砂崎良【SazakiRyo】 @SazakiRyo こちらのポストと、そのリプ&引用を見ていて「ああ確かに、現代人にはそう見えるよね」と気づきました。 #光る君へ はドラマなので、作り手さん側には作り手さんのお考えがあると思いますが、平安社会の実態と、その上に書かれた源氏物語(のフィクション性)を、ちょっと書いてみますね。 ええと… x.com/g881041/status…
岩龍寺は兵庫丹波にある弘法大師縁の山寺。 開祖は9世紀始めというからもう1200年もの歴史を持つ古刹。 山門に続く坂道。 この坂道… 映画「源氏物語 千年の謎」の中で 光源氏演じる生田斗真君が駆け上っていった場所。 (上画像は岩龍寺HP写真数より借用) 大正門と呼ばれているこの山門は 上部が鐘楼となっている二層の門。 古い歴史を感じさせる重厚な造りのこの山門。 なるほどなぁ…源氏物語の映画のロケ地に選ばれたのもよくわかる。 茅葺屋根の本堂(観音堂)もなかなか風情のある造り。 境内を奥に進むと本堂裏にある四国八十八本尊佛。 その真中に鎮座するのは弘法大師像。 お地蔵さんたちに見守られながら境内を歩く。 こんな山道を登っていくと この岩龍寺のもう一つの見どころ… 独鈷の滝へ。 落差20m弱。 そばに立つと全身に降り注ぐ水しぶきがめちゃ気持ちいい。 その昔 この寺を開いた弘法大使が独鈷を投げたと
百人一首第78番目の歌の作者は源兼昌みなもとのかねまさです。 宇多源氏に連なる人で、当時の歌壇で活躍しました。 今回は源兼昌について紹介します。 源兼昌とは 生没年は不詳です。 官位は従五位下まで。 あまり官位には恵まれませんでした。 後に出家したようです。 当時の歌壇で活躍し、勅撰和歌集に数首歌が選ばれている実力者ですが、出世にはつながらなかったようですね。 百人一首に選ばれている歌は「金葉和歌集」に収められているものです。 時代背景 歌に出てくる「須磨」とは、現在の神戸市須磨区。 対岸に淡路島が見えます。 千鳥は須磨と淡路島の間を往き来しては、物悲しく鳴きます。 平安時代の前期頃までは、摂津国と須磨国の国境に関所がありました。 その関所を守る関守は、その千鳥の鳴き声を聞くたびに、眠れない夜を過ごしたことでしょう。 この「須磨」。 「源氏物語」の主人公の光源氏が流された先でもあります。
感情表現をつぶさに描いた女性誌 千年以上経っても「感情」は変わらない 「自立的な女性」光源氏の罪がマイルドに 小説やマンガなど、形を変えて読み継がれている平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」。そのなかでも受験生が必ず読むといわれるのが少女マンガ『あさきゆめみし』(大和和紀著・講談社)です。漫画家のおかざき真里さんと編集者のたらればさんがその魅力を語りました。おかざきさんは「感情に特化して描かれていて、1000年経っても嫉妬や切なさはあるし、人を愛することは変わらないんだなって思いました」と話しました。 「あさきゆめみし 少女マンガと源氏物語」と題し、1月18日夜、Twitterのスペースにて、漫画家・おかざき真里さんと編集者・たらればさんのオンライントークを開催。講談社Kiss編集部・withnews協力。この記事は、当日のトーク内容を記事に再構成しました。この記事に続く後編はこちら
どの天皇様の御代《みよ》であったか、 女御《にょご》とか更衣《こうい》とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、 最上の貴族出身ではないが 深い御愛寵《あいちょう》を得ている人があった。 最初から自分こそはという自信と、 親兄弟の勢力に恃《たの》む所があって 宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。 その人と同等、 もしくはそれより地位の低い更衣たちは まして嫉妬の焔《ほのお》を燃やさないわけもなかった。 夜の御殿《おとど》の宿直所《とのいどころ》から退《さが》る朝、 続いてその人ばかりが召される夜、 目に見耳に聞いて口惜《くちお》しがらせた恨みのせいもあったか からだが弱くなって、 心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、 いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、 人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。 御
