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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (476)

  • 8000万円の都心のマンションと4000万円の郊外の家: 極東ブログ

    ツイッターを見ていたら、8000万円の都心のマンションと4000万円の郊外の家という話があった。これらを買った人がいるとする。10年後、どうなっているか。4000万円の家の価格は半額に落ちている。2000万円だ。他方、8000万円の都心のマンションのほうは、7000万円。10年後の時点で、どっちがお得か? 8000万円の都心のマンションのほうだ。と、いうのである。 詳細は違うかもしれないが、ざっくり見ればそういうものだろう。実際、そういうことで、都心のマンションが売れている、と言っていいだろう。 そんな傾向が今後も続くのだろうか? 未来はわからないものだという大前提は扱いにくいのでとりあえず置くとする。たぶん、少子高齢化していく日では都心集中が続くから、都心マンションの価格はそう崩れないのではないか。 さて。これで話は終わりかというと、まあ、終わりでもいい。 実際に、じゃあ、8000万円

  • 南スーダン情勢: 極東ブログ

    南スーダンの情勢が緊迫化し、ジェノサイド(大量民族虐殺)の危険性が懸念される事態になってきた。ダルフールでジェノサイドが進行していた当時、日での報道はほとんどなかったのでこのブログで初めて取り扱ったものだったが、今回の事態では、いくつか国内での報道が見られる。それでも、ジェノサイド懸念の視点は依然乏しいように感じられる。報道を見よう。2日NHK「南スーダンで民族浄化が進行 国連の人権専門家が警告」(参照)より。 政府軍と反政府勢力の間で武力衝突が続いている、南スーダンの人権状況を調査した国連の人権専門家は「各地で民族対立が激化し、暴行や集落の焼き打ちなど、民族浄化が進行している」と警告し、事態収拾のため、PKO部隊を一刻も早く追加派遣するよう求めました。 南スーダンでは、最大民族のディンカ族を中心とする政府軍と、ヌエル族を主体とする反政府勢力の間で武力衝突が繰り返され、ことし7月には首都

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  • 2016年の参院選が終わった: 極東ブログ

    参院選が終わり、概ね自民党および安倍政権が国民から信頼されたと見てよい結果が出た。私は今回の選挙はあまり関心がなかったが、世論の一部では、自民党による憲法改正を阻むことが論点だとも言われた。 まさかねえ、と思っていた。が、渦中関連発言しても政治的な熱気のなかではろくなことにならない。ので、後出し的に、「まさかねえ」の部分の思いを書いてみたい。書いてみたいというのは、率直に言って、自分の考えにバグがあるかもしれないなという懸念を検証したいわけで、特定のイデオロギーを嘲笑しているという意味ではまったくない。 話の枕は、今日付けの朝日新聞社説「自公が国政選4連勝 「後出し改憲」に信はない」がよいだろう。参照リンクをつけたいところだが、「http://www.asahi.com/paper/editorial.html」では意味がないだろう。 歴史的な選挙となった。 1956年、結党間もない自民党

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  • 英国のEU離脱がもたらす安全保障上の論点: 極東ブログ

    英国のEU離脱について、前もってブログならではの予想記事を書こうかとも思ったが、自分なりに詰めのところが見えなかった。投票数日前から英国入りしてて現地報道をしていたNHKの香月隆之特派員も投票前に、英国民は「良心」によって残留を選ぶだろう、と、おそらくうっかり言っていたのが印象的だったが、私もそうした「良心」を信じたい気持ちはあった。が、結果は離脱となった。 ので、これからどうなるのかという、一種後出し議論がメディアで盛んになりつつある。辺境ブログでもネタを投じて起きたいとも思うのだが、日のメディアやジャーナリズムを見ていてしみじみ思うのは、やたらと経済にばかり関心をもっているものだなあということである。EUというのは、安全保障の枠組みでもあり、英国ではこの議論もけっこう盛んに行われていた。が、どういうわけか、日人はこの問題にあまり関心を持たないように見える。 これも日のジャーナリズ

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  • 「バーナンキによる刺激策助言を受け入れるのに日本は13年も遅れた」とな: 極東ブログ

