やりたいことはやりたいと言った方が良い。 好きなものは好きと言った方が良いし、 好きな人には好きと言った方が良い。 人生は短過ぎるのに、 迷っている時間だけはとても長い。
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やりたいことはやりたいと言った方が良い。 好きなものは好きと言った方が良いし、 好きな人には好きと言った方が良い。 人生は短過ぎるのに、 迷っている時間だけはとても長い。
が最近ひどくなってきたんですがどうしたらよいでしょうか。 前は家の中でなることが多かったのですが最近は普通に歩いてる時、電車に乗っている時、仕事中もなるので流石にちょっと辛くなってきました。 普段は嫌な記憶なのでまったく表に出てこないのですが、なにかから連想して「うおおおおおおおおおお!」 という暴れたくてしょうがない気持ちになるのです。 子供の時からその気はあって、当時は友達付き合いの失敗などが多かったように思います。 よく思い出すのが当時仲の良かったオタク友達(中学生なのにシスプリとかエロゲーやってた)がいたのですが小学校の時に一緒に帰ろうと下駄箱の前まで行った時同じクラスの別のやつが 「お前たち、友達だったの?」 と言ったのです。 その時につい、「・・・」と無言になってしまい、気まずい雰囲気が流れたわけです。 友人は「お前ひでえなw」と笑いながら言ってくれてその時はいい雰囲気で一緒に
昨年子供が生まれた。長男だ。 愛する妻との間に出来た子供。 その小ささとは相反する大きい産声から、命の力強さと父になった喜びを実感した。 「守るべき者が増えた。妻子の為にもしっかり働いて幸せに暮らせるよう頑張らねば。」 そう心に決め、仕事の忙しい時期ではあったが毎日帰りに病院に通い、帰宅後にまた仕事を続けるという日々を何とかこなして乗り切った。 子供が出来た。嬉しい。早く3人で暮らしたい。その想いが働く原動力だった。 ちょっと長めな入院と実家療養を経て妻子が帰ってきた。初めての3人暮らし。 「仕事も家庭も両立するぞ!!」張り切っていた。ただ、張り切り過ぎていたのかもしれない。 夜泣きが続く、泣き止まない。 育児をしっかり理解している妻と、あまりよくわかってない夫。 育児のことは任せろとは言ったものの明日も仕事がある。少しは寝ないと。 ストレスフルな生活の中で幾度となく妻と衝突した。 そして
結局、自分がどうしようもない状況に陥っている全ての原因は 自分自身の駄目さ・みっともなさと本来の意味で向き合えていない事じゃないかと思えてきた。 例えば、やるべき事を先延ばししてしまうだらしなさ、他人に怒られたくないがためにその場しのぎで嘘をついてしまう癖、 疑問点を適当に放置してしまう事、他人にいろいろ言われたくないから報連相ができない事、 努力が一切できず成功だけ夢見てしまう事みたいな「駄目でみっともない人間」的な欠点が自分には大量にある。 それに対して、自分自身の根底には「俺は何だかんだ言っても根本は誠実で真面目な人間だ」という考えと それに基づくプライドがあるから、欠点を自覚しているものの直視してプライドに傷を付けるのは避けたいと思ってしまう。 そこで、欠点を2ちゃんやツイッターでネタっぽく語ったり、他人への自己憐憫まみれの人生相談として喋る事で 「駄目な自分」というある種キャラ的
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、 家が流されたんだよ? と、福島の兄に電話したら、言われました。 おまえ、ちゃんと分かってるの? 超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、 あの帰る家がね、全部流されたんだよ。 俺、もう、家ないの。 明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。 今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、 全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。 おまえ、家ないのに頑張れる? 服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。 よし、頑張ろう!って思える? すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。 ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。 いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。 仕事もあるじゃんって。 おれ、船、なく
