たちに強引な年貢の徴収を命じるようになる。 戦いにおいて峻厳な規律で圧倒的な強さを見せつけ、地侍そして守護の富樫政親からも一目置かれた風間小十郎。小十郎は一向宗の門徒ではないが、寺や講には敵対しないように領地経営を行っていた。しかし一向宗の僧侶たちは寄進を強要して大き

                        • 禰寝氏(小松氏)は南九州の古族なり、小松帯刀や山本権兵衛もこの一族 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                          江戸時代末期(19世紀後半)の薩摩藩の家老に小松清廉(こまつきよかど)がいる。「小松帯刀(たてわき)」という通称のほうでよく知られていることだろう。この小松清廉(小松帯刀)は小松氏の29代当主である。 「29代」ということは、……単純計算で「4代で100年」と考えると700年くらい。つまり、ものすごく古い家柄なのだ。実際に初代は12世紀~13世紀の人物だ。 小松氏はもともとは禰寝(ねじめ)氏を称した。初代は禰寝清重(ねじめきよしげ)という。「建部清重(たけべのきよしげ)」「平清重(たいらのきよしげ)」と呼ばれたりもする。 禰寝氏は南九州の歴史においてちょくちょく登場し、なかなかに存在感のある一族なのだ。そんな禰寝氏について調べてみた。 「禰寝」って何だ? 「小松」に改姓、なぜ? じつのところは建部氏 禰寝氏と菱刈氏の争い 南大隅の支配者 南北朝争乱期、北朝方につく 戦乱つづく 戦国時代を生

                            禰寝氏(小松氏)は南九州の古族なり、小松帯刀や山本権兵衛もこの一族 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                          • 上井城跡にのぼってみた、上井覚兼ゆかりの山城は古代からの激戦地 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                            上井覚兼(うわいかくけん)という人物がいる。16世紀後半に島津義久(しまづよしひさ)の老中を務め、島津氏の勢力拡大の中で活躍した。『上井覚兼日記』という一級史料を残したことでもよく知られている。 上井氏の名乗りは、大隅国囎唹郡(そおのこおり、そおぐん)の上井(うわい)にちなむ。現在の鹿児島県霧島市国分上井のあたりだ。この地にある「国分南公園」は山城跡で、ここが上井城(うわいじょうあと)である。別名に久満崎城(くまさきじょう)とも。 運動公園の登山口から 上井氏(諏訪氏) 上井氏の戦いの記録 上井覚兼 『上井覚兼日記』 隼人の古城か? 秦氏の存在も見え隠れする場所 なお、日付は旧暦にて記す。 運動公園の登山口から 国分上井のあたりは平野が広がっている。そこへ山塊から尾根が伸びてきている。その尾根先が上井城跡だ。このあたりの道路を走っていて、とりあえず山のほうを目指す。国分南公園(上井城跡)へ

                              上井城跡にのぼってみた、上井覚兼ゆかりの山城は古代からの激戦地 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                            • 父の家臣とうまく行かず指揮系統はガタガタ…武田家を滅亡させた勝頼は"ダメな三代目"だったのか 勝頼は信長・家康に勝って家臣を従わせようとした

                              信玄が美貌で有名な姫を側室にして勝頼が生まれた 武田勝頼は、父信玄の遺言に従い、その死をひた隠しにし、信玄の病臥による隠居と自身の家督相続を内外に公表した。もし、武田信玄と嫡男太郎義信との間に、何事もなければ、武田勝頼は、諏方すわ四郎神勝頼(勝頼は諏方家の男子と位置づけられていたので、源氏ではなく諏方神氏を称した)として、高遠城主のまま、兄義信を支える武田御一門衆の一員として生涯を終えたことであろう。だが、兄の横死と父の急逝で、図らずも武田家当主に就任することとなったのである。 勝頼の生涯には、その誕生時から様々なしがらみによる暗い影がつきまとう。勝頼の生母は、諏方頼重の息女乾福寺殿(以下、諏方御料人)である。諏方御料人は、諏方頼重と側室麻績(小見)の方との間に誕生した。彼女の生年は、明らかではないが、『甲陽軍鑑』にその手がかりが記されている。若き信玄が、美貌で評判の諏方御料人を側室として