    ネットを見ていると、消費税先送りについて、アベノミクス失敗を示すものだから、安倍首相は辞任せよ、安倍内閣は総辞職せよ、といった議論が目に付く。日は自由主義国なので、いろいろな議論があってもいいだろう。私としては、さて他にはどんな議論があるのものかな、海外ではどうかな、とパラパラと各種の意見を見ていくと、WSJの記事で、ちょっと懐かしいものを見つけた。正確には、この記事が懐かしいわけではない。 記事は「バーナンキによる刺激策助言を日は13年も遅れて受け入れている(Japan is Taking Ben Bernanke’s Stimulus Advice 13 Years Late)」(参照)である。リードには「前連邦準備制度理事会(FRB)議長は10年以上も前から、日は金融と財政の刺激策が一対になっていると示唆していた」とある。 簡単にいうと、今回の、安倍首相による、さらなら消費税増

    「バーナンキによる刺激策助言を受け入れるのに日本は13年も遅れた」とな: 極東ブログ
  • 核のない世界を目指す第一歩はどこだろうか?: 極東ブログ

    オバマ大統領の広島訪問の際、儀礼的・修辞的な話はひとまず置くとして、現実的に、核のない世界を目指す第一歩はどこだろうか?と考えてみて、まあ、パキスタンの核兵器ではないかなと思った。そう思っている人が日にどのくらいいるだろうかなとも思い、そういえばと、昨年末の「シャヒーン3(Shaheen III)」のニュースを思い出した。日語で読めるニュースはAFP「動画:パキスタンで弾道ミサイルの試射、核搭載も可能」(参照)くらいだったように思う。事実だけを告げる短い記事だった。 【12月14日 AFP】パキスタン軍は11日、核弾頭の搭載が可能な弾道ミサイル「シャヒーン3(Shaheen III)」の試射を実施したと発表した。パキスタン政府はこの2日前、最大のライバル国であるインドとの首脳レベルの和平交渉を再開する可能性があるとの声明を出したばかり。 世界の核兵器問題をどう捉えるかというと、日と限

    核のない世界を目指す第一歩はどこだろうか?: 極東ブログ
  • 昭和の保育: 極東ブログ

    先日、「現代は少子化なので幼稚園も経営努力として保育にも関心を持っていることがある」という話を書いたところ、「なに言ってんのこの爺、昭和の話してんじゃないよ」みたいなコメントを頂いた。なるほど徳仁親王と同世代の私も爺という時代にはなったが、「それってどこが昭和なんだろうか」とも思った。昭和の保育っていうのは……とちょっと思って、そうだなあ、昭和の保育の話を書いてもいいなと思った。昭和という時代の保育がどうだったか、教えられないのかもしれないが、知らない人も増えてきたので、奇妙な誤解も生まれているかもしれない。 昭和の保育というが、昭和は大雑把に二つの時代に分けられると思う。あるいは、三つだろうか。戦前、戦後、もはや戦後ではない時代。昭和の戦争はメディアで映像的にもよく取り上げられるが、意外と戦争自体の時代は短い。日中「15年」戦争もあり、それも戦争期ではあるが、当時の世界情勢を見て特段に戦

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  • トランプ米大統領候補とオバマ大統領との差は中東観ではあまりないかもしれない: 極東ブログ

    米国大統領は米国民が決めればいいことなので、日人としては基的に国際情勢をどう読むかという知的関心以上には、それほど米国大統領選挙は興味がない。そのうえ、まあ、メディアがいくら騒いでもさすがにトランプ候補はないでしょと思う。それよりひどいクルーズ候補は論外。そもそも共和党の目はなし。するとヒラリー・クリントン候補か、にわか民主党サンダース候補か、だけど、同様にサンダースはないでしょう。なので、終了、と言いたいところだが、なぜか最後の詰めで確信が持てない。ヒラリー・クリントンもないよなあ、という思いが拭えない。 そうした文脈でしみじみトランプはないよなあと思いつつ、ふと、奇妙なことを思っていた。たとえば、この発言である。 中近東の人々と違って、東南アジアやアフリカの人々は、どうやってアメリカ人を殺そうかと考え続けてはいない。 つまり、「中近東の人々はアメリカ人を日夜どう殺害するかと考えてい