23歳ニートだった。 3ヶ月毎日みっちりプログラミングを勉強した。 その後、いろいろ行動して、5ヶ月目には簡単なプログラミングのバイトをはじめて、 1年後には正社員で就職してた。(バイトしてたところとは違う。) 23歳の秋頃、自分が一年後に就職してるなんて思わなかった。 プログラミングを始めるときにも、ずいぶん悩んだ。自分にできるのかとか、いろいろ。 でも、やるってきめて、がんばった。 わからないときはふて寝して、起きて、わかるまでやった。 ネットで、どうせニートがとか、仕事選んでないでさっさと働けみたいなことをぼろくそに言われてもあきらめなかった。 あきらめなくてよかったと思う。社会に出てから、そんなこと言われたことは一回もないし、 逆に独学でよくここまでやったね、と褒めてくれる人ばかりだ。 なんでこれを書いてるかって言うと、自分がプログラミング始めるときにそういう記事を読んで勇気が出た
最寄り駅の立ち飲みやで軽く晩酌してつまみで腹を満たし8時頃帰宅した。 もう既にやる事が無い。 一時小説を読んでいたが目が疲れるのでやめた。 両親は共に他界してる。 本当にやる事がなくて暇だ。 会社ではそこそこのポジションにいて、それなりに給料を貰っているが使い道が無い。 同級生はほぼ所帯を持っているので平日の夜に呼び出すなんて事は出来ない。 そもそも家庭がある人間と話が合わなくなって来た。 子供の教育や進学の話なんぞ分かるはずが無い。 私が死ぬまであと40年程ある事に絶望してる。 毎日仕事して帰宅して起きてまた仕事しての繰り返し。 週末は本当に何をしていいか分からない。 趣味を持てなんて言われても正直めんどくさいしこの歳から何をすればいいんだよって思う。 一時寂しくてキャバクラに行ってた時期が合ったが相手が自分の金の事しか見てない事が分かりやめた。 結婚しておけば良かった。 少なくとも今よ
どこにも吐き出せないから増田に吐き出す。 当方社会人5年目。 先日、大学時代の友人達と飲んだ際に収入の話になった。 自分は中小勤めであり、友人達はそれぞれ別の大手のグループ企業ということもあって、それなりに格差があることは認識していた。 けれども実際に数字で聞いて、自分の認識の甘さを思い知らされた。 こんなにも違うものなのか。 たしかにその友人達とは「金銭感覚が違うなぁ」と感じたことはあった。 一緒に旅行に行くにしても、友人達は「せっかくの旅行なんだからいいところに泊まっていいご飯を食べよう」と提案し、自分がランクを下げようとしても「社会人なんだからお金あるでしょ?」と返されるパターンが何回かあった。 今まで友人達に合わせて、食費を削ったりして無理に出費してきたけど、差を明確に認識してから一気にしんどくなった。 勤務時間も多分圧倒的に自分の方が多いのに、収入は下。どうしてこうなった。 生涯
就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ。そうすれば就活なんかしなくてもいい。就活をするんだったらしてもいいしした後で自殺してもしている途中で自殺してもおんなじだ。みんな自殺しよう。 いつも偉そうな能書きたれている清水だかなんだかいうアホが就活で自殺するな中小企業がどうだこうだと書いていた。清水はバカである。学生のうち99.99%は特に何の業績も上げられずにガンなり糖尿なりになって普通に情けなく死ぬ。ウィキペディアに名前も残らない。残るのはせいぜい2chの恥ずかしい書き込みログぐらいだ。増田のアカウントも消しておかないとな。さっさと自殺しろ。この世はお前のためにあるんじゃない。この世は清水みたいなアホと、そのアホに洗脳された名無しの歯車たちのためにあるのだ。ああいう奴らが偉そうに能書きたれるために社会は存在する。就活ぐらいで自殺するなと。 就活ごときで自殺するなと言っている人間は就活そ
まあまあ、ちょっとそこに座って、僕のドヤ顔パーツをみてください ・旧帝大を出た ・じーさんでも外人でも名前を知ってる大手メーカに勤めてる ・TOEICは900後半キープしてる ・毎日PM6:30には帰社してる ・でも社内の業務評価では同役職内の上位層20%に毎期入ってる ・社内の同世代では一番上の役職に出世してる ・今もかわいいなーと思える奥さんがいる ・子供は1人。かわいい。そろそろもう一人欲しい。 もちろん僕よりずっと優秀な人も掃いて捨てるほどいることはわかってる。そんな人達からみたらなんてしょぼいドヤ顔ポイントだと思うかもしれない。もしくは会社の評価や給料=幸せじゃないだろ、なんてルサンチマンを持ち込むのにもピッタリかもしれない。 でも、少なくとも自分では、今の人生、結構幸せだなーと思ってた。僕のスペックや仕事ぶりや家庭環境をうらやましがったり、ほめてくれる人は結構いる。 自分がした
