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  • 正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続け... | レファレンス協同データベース

    正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続けたものを見たが、意味のつながりがわからない。解説してある資料はあるか。 「それにつけても金の欲しさよ」は、金欲し付合(つけあい)と言われるもので、連歌でどんな上の句につけてもそれらしく聞こえるという。江戸中期に流行した。前半の句との関連はない。 古い記録では、藤原行定著『雑々拾遺 二』(1695(元禄8)年)に山崎宗鑑(1465?-1553?)(連歌師・俳諧師)が使ったことが記されている。『雑々拾遺』は早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧可能。 このエピソードは、向坂咬雪軒「老士語録」(1731(享保16)年序)にも書かれており、天野政徳(1784-1861)(国学者)が随筆集『天野政徳随筆』(刊年不明)の中で「宗鑑の句」と題して「老士語録」を引いて紹介している。『天野政徳随筆』は『日本随

      正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続け... | レファレンス協同データベース
    • 「野球」の名付け親、正岡子規ではなかった 「坂の上の雲」も修正:朝日新聞デジタル

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        「野球」の名付け親、正岡子規ではなかった 「坂の上の雲」も修正:朝日新聞デジタル
      • 子規の無謀、漱石の豹変、龍之介の演出、三者三様の夜間旅行 - 山下泰平の趣味の方法

        明治時代の忘れ去られた文化を調べている際に、正岡子規、夏目漱石、芥川龍之介が、それぞれ夜間旅行をしていたことに気が付いた。それぞれの旅行を比較するとなかなか面白く、記事としてまとめてみると16000文字くらいの長さになった。 夜間旅行があった 子規の無謀 漱石の豹変 芥川の演出 子規、漱石と龍之介の間 夜間旅行があった 明治三十年代から四十年終りまで、出世のための徒歩旅行があった。ほぼ無一文で家から飛び出し、心身を鍛え上げながら都会へ移り住む。都会では働きながら学問を修め、やがては一人前の男へと成長する。このプロセスをひとつの旅行として捉えたものが出世旅行である。明治の出世旅行は深く人生に結び付き、生き方を変えてしまうようなものであった。 出世旅行が登場する以前から、若者たちは謎の情熱に突き動かされ、なにかを体験しようと奇妙で無鉄砲な旅をした。彼らは様々な旅行を試行し、体験談を書き残す。そ

          子規の無謀、漱石の豹変、龍之介の演出、三者三様の夜間旅行 - 山下泰平の趣味の方法
        • 【切手買取】文化人切手シリーズ vol.12 正岡子規 - 高く買取-壱ノ型

          正岡子規切手とは 1951.9.19、文化人切手シリーズ第十一弾として、正岡子規切手が発行されました。正岡子規と言えば、喀血などで体が弱いながらも、欧米から渡ってきたベースボールに熱中し、「野球」という言葉を考え出したと言われるほど、熱中していたようですね。 四球などの現在でも使用されている野球用語も数多く考え出したようですが、実際にベースボールを「野球」と和訳した人物は子規の後輩に当たる中馬庚だったようです。 夏目漱石とも親交があり、俳人としても有名な人ですね。 正岡子規とはどういう人? 伊予松山藩士の家に生まれ、幼名は処之介、後に升となりました。雅号の一つとして自らの幼名を用い「野球(のぼーる)」としていたことで、ベースボールを和訳したのは正岡子規だという誤解が広がったようですね。しかし、その野球愛は本物で「飛球」「四球」「走者」などの野球用語の多くを考案し、2002年には新世紀特別表

            【切手買取】文化人切手シリーズ vol.12 正岡子規 - 高く買取-壱ノ型
          • 岡山県立博物館 正岡子規と仲間たち 岡山後楽園 20 : Eternal Rose (エターナルローズ)