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  • 実際、保育園に落ちたらどうするか?: 極東ブログ

    実際、保育園に落ちたらどうするか? この話題の経験談的な側面は当初自著に含める項目のつもりだったが書籍全体のバランスを考えて落とした経緯がある。他にも家事分担のコツのような話題も考えていたが落とした。また何か機会があれば書籍として書きたいものだと思いつつ、ブログに書くような話題でもない。そうこうしているうちに時は過ぎてしまった。が、よい機会でもあるので、現時点で少し整理してというか、思い起こしつつ書いてみたい。あまり正確ではないかもしれないし、なんの役にも立たないかもしれないが。 保育園落ちて「日死ね」という気持ちになるのはわかるという人は多いだろうし、それはその文脈の議論があるだろう。ただ、他方、現実的に保育園に落ちた子供をどう対応するかという現実的な問いは依然残る。 今回、そうした現実対応の話題が出てくるのか、とざっと見ていたが、見ていた範囲では見かけなかったように思う。いくつかざっ

    実際、保育園に落ちたらどうするか?: 極東ブログ
  • 「保育園落ちたの私だ」ということはどういう意味だろうか: 極東ブログ

    ツイッターで「保育園落ちたの私だ」というタグを見たとき、その後ろに「ばぶー」とかつくのかと思った。そうではなかった。「私の子供を保育園に預けることができなかった」という意味だと理解したのは、しばらくしてからだった。それから、ゼロ歳児を保育園に預けるのは大変だろうなと思った。なぜ、そう思ったかについては後に回したい。 この話題でそうこうしているうちに、「保育園落ちたの私だ」という国会前デモがあることを知り、少し奇妙な違和感を覚えた。これも後で触れると思う。ただ、当然、反感とかではない。市民がどのような示威活動をするのも自由であるからだ。 それから、その文脈の報道に接して「女性」という言葉がよく現れることにまた少し奇妙な違和感を覚えた。これもまた後で。その前に、そうした文脈の一つを上げておくと、たとえば表題に「母親ら」とある次のような記事である。毎日新聞「母親ら、改善求め厚労相に署名提出」(参

    「保育園落ちたの私だ」ということはどういう意味だろうか: 極東ブログ
  • 米国民主党員5人に1人は、保守派: 極東ブログ

    サンプリシティの法則からしても物事は単純に考えたほうがいいが、単純にしか考えられない人には案外単純に考えることは難しい。 そうした日人にありがちな単純思考の一つに、米国民主党はリベラルとする考えがある。概ね間違ってはいないというか、四割くらいは当てはまるし、後で述べるがそうした傾向は高まっているようにも見える。実態はというと、きちんと単純に考えると、米国民主党は必ずしもリベラル派の政党ではない。5人に1人くらい保守派がいる。 そのことが現下の阿呆なトランプ騒ぎで問題になるのは、ブルームバーグ元ニューヨーク市長が大統領選に色目を出していることだ。まず、単純にしか考えられないふうに考えると、保守派の共和党でもなくリベラル派の保守党でもないから、彼は中道、よって三極の争いとか。 昨日のアイオワ州の動向を見ると、民主党は概ねクリントン候補に決まったようにも見えないではない。が、そうでないようも見

    米国民主党員5人に1人は、保守派: 極東ブログ
  • 同志社大学長選の村田晃嗣氏落選で「もや」っと思ったこと: 極東ブログ

    今年ブログに書き落として「もや」っとしたことが他になにかあるだろうかと自分の心を覗き込んで、そういえば、同志社大学長選の村田晃嗣氏落選では、なんとも言えない「もや」っとした思いが残ったことを思い出した。あれはなんだっただろうかと再考して、やはり「もや」っとしたままであった。ただ、そのもや感は書いておこうかと思う。 話は11月6日のこと、同志社大学で任期満了に伴う学長選挙があり、立候補した現学長の村田晃嗣氏(51)が破れ、理工学部教授の松岡敬氏(60)が選出された。 自分にとってはほとんど関係のない大学の人事のことでもあり、それだけ見ればどうという話でもなく、安閑と傍観してよいことである。なにより、その選出過程に公的な問題があったとも想定されない。ただし、報道からの情報を加えれば、投票資格者は同大学の教職員約930人に限られ、投票者数や得票数については公開されてはいない。 ではどういう焦点化

