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  • 【保存版】世界史に影響を及ぼした人物ランキングベスト100【世界史入門】~歴史が苦手な人にこそ読んで欲しい~ - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~

    俺は世界史の面白さをもっと世に広めたいと思っている。 そう思って始めた「俺の世界史ブログ」だが、このブログのあらゆる方面からのトップ10記事に世界史の記事が並んだことはほとんどない。 上位に並ぶのはこのブログの看板と言ってもよい「ベスト100シリーズ」の記事であったり、日本の現状に物申す系の記事だったりする。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com これはこれでありがたいことなのであるが、やはり世界史ブログたるもの世界史記事をメインにしたいという思いがある。 そしてこのブログのキャッチコピーが「世界史を面白く」なので、できるだけ面白く読めるようにしたい。 そんな想いもあり、今回は当ブログ初の世界史をテーマにベスト100シリーズを作成することにした。 実際に作ってみるとあ

      【保存版】世界史に影響を及ぼした人物ランキングベスト100【世界史入門】~歴史が苦手な人にこそ読んで欲しい~ - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~
    • 源氏物語内に「いま『交野の少将』という小説が人気ですが」と書かれてるが、その作品が残ってないらしい。【記録する者たち】 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

      その時に流行っているモノを作中に取り入れるとすぐに意味不明になってしまうという話の元祖「源氏物語・第二帖・帚木より」 ついでに漫画によくある、物語に関係なく作者が独り言をつぶやくってのも紫式部は1000年前にやっている。 pic.twitter.com/4LRjosjnz2— 杉村喜光:知泉(源氏物語の漫画、執筆中 (@tisensugimura) October 18, 2022 古くなりかけた流行語を登場人物に言わせて別の登場人物に「古い古い」とツッコませ、更に単行本化の時に「本当に古くなった」と作者独白を書き足した漫画家師も居らっしやいますね。 元ツイートで触れられている人でもない、本ツイートをリツイートしている人でもない、また別のひらがな漫画家で。— detcha (@detcha4) 2022年10月18日 司馬遼太郎が多用して、小説らしくなくなり、司馬本人が「小説の作り方なんて

        源氏物語内に「いま『交野の少将』という小説が人気ですが」と書かれてるが、その作品が残ってないらしい。【記録する者たち】 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
      • 江戸時代の数学「和算」は何であって何でないのか|柞刈湯葉

        江戸時代の日本では、数学が子供から大人まで、殿様から町民まで楽しめる娯楽として親しまれていたという。……と聞くと「なんだなんだ、また江戸しぐさ系の作り話か」というのが平均的な令和人の感覚だろう。 現代社会の検索欄に「数学」と入力しても、予測変換に「娯楽」は出ない。一般的な人生で数学と分かちがたいのは「受験」であり、つまり立身出世の道具だ。必要であるが楽しくはないので効率的に消化したい一日分の野菜350グラム、のような扱いになっている。 そういう時代に生きていると「数学が娯楽である社会」なんてものは想像しづらいが、考えてみると「頭を使うエンタメ」は古今東西どの社会に存在する。囲碁将棋はずっと定番コンテンツだし、どのチャンネルでもクイズ番組をやっているし、大抵のバトル漫画は単なる殴り合いではなく頭脳戦要素がある。世間一般の大衆は、不要なことに頭を使うのが好きなのだ。歴史のある時代に数学がその一

          江戸時代の数学「和算」は何であって何でないのか|柞刈湯葉
        • 「ハングルは日本人が広めた」はデマ:授業は日本語、ハングルは日本語理解の補助道具の扱いだった : 脱「愛国カルト」のススメ