            ご高覧いただきまして、ありがとうございます。 岡山ランチ 岡山グルメ 記事の内容は、現在のお店の詳細とは限りませんので、 出かける前にお店に確認してください。 ​新しいお店情報教えてくださいね。 食べログ      https://tabelog.com/rvwr/001238991/ Facebook     https://www.facebook.com/artemis.brilliant Twitter     https://twitter.com/xxx_artemis_xxx​ このブログで使用しているアルテミス個人の写真、イラスト、文章の著作権及び肖像権は、全てブログ主(アルテミス)が有します。 このブログに掲載のアルテミス個人の記事、文章、写真、イラスト、図表等の、無断での使用、転載、複製、改変、頒布等を禁止します。 Copyright (C) 2011 Artemis

              岡山県立博物館 正岡子規と仲間たち 岡山後楽園 20 : Eternal Rose (エターナルローズ)
            • 文豪スイング 正岡子規『ベースボール』出だしだけ それと、くろいぬin甲子園球場内の写真 - 素振り文武両道

              皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【120】バットを振りました。 正岡子規さんの『ベースボール』の 出だしだけ読みながら バットを振りました。 『ベースボール』 正岡子規, ベースボールに至りてはこれを行う者極めて少くこれを知る人の区域も甚はなはだ狭せまかりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合マッチありしより以来ベースボールという語ははしなく世人の耳に入りたり。されどもベースボールの何たるやはほとんどこれを知る人なかるべし。 もう少し分かりやすい文章にして、【言いながら】バットをふりました。 1行5回ずつ繰り返し、40振りました。 ベースボールをする者は少く、 これを知る人の区域も狭いが、 近頃、第一高等学校と、 在横浜米人との試合があって以来、 ベースボールという言葉は、 思いがけなく世間の耳に入ってきた。 けれどベースボールとは何なのか、 知る人はほとんどいない。 というこ

                文豪スイング 正岡子規『ベースボール』出だしだけ それと、くろいぬin甲子園球場内の写真 - 素振り文武両道
              • 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺🍂で有名な正岡子規様🌟実は野球と縁が深い⚾️✨ - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                ユニホーム姿の正岡子規まさおかしき⚾️ 実は野球と縁の深いのです🌟 野球といえば、正岡子規💖 なんでやねん?と思われる方、 野球用語は正岡子規様が作ったんですよお⚾️ ⬇︎コロナ禍を乗り越えたら野球王国松山に🌟記事引用💠 松山が生んだ俳人正岡子規 子規の没後100年の平成14年に、正岡子規は野球殿堂入りを果たしました。 アメリカ発祥のベースボールを、正岡子規は自らプレーし、広め、野球を題材とした俳句を数多く詠み残しました。 正岡子規が訳した野球用語で現在も使われているものは「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などがあります。正岡子規はまさに日本における「野球の祖」といえる人物なのです! そうなのです、今でもお馴染みの野球用語は正岡子規様の訳なのですよ🌟⚾️ 野球を楽しみ、健やかに人生を謳歌していましたが、突然の病魔に襲われることになりました🍂 彼が初めて喀血したのは、21歳

                  柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺🍂で有名な正岡子規様🌟実は野球と縁が深い⚾️✨ - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                • 文豪スイング 正岡子規『病牀六尺』「嬉しいことを書いてみたい」 - 素振り文武両道

                  皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【110】バットを振りました。 文豪、正岡子規の『病牀六尺』 を読みながらバットを振りました。 『あらすじで読む日本の名著3』 より引用。出だしだけ。 正岡子規『病牀六尺』 病床六尺、これが私の世界である。しかもこのたたみ六尺の病床が私には広すぎるのである。わずかに手を伸ばして畳に触れることがあるが、布団の外まで足を伸ばして体をくつろぐこともできない。極端な苦痛で身動きのとれぬときもあるが、苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤など、一条の活路を求めて少しの安楽を貪るはかなさがある。それでも生きていれば、言いたいことは言いたいもので、新聞雑誌の類から腹の立つことや、なんとなくうれしいことを書いてみたい。 ピンクの10行を【言って振り】 3回繰り返し、30スイングでした。 病床六尺、これが私の世界である。 しかもこの病床が私には広すぎる。 足を伸ばしくつろぐこともでき