http://oomoriseiko.info プロフィール 弾き語りを基本スタイルに活動する、新少女世代言葉の魔術師。'14夏はTokyo Idol Fes、フジロック、ロックインジャパンに出演、音楽の中ならどこへだって行ける通行切符を唯一持つ、無双モードのただのハロヲタ。あとブログ。 [ 好き ] 道重さゆみ、ピンク色、サンリオ、花、不健康そうな色のお菓子、血液、ブラジャー、ガムテープ、まるいもの、ふわふわのベッド、アイドル、毛やギターの弦など紐的なもの、細密描写、固まりかけのセメント、あまい、ファブリーズ、魔法少女、ファンの方、うきわ、マイク、ファミマのスパイシーチキン、女子の自撮り、コンビニ、AM4:44、デスプルーフ、ゲリラ豪雨、アクリル絵具、絶対って顔してる人、中野ロープウェイ、キラキラな音がでるエフェクター、虹色の朝焼け、高円寺の中華屋成都、開封前、甘エビ、ギター、歌舞伎町に
もう二十代も半ばになってようやく自分の人生に意味や理由が存在しないことを心で理解した。 物心がついてから二十年、どこかで自分の人生には特別な意味があるんじゃないかと思っていた。 そんなものは全能感だか親の願望だか、はたまた本能だかが見せる幻だった。 俺の人生には意味なんてない。 そして人生に意味がないという事は死ななきゃいけないとか、意味を探しに行かなきゃいけないなんて事じゃない。 むしろ生きていいということだ、どこまでも自由に。 もしも子供の頃の自分にそう伝えたら「おっさん何当たり前の事言ってんの?」と言ってくるだろう。 それに対して理屈の上で理解するのと実際に心のなかではっきり納得するのは違うと語ってもきっと何の意味もない。 こればっかりは自分で納得するまで人生を積み重ねることだけでしかしっくりこないだろう。 世の中には俺なんかよりもずっと勘のいい人間がわんさかいて、きっと幼い頃からこ
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。 パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、
個人的には、ほとんどの若者の失敗は許されるべきだと思っている。どんどん失敗すればいい。たとえ、大きな迷惑をかけたとしても、のちのち、大きな価値を社会に残せばいいとすら思っている。まあ、もちろん犯罪や道徳上許されないことは別だけど、ひたむきにがんばった結果なら、いいと思う。ミログの城口氏なんかは、たしかに大きな失敗だが、その経験を糧にまたチャレンジすればいい。 しかし、最近起きた2つの出来事は、許されないというか、復帰が難しいものになってしまった。青木大和氏と、みんなのウエディングである。 まず青木大和氏の場合。嘘をついてしまったものは、これからもずっと「嘘つき」とされてしまう。嘘つきというのは、ビジネスや政治活動をする上では、かなり致命的なのだ。嘘をついて騙して益を得ようとしたという人物という印象がついてしまう。これはダメージとしては大きすぎる。たとえ、どんな失敗をしたとしても、自分の名前
38歳独身で恋バナはなくて貯金は現金で5000万強くらい。そこそこ食えている。 産まれてこの方サラリーマン的な会社勤めをしたことが一回もない。履歴書書いたこともないし、日常的に満員電車乗ってた期間もない。 毎日昼過ぎまで自宅で家事やったりメール処理したりニュース見たり犬の世話してる。あと自転車洗ったり。 そのあと打ち合わせに出かけたり散歩したり近場でランチ食ったり仕事したりする。 仕事は仕事なんだが、世間の人から見ると趣味の延長線上に見えるもののようだ。一般の人から見ると「いわゆる趣味っぽいもの娯楽っぽいもの」系で、つまり創作じみたことでくってる。何か特別才能があるとかではなく、楽しそうな仕事を転々としつつここにやってきた。そこそこ金になってるし今更他の生き方もできない。実際自分だって楽しいから今の仕事をやってるわけであり楽しくなかったらやらない(楽しい≠楽ではある)。面白楽しくそこそこの
今年で40だ。おとこで独身。関東で暮らしているのだが、自分でも背筋が寒くなるくらい1人が上手になった。よく「一人で焼き肉は辛い」とかカラオケ、飲み屋などなど挙げられるがなんでも平気だ。サファリパークだってこないだ1人で行ってきた。本当にこわいくらい1人が上手になった。今もこの時間に目が覚めて、こうして駄文を書こうと思い立ち、こうなる。1人だからだ。誰にも迷惑をかけてない、なんて強がりも思わなくなった。このあとちゃんとゴミをだす。土曜日も収集してるってすごいよね、公共サービス。便利。でも、俺は1人だけど。嫌じゃないよ。好きでもないけど。土日はまずしゃべることがない。以前「松屋で飯食った後ごちそうさまとい奴www」みたいなスレッドを見たけど、1人で暮らすとわかるよ、これ。声を出す機会がないんだよ、そうでもしないと。友達がいる人には想像もつかないだろうけど、30時間くらい声帯を使わないで生きると
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