          <ざっくり言うと> 「ハングルは日本人が広めた」という言説が広がっているが、誇張とご都合主義解釈が過ぎる。井上角五郎ら日本人の努力もあったが、金允植ら多数の朝鮮人の努力もあり、併合前に学校教育が始まり、公文書にハングルが用いられ、ハングルの新聞や小説が発表されていた。併合後、小学校で朝鮮語は必修であったが、週3時間程度で、全体の約9割の授業は日本語で行われた。最終的にはその週3時間の朝鮮語授業も廃止された。朝鮮語の正書法の作成は、併合前から始まっていた。最初の朝鮮語辞典は1920年に朝鮮総督府が作ったものだという言説が広まっているが、朝鮮総督府が作った朝鮮語辞典は韓日辞典であり、朝鮮語の国語辞典ではない。朝鮮の学校教育は朝鮮人を「天皇の忠良な臣民」にすることを目的に行われた。支配末期には朝鮮語学会の弾圧も行われた。朝鮮人が自主的に開いた夜学での識字教育が行われていた。 目次 「ハングルは日

            「ハングルは日本人が広めた」はデマ:授業は日本語、ハングルは日本語理解の補助道具の扱いだった : 脱「愛国カルト」のススメ
          • 光秀=「温厚な常識人」は一つのベストセラーがつくった。呉座勇一、待望の新連載!「戦国武将、虚像と実像」 | カドブン

            はじめに 織田おだ信長のぶながや豊臣とよとみ秀吉ひでよしや徳川とくがわ家康いえやすといった戦国武将に関しては、だいたいこういう人物だろうというイメージを皆が持っている。その人物像は小説やドラマ、映画などに淵源えんげんしていることが多いので、人それぞれ違う、ということはあまりない。秀吉は人たらし、家康は狸親父たぬきおやじといったイメージが世間一般に広く流通している。 だが、そうした人物像は必ずしも固定的なものではない。昔からずっと同じイメージで語られてきたわけではなくて、時代ごとにイメージは変わっている。我々が抱いている信長像や秀吉像は何百年も前に作られたものではなく、意外と最近、たとえば司馬しば遼太郎りょうたろうが作ったイメージに左右されている、ということが結構ある。そこでこの連載では、信長像や秀吉像が時代によってどう変遷したかということと、実際はどういう人だったのかということを、述べたい

              光秀=「温厚な常識人」は一つのベストセラーがつくった。呉座勇一、待望の新連載!「戦国武将、虚像と実像」 | カドブン
            • 北斗七星と人間の寿命や運命の話

              『北斗の拳』が大ヒットした当時、学校の見学旅行でプラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座・北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。 『北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特に、プラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的な正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。 この北斗七星の柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士の視力を検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エ

                北斗七星と人間の寿命や運命の話
              • 💠大納言公任(55番)🌿滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                💠大納言公任(55番) 千載集 雑上・1035 🌿 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 〜滝の流れる水音は、 聞こえなくなってから もうずいぶんになるけれども、 その名声だけは、 今なお聞こえていることだよ。 💠大納言公任💠 だいなごんきんとう 💠藤原公任💠ふじわらのきんとう(966~1041) 平安中期の歌人。藤原定頼の父。 『和漢朗詠集』『拾遺抄』『三十六人撰』を撰し、 『公任集』などを著す。 大鏡、三舟の才の逸話でも知られる。 平安時代の貴族の男性が嗜みは、漢詩、管弦、和歌🍀 藤原公任様は、菅氏も管弦も和歌も超一流だったのでございます🌟 この公任様の有名なエピソードが『大鏡』にあります。 ある年、入道殿(道長)が大井川で舟遊びをなさった時、 作文(漢詩)の舟、 音楽の舟、和歌の舟とお分けになって、 それぞれの道に優れた人々を お乗せになら

                  💠大納言公任(55番)🌿滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                • 戦前戦中に出版された沖縄に関する書籍を読む~~『沖縄よ何処へ : 琉球史物語』『ペルリ提督琉球訪問記』

