タグ

歴史に関するshibakashi05のブックマーク (2)

  • ありがとうさようなら、沖縄バヤリース!!

    沖縄バヤリースが、年末をもって会社を解散し、1972年の日復帰の年から始まる42年間の歴史に幕を閉じる。最後に、今だからこそ話せることもあるんじゃないかと、会長と社長にインタビューしてきました。 衝撃の会社解散発表 今年の5月に「沖縄のバヤリースオレンジは、なぜ色が濃いのか」という記事を掲載しました。 かなりの反響をいただいたあの取材は、4月2日の午前中に実施したのですが、その日の午後に「沖縄バヤリースが解散」というショッキングな発表があり、翌3日の新聞に大々的に取り上げられていました。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-222804-storytopic-4.html 4月3日付 琉球新報「沖縄バヤリース、アサヒに譲渡」 あとで担当者の方から「この件がバレないように取材対応するのが大変でした」と聞き、全くそんなことを感じなかった、自分の感性の鈍さ

    ありがとうさようなら、沖縄バヤリース!!
  • 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール

    意志決定する人たちが数字に弱い。 基的に、四則計算しか/もできない。 かけ算割り算(それと按分ってやつ)に大小比較が、今でも最高の意志決定手段だったりする。 どれだけたくさんデータを集めても、平均値しか求めない(し知らない)。 かつて広大な領土を持つロシアでは、統計は非常に重要視された。 ほとんどのケースで「この目で見る」ことがかなわぬ状況で、統計の活用は(マイクロソフトのビル・ゲイツがそうだったように/例えば電気料金の詳細データから、照明がついている=それぞれの事務室が使用されているのべ時間を割り出し、各セクションの仕事の進捗具合や、人材の過不足を知った)、しゃぶりつくすまで徹底的に活用された。 でなければ、統治は不可能だった。 そのロシアとサルデーニャが組み、フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍と戦った。 戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半

    問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール
  • 1