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考古学に関するsink_kanpfのブックマーク (23)

  • 東日本に伝わる白鳳仏のミステリー 作家がたどり着いた「謎解き」 | 毎日新聞

    東日最古の国宝仏像、深大寺(じんだいじ=東京都調布市)の釈迦如来倚像(しゃかにょらいいぞう)。子どものようなあどけない表情に穏やかなほほえみを浮かべ、見る者も思わずにっこりしてしまう。白鳳(はくほう)時代(7~8世紀)を代表する仏像の一つで、多くの仏像ファンに愛されているが、その来歴は謎に包まれている。当時、都があった奈良付近で造られたことが有力視されながら、なぜこの仏だけが、遠く離れた関東の地にまで伝わったのか。他に類例もなく、記録も残っていないのだ。6月、そのミステリーに一石を投じるルポルタージュが刊行された。著者がたどり着いた「謎解き」からは、奈良時代に武蔵国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)から異例の出世を遂げたある個性的な人物との関わりが浮かび上がってきた。 同時代の仏像は奈良の寺…

    東日本に伝わる白鳳仏のミステリー 作家がたどり着いた「謎解き」 | 毎日新聞
  • 神戸新聞NEXT|明石|かつて教科書に載っていた明石原人、日本史から消えた謎に迫る

    「明石原人は99%現代人の骨」「かつては高校教科書に載り」。兵庫県明石市などが発行した2019年の図録の文章に衝撃を受けた。私が高校生のとき、日最古の人類と習った気がするのだが……。「明石原人」はもう「原人」ではないのだろうか。着任5カ月の新人記者(27)が明石最大のロマンを調べてみた。(長沢伸一) 「明石人骨がたとえ現代人のものだったとしても、6~13万年前の明石に『日最古の人類』がいた可能性はあるんです」。明石市文化振興課の稲原昭嘉さん(57)は力を込める。 かつて、70万年前までさかのぼるといわれた日の旧石器時代。明石人骨も「70万年前」とされた時代があった。だが、2000年に発覚した石器捏造事件で日の考古学は大きく修正を迫られた。 現在、日列島に人が住み始めたのは約4万年前とされている。 時代に翻弄されたのは「明石原人」も同じだ。 1931年、当時在野の研究者だった直良信

    神戸新聞NEXT|明石|かつて教科書に載っていた明石原人、日本史から消えた謎に迫る
  • 5世紀の円筒埴輪か、大山古墳から発見 列状に並ぶ:朝日新聞デジタル

    宮内庁と大阪府堺市は22日、国内最大の前方後円墳、大山(だいせん)古墳(伝仁徳〈にんとく〉天皇陵、全長486メートル)の堤で進めている共同発掘調査の現場を報道陣や国内16学会の代表者に公開した。列状に並んだ円筒埴輪(えんとうはにわ)と、こぶし大の石を並べた石敷きを確認。宮内庁は5世紀とされる築造時の遺構とみている。 大山古墳は日書紀で4世紀末に亡くなったとされる仁徳天皇の墓として、宮内庁が明治以降、立ち入りを厳しく規制してきた。 今回の調査は将来の保全工事に向けた基礎情報の収集が目的だが、宮内庁が地元自治体と共同で発掘したのは初めて。大山古墳の内側の堤まで立ち入りを認めたのも極めて異例だ。 現場は、墳丘を囲む三重の濠(ほり)のうち、墳丘に最も近い第1濠と2番目の第2濠に挟まれた第1堤。南側と東側の計9カ所でトレンチ(試掘溝、長さ7・5メートル~10・5メートル、幅2メートル)を掘った。

    5世紀の円筒埴輪か、大山古墳から発見 列状に並ぶ:朝日新聞デジタル
  • 後漢が北匈奴に勝利記した石碑、モンゴルで発見―中国紙

    平野美宇が勝利した孫穎莎 最後に海外選手に敗れたのは何年前? 勝利したのは、あの日人選手 07-03 01:28

    後漢が北匈奴に勝利記した石碑、モンゴルで発見―中国紙
  • エジプト:古代ファラオの巨像発見…カイロで、頭部と胸部 - 毎日新聞

  • 【リポート】世界の街から モヘンジョダロ遺跡、困難な保存 - 共同通信 47NEWS

  • 玄武と青竜も修理完了 キトラ古墳壁画、来年にも公開へ:朝日新聞デジタル

    速報 朝刊 記事一覧 紙面ビューアー 夕刊 記事一覧 紙面ビューアー 連載 特集 ランキング コメント その他 動画・音声・写真 土曜別刷り「be」 記者イベント 天気 数独 12星座占い サイトマップ 検索 ヘルプ Q&A(よくある質問) 総合ガイド お申し込み ログイン マイページ 有料会員紙面ビューアーコース登録済み 無料会員(クーポン適用中)紙面ビューアーコース登録済み 無料会員紙面ビューアーコース登録済み 朝日ID会員朝日新聞デジタル未登録 紙面ビューアーコース お客様サポート(個人設定) お客様サポート(個人設定) メール設定 スクラップブック MYキーワード 会員特典・プレゼント 提携プレミアムサービス ログアウト