                    文豪スイング 正岡子規『病牀六尺』「嬉しいことを書いてみたい」 - 素振り文武両道
                  • 古寺に 灯のともりたる 紅葉哉 (正岡子規) - テイルズ・オブ・シングルマン

                    ★ 立ちすくむ 目奪う紅葉 空の蒼 (テイルズ) 皆さんおはようございます。 こんにちは、こんばんはです♪ タイトルは正岡子規の有名な句です。 紅葉をライトアップする術がなかった時代 古寺に灯ったあかりに照らされた紅葉の美しさに目を奪われた子規 その時の驚きと感動が17文字に凝縮されていますね。 ライトアップされた紅葉の美しさを表すのに、これ以上の言葉は必要ないかもしれません。 それでは早速、闇夜に浮かび上がる幻想的な紅葉の美しさをご堪能ください。 見上げていると、ここは現世では無いのかと錯覚します。 前回、両親と連れなって紅葉を楽しんだ時、今年最後の紅葉狩りになるかと思ってました。 talesofme.hatenablog.com 無事今年も両親と共にライトアップされた紅葉を見に行くことができました。 その幸せを噛み締め、今年も1年いろいろあったんだと早、感慨にふけったりします。 忙しい

                      古寺に 灯のともりたる 紅葉哉 (正岡子規) - テイルズ・オブ・シングルマン
                    • 2022.12.28 正岡子規 「生きているということ」 - カメキチの目

                      『正岡子規 人生のことば』  復本一郎 病気による、なみなみならぬ痛み。 その痛みとの壮絶な闘い。 この本は、身体の「痛み」という誰にもわかるシンプルな感覚をとおし、 (といっても、子規の痛みは子規にしかわからなくても、何とか想像はできる) いまこの瞬間も自分は生きているということを痛感させてくれた。 子規といえばすぐに「柿くへば…」が思いだされる。 著者によると、子規は食べることが大好きで、とくに柿など果物が好物だったとのこと。 読みおえて私は(本には書いてなかったが)身体の痛みがひどいとふつう人は食欲がなくなるのに、 逆に子規は食う楽しみで痛みと闘っていたのだろうかと思った。 (グーグル画像より) 限界ぎりぎりまで痛みにたえる(それを過ぎればおそらく卒倒するしかないような) 子規の壮絶な闘病に、「オマエはきちんと生きているか?」とビシッとたたかれ 叱られている気がした。 子規が、結核性

                        2022.12.28 正岡子規 「生きているということ」 - カメキチの目
                      • 短歌スイング62 めざせ正岡子規、でも今日の短歌は石川啄木さんです。 - 素振り文武両道

                        本日は140本バットを振りました。 皆様こんばんは。 いかがお過ごしでしょうか。 今日は短歌スイングでした。 『悲しき玩具』より3首。 『悲しき玩具』は3行で書かれています。 3首で9行になり、1行言ってはバットを振ること、10繰り返しました。 歌人で素振りを続ければ、正岡子規になれるかも知れません。 正岡子規さんのようになりたい、少年はいませんか? 歌人で生計を立てるのは、極めて難しいので、短歌は趣味にとどめて、立派な職業人になって欲しいです。 歌人になれ、なんて無責任なことは言えません。素振りは続けて欲しい。 青空文庫より『悲しき玩具』 何思ひけむ── 玩具をすてておとなしく、 わが側に来て子の坐りたる。 お菓子貰ふ時も忘れて、 二階より、 町の往来を眺むる子かな。 新しきインクの匂ひ、 目に沁むもかなしや。 いつか庭の青めり。 今日は2階でバットを振りました。 ここで1首。 お菓子を