                                父の家臣とうまく行かず指揮系統はガタガタ…武田家を滅亡させた勝頼は"ダメな三代目"だったのか 勝頼は信長・家康に勝って家臣を従わせようとした
                              • 島津氏の薩州家のこと【前編】 分家から本流になりかけるが…… - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                                島津氏15代当主の島津貴久(しまづたかひさ)は、もともとは分家の相州家(そうしゅうけ)の生まれだ。16世紀半ばに一族の抗争を制し、分家から島津家の本流となった。 島津貴久と覇権を争ったのが、薩州家(さっしゅうけ)の島津実久(しまづさねひさ)だった。薩州家は敗れた。 15世紀から薩州家は島津氏の分家の筆頭格という感じだった。大きな勢力を有し、島津家の覇権にも近かった。本家筋にあたる奥州家(おうしゅうけ)を支え、またあるときは脅かす存在にもなった。 じつは、薩州家の当主が守護職を得たとされる時期もある。島津家の本流になりかけることも何度かあった。だが、本流になることはできなかった……。 そんな薩州家の足取りを追ってみたい。 島津氏には分家が多い 島津用久は当主に擁立された? 島津国久、次期当主に指名されるが…… 薩州家・豊州家の反乱 伊作久逸の乱、島津国久が奔走 薩州家の内紛 三州大乱の激化、

                                  島津氏の薩州家のこと【前編】 分家から本流になりかけるが…… - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                                • 『図説 中世島津氏』(編著/新名一仁)、島津氏の中世史はずっと戦乱 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                                  これ、素晴らしい一冊だ! 帯には「戦後初の中世島津氏本格的通史!」の文字。そのとおりの内容となっている。「ずっとこんな本が欲しかった」と、個人的に思っていた。 『図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル』 編著/新名一仁 発行/戎光祥出版 2023年10月発売 (C)EBISUKOSYO PUBLICATION CO.,LTD. 2023 図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル 戎光祥出版 Amazon 戎光祥出版のホームページはこちら www.ebisukosyo.co.jp 島津氏の歴史は長い。12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が南九州に所領を得たことに始まる。島津荘(しまづのしょう)の地頭職に補任されたことから「島津」を名乗りとした。この島津忠久(惟宗忠久)から、島津氏の南九州支配は明治維新まで続くことになるのである。 『図説 中世島津氏』では、島津氏の歴史

                                    『図説 中世島津氏』(編著/新名一仁)、島津氏の中世史はずっと戦乱 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                                  • 【初心者が無料で使える!】5つの生成AIを使ってみよう! - 中年独身男のお役立ち情報局

                                    おまけ:信長の野望天翔記のイラストを生成してもらいました。 ウェブ情報から抽出されて間違いがなく、信長の野望天翔記の特徴と魅力が記載されています。 但し、他のAIと比べると、情報量が少ないです。 cohere Command R+(ウェブ検索モード) 光栄(現・コーエーテクモゲームス)から発売された歴史シミュレーションゲーム「信長の野望シリーズ」の第6作目である『信長の野望・天翔記』は、1994年12月に発売されました。 PC-9801版が発売された後、さまざまなパソコン機種や家庭用ゲーム機などに移植されました。 このゲームの特徴は、以下の通りです。 1年を春、夏、秋、冬の4期に分け、3ヶ月ごとにターンが進むターン制 教育や経験によって、凡将をそこそこ有能な武将に育てられる 率いることができる兵力は、勲功をためて昇進させないと増えない 城の数が214もある 合戦フェーズが戦略的で楽しい 兵

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                                    • <小田原北条氏の防衛戦(その7)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(2) - 歴史ぶらり1人旅

                                      こんにちは。rekikakkunです。 あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 前回は山中城を探訪して、岱崎出丸、三の丸、 西櫓をご紹介致しました。 今回もその続きになります。 5.山中城攻防戦 1)山中城 縄張図 2)攻城戦の概要 3)山中城アクセス 4)山中城探訪 ①岱崎出丸 ②三の丸 ③西櫓 ④畝三昧 ⑤西の丸 ⇐ 今回はここからです。 山中城の西側は、西櫓を越えると西の丸になります。 西櫓は西の丸虎口の馬出しの役割として説明されてます。 西櫓と西の丸 角馬出の説明板 ただし西櫓は捨曲輪みたいな扱いで、木橋も無く、 西の丸への直接射撃を遠くする為のスペース として使ったのかも、という記事も見ました。 西櫓へ攻撃する敵に対し、西の丸はサポート し難そうなので、なるほどな~と思います。 (西櫓、西の丸は下の縄張図の右上です) 山中城 縄張図 西の丸全景 (奥に