                  沖縄は、江戸時代以来薩摩藩の支配下にありながら、清国にも朝貢していたことが教科書で書かれていたが、もう少し詳しく知りたいと思って「国立国会図書館デジタルコレクション」で沖縄に関する書籍を探してみた。 最初に紹介したいのは沖縄那覇市出身で「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷(いは ふゆう)が著した『沖縄よ何処へ : 琉球史物語』という本だが、著者は薩摩藩が支配した時代から明治初期にかけて、次の様に解説している。 琉球王国は、慶長役以後は、島津氏が名義上は支那に隷せしめ実際上は自国に属せしめて、ひそかに日支貿易を営むために設けた機関に過ぎないのだから、その存在の理由がなくなるや否や、動揺を来すのは当然なことである。御維新になった結果、琉球王国はもはや島津氏の密貿易の機関ではなくなって、日本帝国の一県なる鹿児島県の管轄になったわけだから、琉球処分という問題は当然起こらざるを得なかったのである。 これ

                    戦前戦中に出版された沖縄に関する書籍を読む~~『沖縄よ何処へ : 琉球史物語』『ペルリ提督琉球訪問記』
                  • 『鹿児島県史料集』が便利! 鹿児島県立図書館のホームページで読める! - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                    『鹿児島県史料集』なる鹿児島県立図書館のシリーズ刊行物がある。こちらで出ている本が、島津氏や南九州の歴史を調べるときにすごく重宝するのだ! 鹿児島県立図書館には貴重な史料・資料が大量に所蔵されている。『鹿児島県史料集』は、その所蔵本をおもな底本として翻刻されたものだ。昭和34年(1959年)よりはじまり、ほぼ年1冊のペースで発行。これまでに第61集までが出ている。 そして、『鹿児島県史料集』各刊は鹿児島県立図書館のホームページ内ですべて閲覧可能なのだ。pdfが公開されている。 鹿児島県史料集はこちらで読める。 www.library.pref.kagoshima.jp とにかくイイ本が揃っている! 当ブログでは南九州の歴史をテーマにしているが、この中には参考資料としているものもかなりある。そんなわけで、全61集のうちで個人的なオススメをちょっと挙げてみる。 『島津世禄記』/第36集 『島津

                      『鹿児島県史料集』が便利! 鹿児島県立図書館のホームページで読める! - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                    • 国語改革を問い直す。 - 手探り、手作り🐄

                      はじめに 「歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い」 国家意識と国語表記 歴史的仮名遣いの原理 国語改革1 占領軍の権力を背景に 国語改革2 さしあたっての漢字制限 国語改革3 さしあたっての仮名遣い 国語改革4 定着と忘却 本ブログの仮名遣い 書籍案内 はじめに このブログでの日本語の書きかた、ぼくの「仮名遣い」はヘンテコです(政治年表は公共性を意識して例外的にふつうに書いてゐます)。「住んでゐます」とか「まづ、はじめに」とか、一般には見られない書きかたをしてゐます。ちょっと古臭い印象をうけるかもしれません。「ゐます」や「まづ」という書きかたは、戦前につかわれてゐた「歴史的仮名遣い」によるつづりかただからですね。これが「国語改革」によって「います」および「まず」と書くようになりました。 「ゐます」や「まづ」と書きながら、上段の文章において「つかはれて」や「書くやうに」とは書いてゐません。そこは

                        国語改革を問い直す。 - 手探り、手作り🐄
                      • 『着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕』『着眼と考え方 現代文解釈の方法〔新訂版〕』 遠藤嘉基/渡辺実 著

                        WEB 2021.11.04 「HONZ」にて紹介されました。 新聞 2021.11.02 読売新聞夕刊にて紹介されました。 WEB 2021.10.13 じんぶん堂より読書猿さんの解説が配信されました。 伝説の現代文教本が復刊! 『独学大全』読書猿がすすめる『着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕』解説 イベント 2021.10.11 三省堂書店池袋本店にて、10/11(月)~11/7(日)まで【『現代文解釈の基礎』復刊記念!読書猿オリジナル選書フェア 言葉の力を取り戻す27冊】が開催されます。 WEB 2021.9.24 「ほんのひきだし」で紹介されました。 『独学大全』読書猿が火付け役!名参考書『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』が発売前重版 リリース 2021.9.21 刊行前重版が決定しました 「国語なんてものを、まだ学ばないといけないのか」と思ったことがある。 確か中学に上がっ

