大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)で倒された蘇我入鹿(そがのいるか)の邸宅跡とみられる奈良県明日香村の甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡で出土した炭化材が、放射性炭素年代測定の結果、605~645年のものとみられることがわかった。奈良文化財研究所が1日に発表した「奈文研紀要2014」で報告した。クーデターに伴い、入鹿の父、蝦夷(えみし)が甘樫丘の邸宅に火を放って自害したとされる歴史上の事件に迫る成果だ。 11~12年の調査で、甘樫丘谷部の底付近で、直径3・6センチ、長さ3・2センチの黒く炭化した材木片が出土。広葉樹とみられ、樹皮の一部も残っていた。今回、加速器質量分析法(AMS)を使った放射性炭素年代測定などで分析したところ、樹木が枯れたり焼けたりするなどして生命活動を停止した年代が605~645年の間である確率が95・4%にのぼると判定された。