  • 「闇のキャンディーズ」問題で微妙に気になっていたこと: 極東ブログ

    これもその渦中で書くのはためらっていたのだが、「闇のキャンディーズ」問題で微妙に気になっていたことがあった。 その前に、「闇のキャンディーズ」問題とは何か、というと、そのペンネーム、というか呼称でTwitterに登録した人がいて、自身の考えに反対する人に対して、例えば、「☓☓☓死ね。それとも、殺されたいのか?」「お前の赤ん坊を豚の餌にしてやる」といった暴言を吐いていた。 ひどいものだとは私も思うが、私自身、その手の暴言をコメント欄などでよく受けてきたので、ネットの世界ってそんなものだよねと思っていた。 というか、微妙に気になっていたことに関連するのだが、どこかしら、そうした暴言の人々を、どうしようもないじゃないか、ということで許容していたのではないかとも思う。 これが今回「闇のキャンディーズ」問題として「問題」化したのは、水俣病訴訟にも関わっている弁護士の高島章氏に対して、「うるせーな、ハ

  • ブログに書こうかと思って書かないでいたこと、としての東京オリンピックのエンブレム問題: 極東ブログ

    今年は気が付くとブログを書く量がぐっと減ってしまった。理由はいくつかある。個人的な理由が多い。それでも、これは書かねければいけないなという点は書いてきたようにも思う。「安保法制」など。しかしまあ、それはそれとして、ブログに書こうかと思って書かないでいたことも多かった。書いてもうんざりする事態になるだけじゃないかと予想がついてしまって、その時点でめげてしまう。その一つに東京オリンピックのエンブレム問題がある。 もう年末かあとも思うと、しかし、少し書いておきたい気にもなった。 要点のひとつは、こうだ。佐野研二郎氏による2020年東京オリンピックのエンブレムのデザインになんら問題はなかったではないか、ということだ。が、そういうとまさかと思う人が多いのではないかとも思う。 逆に、何が問題だったのだろうか? 盗作疑惑だろうか。そういう話題が多くあがっていたが、結果として、盗作の認定はされていなかった

  • SEALDsについて少し思った: 極東ブログ

    SEALDsについてまったく関心がなかった。若い人のデモ団体の1つであるとは認識していた。そういうデモは民主主義国家なので自由に行えばいいと思う。余談めくが、先日、ピンズラーのフランス語レベル5をとりあえず終えることができたのだが、そのなかでも若い人がデモを行う話題が二、三あった。いわく、デモに紛れた米国人の彼氏が警察に捕まっちゃったうぇーんというと、大丈夫よくあることだよ、僕も捕まった経験あるよ、パスポートもって警察にさあ行こう、といった内容である。さらに余談だが、男性同性愛者の結婚の話題とかもあった。なかなかすげーフランス語レッスンであった。つまり、楽しい。デモも同性愛結婚も、日でも、もっとやれ。 たまたまたSEALDsについて、ただ若い人がそれぞれ勝手な理由で、とにかく憲法違反だから安保法案に反対するというシングルイッシューの単純なデモ団体だ、と思っていた。のだが、そうじゃないよ、

    shibudqn
    shibudqn 2015/08/26
    少し買いかぶりすぎではないか
  • 安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかな: 極東ブログ

    これもなんとなく思っていたことだが、めんどくさいので書かなかった。しかしちょっと書いておこう。安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかなということだ。 あえて書こうかなと思ったのは、今回の安保法制を理解する上で、中国海洋侵出への対抗という文脈は違うのではないかと思うからだ。いや、それも正確な感覚ではない。政府側はそういう文脈を与えることがわかりやすい説明だと思っているだろうが、実際の法案を書いた法制局はそう考えていないのではないかというか、そんな違和感である。実際に法案の原文を読んだときからその違和感を持っている。最初に弁解を記すならごく印象にすぎないのではあるが、少し文章的に補ってみよう。 この印象が濃くなったのは、井上武史・九州大学大学院法学研究院准教授の見解を見てからだった(参照)。世の中は、安保法制は戦争法だとか違憲だとかいう観点で井上教授の意見を受け止め、その先