                          『着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕』『着眼と考え方 現代文解釈の方法〔新訂版〕』 遠藤嘉基/渡辺実 著
                        • オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」Q&Aブログ 江戸博士が質問に答える!江戸の百科事典『和漢三才図会』の世界(福井 智一) | TECH+

                          オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」Q&Aブログ 江戸博士が質問に答える!江戸の百科事典『和漢三才図会』の世界(福井 智一) 去る2020年8月9日、日本科学未来館と国文学研究資料館がコラボして、オンラインセミナー「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」を開催しました。江戸の博物学と呼ばれる「本草学」と、江戸時代の読書事情について、国文学研究資料館教授の入口敦志さんと、人間文化研究機構総合情報発信センター研究員(人文知コミュニケーター) で、国文学研究資料館 特任助教でもある粂汐里さん、そしてわたくし日本科学未来館の科学コミュニケーター福井智一の3人でお送りしました。途中通信トラブルでご迷惑をおかけすることもありましたが、総勢359人もの方に参加いただき、100を超える質問もいただきました。 本記事では、そんなセミナー中に参加者から頂いた質問を

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                          • 『素描祖国の歴史』を読む③~~平安・鎌倉時代

                            かなの発明 『素描祖国の歴史』には政治史や外交史についてはあまり記されておらず、わが国の文化史が中心に描かれていて、平安時代については「かなの発明」について一章が設けられているだけである。 紫式部像(土佐光起画、石山寺蔵) わが国の文化史において「かなの発明」はかなり大きな出来事だと思うのだが、例えば『もう一度読む 山川の日本史』には、「平安初期の漢文学に対し、和歌がふたたびさかんになり、物語や日記があらたな文学として登場した。これは表音文字としての平がな・片かながつくられ、日本的な感情が自由に表現できるようになったためでもある」と書かれているだけだ。この程度の解説を読んだだけでは、「かなの発明」がすごいことであることを理解することは困難である。 漢字輸入当時には漢字ほど、自己の意志を他に伝え得る完全かつ便利な利器は存在しなかったに違いない。といっても、猶、漢字を以てわが国語を的確に表現す

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                            • 一進会の李容九に影響を与えた樽井藤吉の『大東合邦論』

                              これまで「歴史ノート」で、朝鮮が非常に貧しくまともな政治が行われていなかったことを書いてきた。わが国がこの隣国とどう接すべきであるかについて明治十八年(1885年)に論争が起きている。 福沢諭吉の「脱亜論」が出されたのはこの年のことだが、樽井藤吉の「大東合邦論」も同じ年に出されている。そして樽井の主張が、その後日韓併合の論議に大きな影響を与えることとなる。 なぜ日韓併合が行われた二十五年も前に、わが国で朝鮮との関係がどうあるべきかについての議論が起ったのか、当時の情勢について簡単に振り返っておこう。 甲申事変後にロシア・清・イギリスから領土を狙われた朝鮮 一八八四年(明治十七年)に朝鮮の近代化の為に起ち上がった独立党員がクーデター(甲申事変)を起こしたが失敗し、リーダーの金玉均(きんぎょくきん)らは日本に亡命し福沢諭吉らの保護を受けたのだが、翌年に金は上海に誘い出されて洪鐘宇(ホン・ジョン

                                一進会の李容九に影響を与えた樽井藤吉の『大東合邦論』
                              • 「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑴)