                          短歌スイング62 めざせ正岡子規、でも今日の短歌は石川啄木さんです。 - 素振り文武両道
                        • なぜキンタマは冬に梅干しのように縮こまるのか…北杜夫も正岡子規も、自分のキンタマをこうして観察していた《集中連載・世界金玉考》(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

                          冬の寒い時期になると、キンタマの皮は梅干しのように縮こまる。暑い季節になると、タヌキ像のキンタマのように皮は見違えるように柔らかく伸びる。真冬に風呂につかりながら、キンタマの形状が変化していく様子を観察した読者も多いはずだ。 【写真】キンタマを徹底的に考察した前代未聞の本「世界金玉考」 温度が急激に変化すると、キンタマ内の精子が死んでしまう。そこで寒い場所では皮が縮こまって体温を保持し、反対に暑い場所では皮を伸ばして温度を体外に放出する。こうしてキンタマの皮が、内部の精子を守っていると言われる。 作家・北杜夫には、執筆の合間に自分のキンタマが蠕動(ぜんどう)する様子を観察する趣味があったそうだ。 〈キンタマは作家の密やかな友人となるのである。 若き日の北杜夫もまた、おのがキンタマをじっと打ち眺めていたようなのである。 そのときの気温や湿度の高低や心理状態によって、キンタマの皮膚は変幻自在、

                            なぜキンタマは冬に梅干しのように縮こまるのか…北杜夫も正岡子規も、自分のキンタマをこうして観察していた《集中連載・世界金玉考》(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
                          • 【坂の上の雲】第7話感想。子規、逝く - 妙香の感想ダイアリー

                            妙香(mica)です。 いつも当ブログにご訪問いただき、本当にありがとうございます。 【坂の上の雲】第7話の感想を書きました。 今回の見どころは子規が臨終を迎えたシーンです。 死を目前にしながらも俳句を詠む姿勢と、 彼を真摯に支えてきた家族の愛情に涙が出ました。 香川照之さんの熱演が素晴らしかったです。 www2.nhk.or.jp 原作:司馬遼太郎「坂の上の雲」ほか 制作:NHK 放送局:NHK 脚本:野沢尚、柴田岳志、佐藤幹夫、加藤拓 脚本諮問委員:関川夏央ほか7名 脚本監修:池端俊策、岡崎栄、松下和惠 演出:柴田岳志 ナレーション:渡辺謙 音楽:久石譲 主題歌:「Stand Alone」森麻季 エグゼクティブプロデューサー:菅康弘、西村与志木 放送日:2010年12月12日 視聴率:15.0% video.unext.jp 【坂の上の雲】はU-NEXTで配信中です。 期間は2021年

                              【坂の上の雲】第7話感想。子規、逝く - 妙香の感想ダイアリー
                            • 常盤会:旧久松邸~正岡子規居住跡 - 文学のお散歩

                              日本橋浜町にひっそりと佇む「常盤会ー久松邸跡ー」の看板。 常盤会とは、旧伊予松山藩主久松家によって設立された、在京の旧藩士子弟たちの学習援助組織。日本橋浜町に屋敷を構えていた、久松家の邸内に設置されていました。 常盤会は、立身出世を志し東京で勉学に励む旧藩士子弟たちに、旅費や学費を支援。学生たちの心強い後ろ盾となっていました。 初代給費生の中には、松山を代表する俳人で歌人の正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19)も。 (正岡子規) 子規は明治16年6月に、松山から単身上京したあとここ浜町久松邸の書生部屋に、しばらくの間寄宿していたのだそうです。 その後常盤会は給費生たちの便宜をはかって、東大のある本郷は真砂町の坪内逍遥(安政6.5.22(陰暦)~昭和10.1.28 小説家・評論家)邸内に宿舎を設置し、子規もそこに寄宿することになりました。子規は、常盤会の初代給費生に選ばれた

                                常盤会:旧久松邸~正岡子規居住跡 - 文学のお散歩
                              • 野球殿堂入りした正岡子規の記念館 - 定年後の生活ブログ