  • 日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?: 極東ブログ

    に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか? この問いは自分の思いのなかでだけだが、ずっと考え続けてきた。理由は、日戦争に巻き込まれる危険性といったものより、この戦争に参加して戦死した各国の兵士を自分がどう追悼したらよいだろうかということからだった。 最初に断っておくべきことと最後に強調したいことがあるが、当然最初のほうを述べておくと、合理的な推定はできない、というが当然の前提になるということ。その意味で、残念ながら与太話である。最後に強調したいことは最後に述べたいと思うが、書きながら忘れてしまったら、そこはブログなんで、ごめんなさいな。 最初に基的な話から。アフガニスタン戦争とは何か。歴史を知っている人なら、「え? どのアフガニスタン戦争?」と問うだろう。ここでは2001年から始まったアフガニスタン戦争を指す。ちなみに、この戦争に対

  • 安保法制が否決されてもおそらく何の変化もないだろう: 極東ブログ

    安保法制については、国民が民主主義の手順に沿って合意していけばよいことなので、特に言及すべきことはないが、この間、ちょっと気になったことなどもあったので、備忘をかねて書いておきたい。 個別名を出すのもなんなのでぼかすが、この議論に比較的熱心に言及している論者が、この法案(法改正)の原文を読んでいないようだったのだったの知って意外だった。すでに書いたように、私はこうした事態ではとりあえず一次資料に当たることにしている。今回の法案についてもそうである(参照)。そして思ったことはとても難しいということであった。自分の理解を超えていると言っていい。このことはすでに書いたので繰り返さないが、それでも原文を読めば簡単にわかることがあった。私のごく基的な誤読でなければ、「集団的自衛権」という言葉はこの法案には含まれていないということだ。 ではこの法案は「集団的自衛権」について扱っていないのかというとそ

  • 良心的兵役拒否の権利が確立されているなら徴兵制があってもよいのではないか?: 極東ブログ

    世の中で「徴兵制」の議論が盛んで、野党第一党の民主党もこの話題を力強く、考えようによってはコミカルな印象もあるかもしれないが、展開している。朝日新聞「民主、安保法案反対のパンフ配布 子育て世代狙い」(参照)より。 民主党が安全保障関連法案に反対するパンフレット50万部を作成し、3日から全国で配布した。タイトルは「ママたちへ 子どもたちの未来のために…。」とし、母子を中心とした柔らかいタッチの絵をちりばめ、子育て世代を中心に党の政策を訴える狙いがある。 パンフレットでは、「安保法案によって子どもたちの将来が大きな危険にさらされようとしているのを、見過ごすわけにはいきません」と、法案に反対する党の立場を紹介。また今回、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めたことを引き合いに、徴兵制の導入について「時々の政権によって解釈が変更される可能性も論理的には否定できない」などと訴えた。 パンフレット

  • 安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう: 極東ブログ

    書こうかどうかためらっているうちに、すすっと時は過ぎてしまい、まあ、それでもいいやというとき、なにかもにょんとしたものが残る場合がある。今回も、ちょっともにょんとした感じがあるので、とりあえず書いてみよう。とま、ごちゃごちゃ言うのは、書く前から批判が想定されて、げんなり感があるからだ。最初に言っておきたいのだけど、以下の話は、安保法制を肯定せよ、という結論ありきで言うわけではない。日の防衛のありかたは日国民が決めればいいことだし、その結果がどうなっても日国民が受け止めればいいだけのことである。私は一市民として民主主義の制度の帰結を尊重するだけである。 さてと、で、なんの話かというと、安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう、ということだ。こういう言い方は物騒なんで、もっと曖昧にすればいいのかもしれないが、自分のもにょん感がそこにあるのは確かなので、とりあえずそうして