                                … 天文廿年辛亥十月吉日    宮後 南倉藤次へ弘幸書判 岡本鳴子や善兵衞殿參    口入 下馬所 藤二兵衞 〔読み下し〕 右、この御道者当知行相違無きもの也、然りと雖も、急用あるに依り、直銭三十五貫文、岡本鳴子屋善兵衛殿へ永代売り渡し申す処、実正明鏡なり、末代相違有るべからざるものなり、同じく天下大法の徳政ややもすれば乱れ行うとも、この道者の儀、別して申し合わす子細候間、相違すべからざるものなり、以後に違乱の儀候はば、我ら罷り出で、その裁き申すべきものなり、 (「厚木市史 中世資料編※」535〜536ページ、「平塚市史 1 (資料編 古代・中世) 本編※」では183〜185ページに同じ史料が掲載されている) この文書がどの様な性質のものであるかについては、「厚木市史」では次の様に解説しています。 中世においても伊勢神宮への参拝は盛んであり、参拝にあたっては御師が介在し、道者の世話をして金

                                  「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑴)
                                • 芥川龍之介全集ノート - 手探り、手作り🐇

                                  芥川龍之介全集 昭和2年 岩波書店 春に読み始める。 昔かなりの安値で見つけて購入して積読になってゐたのをわけもなくちょっと読んでみるかと思ったらしい。人間暇だと妙なことを考える。 全集は全七巻と別巻一冊。小説作品を収めた一巻から四巻まで頭から順番に読んでいった。五、六巻は小品、論文、紀行文、翻訳、詩、俳句など。七巻は未定稿と書簡を収め、別巻は日記が中心。 五巻以降は通読する必要もないと思うし、年末にちょうど四巻を読み終えたので、ノートはとりあえずここで終了とする。 ただ五巻から先も遺稿「西方の人」とか紀行文「支那游記」とか読んでみたいものがいくらかあるので、来年ぜひ読みたい。 芥川龍之介 1892年(明治25年) 東京市京橋区入船町に生まれる。 1913年(大正2年)  東京帝国大学文科大学英文学科へ入学。 1915年(大正4年)  代表作「羅生門」を「帝国文学」に発表。 1916年(大

                                    芥川龍之介全集ノート - 手探り、手作り🐇
                                  • 『御成敗式目』/佐藤雄基インタビュー

                                    最初の武家法として名高い御成敗式目。鎌倉幕府の基本法とも言われるが、それは本当か。どのように生まれ、何が定められ、なぜ広く知られるようになったのか――。『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』を著した佐藤雄基さんに話を聞いた。 ――まずうかがうのですが、佐藤さんのご専門は? 佐藤:日本中世史です。中世といっても、平安時代の後半(11・12世紀)から戦国時代(16世紀)まで長いのですが、特に平安~鎌倉時代(11~14世紀)を専門としています。 この時代の法制史や古文書学を主な研究テーマにしています。法制史とは「法の歴史」、古文書学とは当時の朝廷・幕府の作成した命令書や判決、土地売買の契約書などの文書(もんじょ)を分析する学問です。 そう説明すると、支配者を中心に歴史を見ていると思われるかもしれません。しかし、王を王として認める者がいなければ王は王たりえません。権力を支える中間層、さらに権力の動きを

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                                    • 辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』(岩波新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                                      1月31 辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』(岩波新書) 8点 カテゴリ:思想・心理8点 江戸時代の思想家をとり上げた本ですが、それぞれの思想家の思想を綿密に解説するのではなく、彼らがとった学びのスタイルと利用したメディアに注目して論じていることが本書の大きな特徴です。 同じく江戸の思想家をとり上げた本としては田尻祐一郎『江戸の思想史』(中公新書)があり、面白く読んだ記憶がありますが、『江戸の思想史』が儒学から蘭学までさまざまな人物をとり上げたのに対して、こちらは山崎闇斎、伊藤仁斎、荻生徂徠、貝原益軒、石田梅岩、本居宣長、平田篤胤ととり上げる人物をかなり絞っています。 その代わりに本書が注目するのは彼らの学び方であり、受容のされ方です。ここに注目することで本書は思想だけはなく、江戸時代の社会のあり方にまで考察を広めています。 日本史の教科書だとどうしても断片的にしかわからない思想家たちに、