                                        <小田原北条氏の防衛戦(その7)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(2) - 歴史ぶらり1人旅
                                      • 【信長の野望 覇道】上州の黄斑【プレイ日記】 - Satomo-blog

                                        今回も信長の野望覇道について書いていきます。 まだまだやり始めたばかりで、知らないことや間違った情報を書いてしまうかもしれませんが、都度都度修正しながら書いていこうと思いますので、暖かい目で見守ってください。 今回は遊び方についてザクっと書きます。 前回の記事↓ www.masatomom.com ●遊び方 ゲームを始めたばかりの頃は何も色がついていない領土から始まります。 チュートリアルを進めていくと領土獲得ミッションがあるので、そこで領土を奪い移動範囲を広げていきます。 真ん中の白丸が占領されていない領土で、周りの青い領土が自身の大名家の領土となります。 三国志覇道と違い、どこでも任意で遷都できる訳ではなく、【自領移転令】というアイテムを使用して、自分もしくは一門が獲得した領土に移動できます。 また領土を獲得するには【威信旗】が必要になり、ミッションなどで本数が増えていきます。 隣接し

                                          【信長の野望 覇道】上州の黄斑【プレイ日記】 - Satomo-blog
                                        • 島津貴久の戦い、分家から薩摩の覇者へ ~戦国時代の南九州、激動の16世紀【まとめ】~ - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                                          南九州は14世紀より戦乱が続く。島津氏は薩摩国・大隅国・日向国の守護職にあるが、一族の抗争が絶えず。ずっと領内を統治しきれないのであった。 14世紀から15世紀にかけての混乱期についてはこちら。 rekishikomugae.net rekishikomugae.net 16世紀に入って、ようやく島津氏領内をまとめあげる人物が登場する。島津貴久(しまづたかひさ)である。分家から当主の座につき、反抗する一門衆や国人衆をおさえ込み、支配体制をかためていく。その過程を一気にたどってみる。 薩隅日三州大乱 薩州家が主導か? 相州家が政権を掌握、島津貴久が擁立される 薩州家の反撃、前当主の復帰 島津忠良・島津貴久の反撃 加世田・谷山・河邊・市来を攻略 13人衆の反乱、西大隅の戦い 清水の動乱、本田氏の没落 大隅合戦 飫肥の役 廻城の戦い 島津氏が真幸院を取る 菱刈・大口の戦い、島津貴久が薩摩平定 な

                                            島津貴久の戦い、分家から薩摩の覇者へ ~戦国時代の南九州、激動の16世紀【まとめ】~ - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                                          • [プレイレポート]「信長の野望 覇道」の浅井家に,我らの姉小路家が降臨!

                                            [プレイレポート]「信長の野望 覇道」の浅井家に,我らの姉小路家が降臨! ライター:山本一郎 皆さん,「信長の野望 覇道」(以下,信長の覇道。PC / iOS / Android)やってますか。年末のこのクソ忙しい時期にローンチしてしまった「信長の覇道」,うっかり手を出して大変なことになっている皆さんも少なくないんじゃないかと思います。ざまあ。 クローズドベータテストではもうちょっと……あの,まあ,どうにかならないのかなこれ,と思いながらプレイしておりましたが,正式サービス開始以降も,ええとその……ちょっとどうなのかなという点もありますけど,スピード感のある修正がいいですね! 旗の数とか! そんなわけで今回は,弱小大名魂を心に秘めたメンバーで,5鯖浅井家を盛り立てる! そんな武将たちのドラマを,初心者向け序盤解説も含めて書いてみた! みんな心して読め。 「信長の野望 覇道」公式サイト 5鯖

                                              [プレイレポート]「信長の野望 覇道」の浅井家に,我らの姉小路家が降臨!
                                            • 筒井順慶とは何者か - 大和徒然草子

                                              皆さんこんにちは。 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」にいよいよ筒井順慶が登場しました。 戦国時代に関心がある方なら、名前くらいは聞いたことがある、という人も多いかもしれないですが、ドラマや小説などに取り上げられることも少なく、一般的な知名度は正直低いかもしれません。 「元の木阿弥」「洞が峠を決め込む」といったワードを連想する人も多いかもしれないですね。 戦国の大事件、本能寺の変とその後の天下の動向に、深く関わった人物にもかかわらず、今までは大河ドラマでも、ほとんど無視され続けたと言ってよいかと思います。 従来の戦国ドラマは、三英傑を生み、江戸時代のほとんどの殿様たちのご先祖になる、東海地方出身の武将たちが、高い評価を受けがちでした。 その一方で、本来全国政治の中心である畿内の武将たちは、三英傑に粉砕される当て馬のような扱いがほとんどだったんじゃないでしょうか。 しかし、「麒麟がくる」では