この記事では、滋賀県の大津市観光キャラクターの「おおつ光ルくん (おおつひかるくん)」と石山寺について紹介します。 おおつ光ルくん (おおつひかるくん) について 「おおつ光ルくん (おおつひかるくん)」は、滋賀県の大津市観光キャラクターです。公式サイトに「21世紀版光源氏」と書かれていることより 源氏物語の主人公「光源氏」がモチーフとなっており、源氏物語の作者である紫式部ゆかりの地を始め、大津市をPRしています。 詳細は、「公式サイト・その他最新情報等」にある公式サイトのプロフィールを参照して下さい。 おおつ光ルくん (おおつひかるくん) 写真集 ツーリズムEXPOジャパン2023 下の写真は、2023年に大阪にあるインデックス大阪で開催された「ツーリズムEXPOジャパン」より、「おおつ光ルくん (おおつひかるくん)」の登場です。 「おおつ光ルくん (おおつひかるくん)」のポーズ集です。
世界最古の長編小説「源氏物語」その主人公は美貌のプレイボーイ光源氏です。しかし、この光源氏、冷静に観察してみるとクズもクズの最低男。どうしてこんなクズ男の恋愛遍歴が21世紀まで読み継がれるのか不思議なほどです。しかし、そこには光源氏を引き立たせ悲劇の主人公にする、著者紫式部の説得力溢れる文章構成がありました。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテ
光源氏18歳3月から冬10月の話。 瘧(おこり、マラリア)を病んで加持(かじ)のために北山を訪れた源氏は、 通りかかった家で密かに恋焦がれる藤壺(23歳)の面影を持つ少女 (後の紫の上。10歳ほど)を垣間見た。 少女の大伯父の僧都によると彼女は藤壺の兄兵部卿宮の娘で、 父の正妻による圧力を気に病んだ母が早くに亡くなった後、 祖母の北山の尼君(40歳ほど)の元で育てられ10余年たったという。 源氏は少女の後見を申し出たが、 結婚相手とするにはあまりに少女が幼いため、尼君は本気にしなかった。 4月、病で藤壺(23歳)が里下がりし、 源氏は藤壺の侍女王命婦の手引きで再会を果たした。 その後藤壺は源氏の文も拒み続けたが、 既に藤壺は源氏の子を妊娠していた。 一方、北山の尼君はその後少女と共に都に戻っていた。 晩秋源氏は見舞いに訪れるが、尼君はそれから間もなく亡くなってしまう。 身寄りのなくなった少
光源氏25歳夏の話。 五月雨の頃、 源氏は故桐壺院の妃の一人麗景殿女御を訪ねる。 妹の三の君(花散里)は源氏の恋人で、 姉妹は院の没後源氏の庇護を頼りに ひっそりと暮らしていた。 訪問の途中、 かつて会った中川の女の元に歌を詠みかけるが、 既に心変わりしてしまったのかやんわりと拒絶される。 女御の邸は橘の花が香り、 昔を忍ばせるほととぎすの声に 源氏は女御としみじみと昔話を語り合い、 その後そっと三の君を訪れた。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdosite.com 少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com 💠聴く古典
五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。 喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、 源氏は几帳の内に蛍を放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。 予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、 玉鬘はつれなくあしらうだけだった。 (この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる) 5月5日の節句、玉鬘の下には数多くの薬玉が贈られた。 源氏は夏の町で騎射と宴を催し、その晩は花散里のところに泊まった。 やがて長雨の季節に入り、 物語に熱中する玉鬘に源氏は物語評論を聞かせ、 相も変わらず言い寄って玉鬘を困らせていた。 その頃玉鬘の実父内大臣も、 夢占でかつて夕顔との間にもうけた娘が他人の養女になっているだろうと告げられて、 まさか源氏の下にいるとは知らずにその行方を捜していた。 ↓こちらより引用いたしました。 少納言のホームページ 源
源氏物語 に「衣(きぬ)配り」と呼ばれるエピソードがあり 【光源氏が妻たち娘たちに、各自の個性を見事に反映した、正月用の衣装をプレゼントする】 って場面なのだが、あさきゆめみしの功績でかなり知られている 当時、衣装作りは妻たる者の腕の見せ所で、また妻と夫はそれぞれが財産を持っている(妻の財産は妻自身が親から相続したもの)ので、男性がヘタに恋人・妻に服贈ると侮辱になる。 「貴女はビンボー(または能力がない)だから普通はやらないことだけど恵んであげますね」的ニュアンスで源氏物語だと光源氏が貧しい末摘花に、本人から下人まで全員の為の服・生地をコンスタントに与えていて 「ズレた末摘花さまは恥じ入らないので、光源氏さまも気楽です」的に書かれてる
🪷光源氏17歳の夏。 五月雨の夜、17歳になった光源氏のもとに、頭中将が訪ねてきた。 さらに左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)も交えて、 4人で女性談義をすることになる。 この場面は慣例的に『雨夜の品定め』(あまよのしなさだめ)と呼ばれる。 「夕顔」巻には、 「ありしあま夜のしなさだめの後いぶかしく思ほしなるしなじなあるに」 とある。 左馬頭は、妻として完全な女などない。 家を治めるのは国よりもむずかしい。 妻選びに苦労するのは好色からだけではないが、 真実な心の女が望ましいといい、 体験談として嫉妬深い女が左馬頭の指に食いつき、これに腹が立ち、 かえりみなかった間に死んでしまった。 嫉妬さえなければよい女であったのに惜しいという。 つぎに、浮気な女には他に男がいて、それを見つけたので別れたという。 結論としてそのときどきに必要な良識や判断があって、 でしゃばらない謙遜
🪷光源氏31歳冬から32歳秋の話。 明石の御方は悩みぬいた末、 母尼君の説得もあって姫君を源氏に委ねることを決断する。 雪の日に源氏が姫君を迎えに訪れ、 明石の御方は涙ながらにそれを見送った。 二条院では早速盛大な袴着が行われ、 紫の上も今は姫君の可愛らしさに魅了されて、 明石の御方のことも少しは許す気になるのだった。 翌年、太政大臣(頭中将と葵の上の父)が亡くなり、 その後も天変が相次いだ。 不安定な政情の中、 3月に病に臥していた藤壺が37歳で崩御。 源氏は悲嘆のあまり、念誦堂に篭って泣き暮らした。 法要が一段落した頃、 藤壺の時代から仕えていた夜居の僧が、 冷泉帝に出生の秘密を密かに告げた。 衝撃を受けた帝は、 実の父を臣下にしておくのは忍びないと考え源氏に位を譲ろうとしたが、 源氏は強くそれを退けた。 〜出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用 ht
光源氏が須磨へ蟄居してから帰京後までの話。 源氏が都を追われ、後見を失った末摘花の生活は困窮を極めていた。 邸は荒れ果てて召使たちも去り、 受領の北の方となっている叔母が姫を娘の女房に迎えようとするが、 末摘花は応じない。 やがて源氏が帰京したが、 末摘花は相変わらず忘れられたきりで嘆きに暮れる。 そのうち叔母の夫が大宰大弐となり、 叔母は末摘花が頼りにしていた乳母子の侍従を連れて行ってしまった。 年も改まって春になり、 ある夜花散里を訪ねようと出かけた源氏は、 途中通りかかった荒れた邸が常陸宮邸であると気付く。 藤原惟光が使いに立ち、 今も末摘花が変わらず待ち続けていたことを知って、 心打たれた源氏は姫の元を訪れる。 源氏は末永い庇護を約束して再びその世話をし、 2年後に末摘花を二条東院に引き取った。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 少納言のホームページ