                                はじめに 正岡子規とは 正岡子規と野球 最後に はじめに 松山市立子規記念博物館は、俳人正岡子規を記念して1981(昭和56)年に開館しました。 正岡子規の世界を通して、松山の伝統文化や文学についての理解を深めてもらうための施設です。 入り口の子規胸像とへちまを吊るした子規の部屋 正岡子規とは 1867年松山で生まれ、翌年に慶応から明治に改元されました。 本名は正岡常規(つねのり)幼名が升(のぼる)といいます。 1883(明治16)年に松山中学を退学し上京し、東京大学予備門に入学しました。夏目漱石はこの時の同級生です。 やがて第一高等中学校を卒業して帝国大学哲学科に入学しましたが、1893(明治26)年に退学し日本新聞社に入社しました。 日清戦争の時に従軍記者として中国に渡りましたが、帰国中の船中で吐血します。 神戸で療養した後、松山に帰郷して夏目漱石の下宿(愚陀仏庵)で52日間、連日句会

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                                • 正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続け... | レファレンス協同データベース

                                  正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続けたものを見たが、意味のつながりがわからない。解説してある資料はあるか。 「それにつけても金の欲しさよ」は、金欲し付合(つけあい)と言われるもので、連歌でどんな上の句につけてもそれらしく聞こえるという。江戸中期に流行した。前半の句との関連はない。 古い記録では、藤原行定著『雑々拾遺 二』(1695(元禄8)年)に山崎宗鑑(1465?-1553?)(連歌師・俳諧師)が使ったことが記されている。『雑々拾遺』は早稲田大学古典籍総合データベースで閲覧可能。 このエピソードは、向坂咬雪軒「老士語録」(1731(享保16)年序)にも書かれており、天野政徳(1784-1861)(国学者)が随筆集『天野政徳随筆』(刊年不明)の中で「宗鑑の句」と題して「老士語録」を引いて紹介している。『天野政徳随筆』は『日本随

                                    正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の後に「それにつけても金の欲しさよ」と下の句を続け... | レファレンス協同データベース
                                  • 漱石·子規·鷗外 文豪たちの自筆展~於:神田・天理ギャラリー - 文学のお散歩

                                    只今神田·天理ギャラリーでは「漱石·子規·鷗外 文豪たちの自筆展」開催中です。 漱石·子規·鷗外、明治を駆け抜けた日本近代文学の先駆者たちの自筆原稿の展覧会。 親友である漱石と子規の往来書簡や、当館初収蔵の「坊っちゃん」の生原稿(漱石がまだ「嗽」石と書いてある)など貴重な資料を通して三者の交流や創作の跡を辿ります。 私的には以前に見ていたつもりでいた?鷗外の「魔睡」の原稿、初めて見たかも!?紙がずいぶん茶色いのにびっくり!鉛筆書きだから字もうすうす。大切に保管し続けてもらいたい貴重な資料です。 小さな展覧会ですが、珍しい展示もあります。機会があればぜひどうぞ。 「漱石·子規·鷗外 文豪たちの自筆展」会期は6月15日(日)まで。 天理ギャラリー 東京都千代田区神田錦町1-9東京天理ビル9階 ☎0332927025 https://tokyotenrikyokan.co.jp/gallery/

                                      漱石·子規·鷗外 文豪たちの自筆展~於:神田・天理ギャラリー - 文学のお散歩
                                    • 文豪スイング108 高浜虚子と正岡子規 - 素振り文武両道

                                      本日は170本バットを振りました。 全国の文学ファンと野球ファンの皆様 こんばんは。 本日は文豪スイングをしました。 高浜虚子さんは文豪であり、野球もされていたようです。 その高浜虚子さんが、正岡子規さんと出会ったのは、野球の練習中で、その様子が、書かれています。 その書から14の文章の選び、 1文につき 言ってはバットを振る 言ってはバットを振る 言ってはバットを振る 言ってはバットを振る 言ってはバットを振る と、5回繰り返しました。 したがって70本のバットの素振りとなりました。 青空文庫より 『子規居士と余高浜虚子』より抜群 当時中学生であった余(高浜虚子)らがバッチングを遣っていると、 東京がえりの四、六人の書生が遣って来た。 「おいちょっとお借し」と我らにバットとボールの借用を申込んだ。 早速それを手渡しする。 初めはそのままで軽くバッチングを始めた。 そのバッチングはなかなか

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                                      • 野球で殿堂入りした正岡子規の話:グッとラック!【2021/02/03】 | 何ゴト?