                                      • 月ケ瀬梅林から柳生の里と近隣の寺社を巡る旅

                                        月ケ瀬梅林 そろそろ梅の花が見ごろを迎えたので、二月二十八日に月ケ瀬梅林から柳生の里を散策し、その後柳生街道沿いの寺社を訪ねてきた。 月ケ瀬梅林入り口 月ケ瀬梅林は奈良県の北東の端にあり、京都府や三重県の県境に近い場所なのだが、平成十七年(2005年)の町村合併により奈良市に編入されている。奈良市内とはいっても、奈良市の中心部からはかなり遠くて公共交通機関で行くことは難しく、殆んどの観光客がマイカーか旅行会社の企画した観光ツァーでバスで訪れる場所である。 月ケ瀬梅林 梅の品種園 旧村役場であった月ケ瀬行政センターに車を駐めて、一目八景、帆浦梅林、梅の品種園を往復する一般的なコースを歩いてきたが、月ケ瀬梅林はほかにも天神梅林、鶯谷梅林、こけいし梅林、一目万本など多くの梅林がある。芭蕉句碑が一目万本にあるようだが、昭和32年に刊行された名勝月ケ瀬学術調査団 編『名勝月ケ瀬』によると、芭蕉の時代

                                          月ケ瀬梅林から柳生の里と近隣の寺社を巡る旅
                                        • 小西甚一の古文学習三部作の価値−佐伯文法の影響を中心に− - 鶏肋断想

                                          2018年3月24日(土) 国語教育史学会・第60回例会 於早稲田大学・発表資料 小西甚一の古文学習参考書三部作の価値 −佐伯文法の影響を中心に− 國學院大學兼任講師 大東文化大學非常勤講師 岡田 誠 序 小西甚一は、日本文学研究社として数多くの分野で業績を残したが、古文の学習参考書の名著を書き残したことでも知られている。小西甚一の書いた代表的な古文の学習参考書をあげると以下の三冊になる。 『古文研究法』(洛陽社)昭和30年 『国文法ちかみち』(洛陽社)昭和34年 『古文の読解』(旺文社)昭和37年 これらの三冊は、その水準は高く、後の学習参考書の模範とされたといわれている。これらの学習参考書は、初版が旧制から新制に学校制度が切り替わってから10年以内に書かれたもので、共通一次試験、センター試験導入以前の時期であり、入試問題も現在のような客観式のマーク問題ではなく、じっくりと読解させるもの

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                                          • 史上初の「緩まないねじ」が世界を救う――小学校“自主”休学の天才発明家・道脇裕の「常識をネジろう!」 | Think Blog Japan

                                            人類にとって2000年以上も昔の紀元前から解決できなかった超難問、「緩まないねじ」を画期的な発明によって実現した天才日本人がいる。株式会社NejiLaw(ネジロウ)代表取締役社長の道脇 裕氏である。その発明の原理は19歳の時、わずか数秒で考えたという。 道脇氏が開発した「緩まないねじ(L/Rネジ)」がどれほど頑強かを物語る有名なエピソードに、米国航空宇宙規格(NAS)にのっとった耐久試験をあっさりクリアしただけでなく、逆に試験装置の方を壊してしまったということがある。その評判は瞬く間に世の中に知られることとなり、数々の賞を総なめにした。 道脇氏は小学校を5年で“自主”休学した。理由は「今の教育システムに疑問を感じる」だった。それ以来、まともに学校には行っていない。子どもの頃は大学教授の母親の研究室で実験に明け暮れ、長じては新聞配達や漁師、とび職などの職を転々としながら独学で20,000件以

                                              史上初の「緩まないねじ」が世界を救う――小学校“自主”休学の天才発明家・道脇裕の「常識をネジろう!」 | Think Blog Japan
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