いいね光源氏くん💖平安貴族って可愛い🌟 ⬇︎励みになりますゆえポチッよろしくです🌷 新春のzoom笑いヨガ🎍の打ち合わせするためパソコンに向かっている少納言👩 わっはっはーーーー😝と背の君👨💼の笑い声Σ(゚д゚lll) いいね光源氏くんを見ながらヒイヒイ笑っている😅 現代日本に住むOL・藤原沙織のもとに、ある日突然『源氏物語』の主人公である架空の人物・光源氏が現れる。『源氏物語』の時代の世界に帰る手段を探す光源氏と、次元と時代を超えて現れた光源氏に混乱しつつも彼に協力する沙織の、奇妙な同居生活を描いた歴史コメディ。 「仕事中ですの、お静かに🤫」と言いかけたが、 🌄朝五時十五分からの少納言👩のzoom朝活で表情筋トレーニングと称して、 参加者様と変顔だの笑いヨガだのやってるし🕺 🌅五時半にはお友達のzoomにお邪魔してストール引っ被ってインドダンスしてるし💃‥
第14番目の歌の作者は河原左大臣こと源融。 嵯峨天皇の皇子の一人ですが、臣籍に下り源姓を名乗りました。 恋多き人だったようで、光源氏のモデルの一人とも言われています。 今回は河原左大臣こと源融を紹介します。 河原左大臣とは 時代背景 百人一首の歌 河原左大臣とは 嵯峨天皇の第十二皇子で、臣籍に降った嵯峨源氏の初代になります。左大臣などを歴任し、死後は正一位の位を贈られています。 河原左大臣と呼ばれているゆえんは、陸奥塩釜の風景を模した、贅を尽くした六条河原院を造営したため。塩釜を再現するために実際の海水を運ばせていたとのことです。 また在原業平と同じく、光源氏のモデルと考えられています。在原業平も臣籍に降って在原姓を名乗っていますが、こちらは人生の後半は失意の日々を送っていたようです。 時代背景 前回の陽成院の時にも書きましたが、時代は藤原氏の権力が強まっていた頃。藤原基経が権勢の中心にい
光源氏は、平安時代の代表的な文学作品である『源氏物語』の主人公です。類まれなる容姿と才能を持ち、情熱的な恋愛を繰り広げたことから、多くの女性の憧れの存在となっています。もし、光源氏が彼氏だったら、どのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか。また、どのような接し方をすればよいのでしょうか。 はじめに 光源氏の特徴 類まれなる容姿と才能 情熱的な恋愛 栄華と苦悩 光源氏が彼氏だったら…メリット・デメリット 【メリット】 常にモテる男性と付き合える さまざまな刺激を受けることができる 深みのある人間関係を築くことができる 【デメリット】 嫉妬心を抱きやすい 浮気をされる可能性が高い 彼の苦悩に巻き込まれる可能性が高い 光源氏が彼氏だったら…接し方 彼の魅力を認め、尊重する 彼の情熱を受け入れる 彼の苦悩を受け止め、包み込む 本日のまとめ はじめに 今回のブログでは、古典文学作品『源氏物語』
須磨《すま》の夜の源氏の夢に まざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、 帰京ができた今日になって その御菩提《ごぼだい》を早く弔いたいと仕度《したく》をしていた。 そして十月に法華経《ほけきょう》の八講が催されたのである。 参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。 光源氏28歳10月から29歳冬の話。 罪を許された光源氏は都に返り咲き、蟄居前の官位・右大将から大納言へ昇進。 参内の日を迎えた。清涼殿へ行き、兄朱雀帝と3年ぶりに再会。 兄弟水入らずの時を過ごし、その後東宮と再会。 長男・夕霧は殿上童として東宮に仕えていた。 東宮が元服を迎えたのを期に、朱雀帝は位を退き冷泉帝へ譲位した。 源氏は内大臣に昇進し、政界を引退していた左大臣が太政大臣を任じられ摂政に就任した。 一方明石の御方は無事姫君を出産、 源氏は将来后になるであろう姫君のため
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く