                                        数多くの作品を残した、俳人・正岡子規。 俳句や短歌を世に広め、俳句界の反映に大きく貢献した人物。 「子規」はペンネーム。 この言葉は、「ホトトギス」の漢字表記のひとつ。 ”不治の病”と言われた結核を患っていた正岡子規。 気道から出血することもあった自分自身を口の中が血を吐いたように、真っ赤なホトトギスになぞらえ使用したといわれている。 そんな正岡子規が殿堂入りしているスポーツが「野球」。 自身がプレーするだけでなく、今では当たり前になっている野球用語を翻訳したことでも知られている。 こうして、野球の普及に多大な貢献をしたことから、2002年に野球殿堂入りを果たした。 正岡子規は、100個以上の「ペンネーム」を持っていたといわれている。 その一部がこちら。 また、子規と親交のあった夏目漱石の「漱石」という名前も元々は、正岡子規のペンネームの1つだと言われている。

                                          野球で殿堂入りした正岡子規の話:グッとラック!【2021/02/03】 | 何ゴト?
                                        • 正岡子規の新たな句が見つかる 自身の食欲旺盛な様子詠む | NHK

                                          明治時代を代表する俳人、正岡子規が亡くなる5年前の正月に、自身の食欲旺盛な様子を詠んだ句が新たに見つかりました。専門家は、病床に伏せながらも健康であることを周囲に誇示していたのではないかと指摘しています。 新たに見つかったのは、正岡子規の「吾健にして十のみかんをくひつくす」という俳句です。 果物好きで知られた子規が、結核で療養しながらも10個のみかんを食べたとして、自身の食欲旺盛な様子を即興で詠んだのではないかということです。 子規が終生を過ごした家にあった「歳旦帳」と呼ばれる正月の来客向けの芳名録のようなものに記され、亡くなる5年前の明治30年1月2日のものとみられます。 調査にあたった神奈川大学の復本一郎名誉教授は、東京の「子規庵保存会」に寄託された資料から、新たな句を発見したということで、復本名誉教授は「子規の食欲旺盛で果物好きな姿がうかがえる貴重な句だ。自身の健康を周囲に誇示してい

                                            正岡子規の新たな句が見つかる 自身の食欲旺盛な様子詠む | NHK
                                          • 『銘菓「子規」と保田家の「二重柿」』

                                            ごきげんよう、萬勤誕(まんきんたん)です。 愛媛県宇和島市津島町の御菓子「二重柿」をいただきました。 これがなかなかの逸品でしたので紹介しましょう。 宇和島方面ではよく知られている御菓子かもしれませんが、まんきんたんは初めて食べました 津島町の「満願寺」に、このお菓子のモデルになった樹齢約300~400年の「二重柿」(子持ち柿)の古木があり、 その実は食べると子宝に恵まれると評判の、愛媛県天然記念物に指定されている銘木だそうです 菓子舗「保田家」の「二重柿」が、その実で作られているわけではありませんが、丸々一個の本物の干し柿の中に白いお餅が入っています。 干し柿の風味と相まってあっさりと上品な味になっています。 1個でも食べごたえあって、おやつにぴったりですね。 柿のお菓子といえば、松山銘菓に「子規」があります。 道後商店街の中にある、「ジャンボ坊っちゃん団子」が目を引く和菓子専門店「巴堂

                                              『銘菓「子規」と保田家の「二重柿」』
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