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                                              • 細川京兆家の分裂と大和国人一揆の終焉~大和武士の興亡(9) - 大和徒然草子

                                                大和国内は南北朝の動乱以降、国人同士の争いが絶えず、領土の奪い合いは日常茶飯事でした。 しかし、支配地の移動はあくまで興福寺・春日大社の衆徒・国民間の中だけに限られてきました。 しかし1497(明応6)年、畠山尚順は敵対する畠山義豊に与した大和国人・万歳氏、布施氏の領地を攻め取ると、闕所となった両氏の所領を配下に与え、他国衆による大和への侵略は、興福寺と大和国人たちに大きな衝撃を与えます。 そして1499(明応8)年に始まる細川政元被官・赤沢朝経による大和侵攻を目前にして、ついに南北朝時代以来の宿敵同士である筒井氏、越智氏が同盟。 赤沢朝経に与した古市氏を除くほぼすべての大和国人が一揆を結んで他国衆に対抗します。 大和国人一揆は団結して赤沢朝経率いる京衆に立ち向かいましたが、2度に渡る侵攻は京衆の勝利に終わり、1506(永正3)年に国中(くんなか=奈良盆地)一帯は赤沢朝経の支配下に入りまし

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                                                • <小田原北条氏の防衛戦(その6)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(1) - 歴史ぶらり1人旅

                                                  こんにちは。rekikakkunです。 いよいよ北条軍と豊臣軍との開戦でございます。 前々回の投稿では、秀吉が箱根の手前に到着し、 山中城を視察したところまでお話しました。 その続きとなります。 視察の翌日、天正18年3月29日の朝、 いよいよ北条軍と豊臣主力軍との戦端が開かれます。 山中城へ豊臣秀次、徳川家康を中心とした軍勢にて攻撃。 韮山城へは織田信雄、蒲生氏郷らを派遣し包囲を 開始します。 下マップでは、①山中城、⑭韮山城です。 5.山中城の戦い 1)山中城 縄張図 山中城 縄張図 赤字で曲輪の名称を追記しましたが、名称は現在、 現地に掲示されている案内板に合わせてます。 攻撃は、旧東海道から岱崎出丸等を攻撃した 豊臣秀次軍と、縄張図右上の西櫓付近から 攻撃した徳川軍の2方面です。 ま、内容は諸説ある中での参考と捉えて下さいね。 2)攻城戦の概要 ①開戦日:天正18年(1590年)3

                                                    <小田原北条氏の防衛戦(その6)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(1) - 歴史ぶらり1人旅
                                                  • 歴史人物語り#55 朝倉一門の中でも筆頭格、敦賀郡司職を継承した朝倉景紀とその子・景垙と景恒、彼らが辿った悲しい末路から学ぶべきものは? - ツクモガタリ

                                                    今回は第10代朝倉氏当主・朝倉孝景の弟であり、 朝倉宗滴の養子であった朝倉景紀(あさくらかげとし)と その子の朝倉景垙(あさくらかげみつ)、 朝倉景恒(あさくらかげつね)です。 宗滴より敦賀郡司職を引き継いで朝倉氏一門の中でも 敦賀郡司家と呼ばれる名門の家柄ですが、 後の朝倉家滅亡への引き金を引いた家系でもあります。 「麒麟がくる」で登場するとしたら朝倉一門の一悶着が見れるかも!? www6.nhk.or.jp では今回のお品書きはこちらです。 1.朝倉景紀とは 2.朝倉景垙とは 3.朝倉景恒とは 4.「麒麟がくる」と信長の野望シリーズでの敦賀郡司朝倉氏 5.まとめ また過去に紹介した「麒麟がくる」にちなんだ武将たちは 以下の一覧記事にまとめてあります。 tsukumogatari.hatenablog.com tsukumogatari.hatenablog.com その他今までに紹介済

                                                      歴史人物語り#55 朝倉一門の中でも筆頭格、敦賀郡司職を継承した朝倉景紀とその子・景垙と景恒、彼らが辿った悲しい末路から学ぶべきものは? - ツクモガタリ
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