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ブックマーク / diary.lylyco.com (3)

  • ぼくたちはただ「不安」のために働かされ続けるのか|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    なぜ精神や肉体を病んでまで、毎日毎日嫌いな職場で働き続ける人がいるんだろう。 原動力はただ将来への「不安」だろう。いまは、大したものを持っているわけでも、幸福で満ち足りているわけでもない。にもかかわらず、いま手にしているものに執着する。或いは、いまの生活レベルを何故か「最低限」に設定してしまう。収入が減ると「やっていけない」と思い込む。そういう人は、まず、失うことを恐れる。リスクをとるくらいなら「現状維持」の方がマシだと考える。さらに、不景気がその傾向に拍車をかける。リスクばかりが喧伝され、不安は否応なく膨らんでいく。そうして人は「何かを得るため」ではなく「何かを失わないため」に働くようになる。 この「不安」というのは曲者だ。欲望と同じで際限がない。いま年収500万の人は年収500万が「最低限」だと思い、年収3,000万の人は年収3,000万が「最低限」だと思っている。馬鹿馬鹿しい話だけれ

  • 「理屈っぽい人間」はおしなべて不幸である|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人が理屈を求めるとき、そこにはたぶん、ふたつのスタートラインがある。 ひとつは、ゼロからのスタート。これは、好奇心や探究心に基づくもので、「なぜ、月は見かけの形を変えるのか?」といった類の疑問に端を発する。もうひとつは、マイナスからのスタート。これは日常を覆う不幸に起因する。「なぜ、友だちができないのか」「なぜ、恋人がいないと辛く感じるのか」「なぜ、お金が儲からないのか」…などなど、人生の不具合は数え上げればキリがない。たとえば百花繚乱の理屈が楽しめる「はてな村」など眺めているとそのことがよく分かる。そして、ぼくたちが日常必要とする「理屈」の大部分は、このマイナススタートの理屈ではないか。 およそ人は、幸せなことや何不自由ないことについて「理屈」をつけようとはしない。少し前に流行った「リア充」なるものがもし実在するなら、彼ら自身は「リア充」なんて言葉を作ってまでそれについて理屈を捏ねたりし

  • 努力が報われるかどうかなんて社会とは何の関係もない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    どうにも「努力」や「報酬」という言葉が硬直しすぎている。 ・「努力報われる」半数に満たず 格差拡大 大学生冷めた見方(産経新聞) - Yahoo!ニュース 彼ら冷めた見方の大学生たちには、ぜひ「あなたはどうなれば努力が報われたと感じるのですか?」と訊いてみたい。彼らとて少し考えれば、それが多分に多様性を含んだ質問だと気付くはずだ。思うに、そもそも質問の仕方がおかしいのである。たとえば「努力が報われる社会だと思いますか?」なんて訊き方はフェアではない。それはほとんど「一所懸命に働けば地位や富が十分に手に入る社会だと思いますか?」という意味しか持ち得ない。或いは、そう取られることを意図しているとしか思えない。それなら最初からハッキリそう訊くべきだろう。言葉遣いが恣意的にすぎる。 そんなふうに「努力」や「報酬」の定義を矮小化するから話がおかしくなるのである。趣味のサーフィンがうまくなる努力をした

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