    玄武と青竜も修理完了 キトラ古墳壁画、来年にも公開へ:朝日新聞デジタル
  • 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「 破斯 ( はし ) 」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日の国際性を裏付ける成果となる。 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「 員外大属 ( いんがいだいさかん ) 」という役職名、中国語でペルシャを表す「 波斯 ( はし ) 」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元

    奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 余録:日本最古の登山の痕跡はいつの時代のものか… | 毎日新聞

    最古の登山の痕跡(こんせき)はいつの時代のものか。なんと、縄文時代にさかのぼる。1930年に考古学者、藤森栄一(ふじもりえいいち)が八ケ岳連峰南端の編笠山(あみがさやま)の海抜2400メートル付近で見つけた黒曜石(こくようせき)のやじりである▲縄文人の石器が「狩猟」でなく「登山」の痕跡だというのは、そこがシカやイノシシの生息する標高をはるかに超えていたからだ。貧弱な石器で原始林を切り開き、山頂近くまで達した努力は「当然、登山史の第一ページにあげられてしかるべき」だと藤森は記した▲小(こ)泉(いずみ)武栄(たけえい)著「登山の誕生」から孫引きさせてもらったが、「そこに山があるから……」の名言を思い起こさせる。ともかく山地が7割超を占める日列島である。住民のなりわいや暮らしにおいても、宗教や精神生活においても、歴史の始まりから山はそこにあった▲で、きょうは新たに設けられた祝日「山の日」で

    余録:日本最古の登山の痕跡はいつの時代のものか… | 毎日新聞
  • 箸墓古墳:「周辺を国史跡に」桜井市教委が申請 | 毎日新聞

    商業施設計画が持ち上がり 最古の大型前方後円墳で卑弥呼の墓とも言われる奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(全長約280メートル、3世紀中ごろ〜後半)について、市教委が周辺の史跡指定を国に申請したことが分かった。古墳そばに商業施設計画が持ち上がったのを機に、開発が規制される史跡指定を目指すことにした。国の文化審議会で今後検討される。 箸墓古墳は、ヤマト王権の形成過程などを考える上で重要な墳墓とされる。古墳自体は、宮内庁が孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理している。

    箸墓古墳:「周辺を国史跡に」桜井市教委が申請 | 毎日新聞
  • 国宝・瑞巌寺:江戸時代の参道発見 「歴史的変遷」示す | 毎日新聞

    江戸時代の石組みなどが見つかった瑞巌寺参道の発掘調査現場=宮城県松島町で2016年7月23日、渡辺豊撮影 宮城県松島町教委は23日、伊達政宗が創建した国宝「瑞巌寺」の参道を発掘調査した結果、江戸時代の参道の一部とみられる石組みが見つかったと発表した。同日に開催された現地説明会で、同町教委が明らかにした。このほか、基盤の盛り土から板碑(供養碑)などの鎌倉時代の遺物も見つかり、同町教委は「瑞巌寺周辺の歴史的変遷もうかがえる貴重な資料」としている。 東日大震災の津波で被害を受けた参道周辺の再生工事に合わせ、同町教委は発掘調査を開始。幅5メートル、長さ180メートルの参道部分を調べた。同町教委によると、明治〜昭和期のアスファルトや砂利を取り除いたところ、2列に並んだ石組みや方形の石がばらばらに敷かれた石組みが見つかったという。

    国宝・瑞巌寺:江戸時代の参道発見 「歴史的変遷」示す | 毎日新聞
  • 日本最古級のカギ「海老錠」発見 飛鳥宮の役人が紛失?:朝日新聞デジタル

    初の格的な宮廷庭園跡とされる奈良県明日香村の「飛鳥京跡苑池(えんち)」(国史跡・名勝)で、7世紀後半につくられたとみられる最古級の錠前「海老錠(えびじょう)」が見つかった。県立橿原考古学研究所(橿考研)が13日、発表した。専門家は「宮殿(飛鳥宮)の扉や、貴族が服を入れる箱などに使った可能性が高い」と話す。 海老錠はかんぬきなどに使い、鍵穴のある「牝(め)金具」に、バネがついた「牡(お)金具」を差し込んで閉める。開けるときは鍵の先端でバネを狭めて押し出す。全体の形がエビに似ていることから名づけられた。 出土した海老錠は鉄製の牡金具で、苑池の北池の北側にある水路跡から見つかった。約9・5センチ、17グラム。水分の多い粘土層にあったため形がきれいに残ったという。表面に線状の装飾があり、漆を塗った跡がある。飛鳥京跡では牝金具が1968年に見つかっている。正倉院にある奈良時代の鉄製の海老錠にも

    日本最古級のカギ「海老錠」発見 飛鳥宮の役人が紛失?:朝日新聞デジタル
  • 国内のゴキブリの起源か 縄文土器から「第2の発掘」 歴史新発見 宮崎市田野町・本野原遺跡 - 日本経済新聞

    縄文時代後期の約4300年前とみられる土器片からゴキブリの卵の跡が見つかった。中国原産とされるクロゴキブリの卵とよく似ており、船で運ばれてきた可能性があるという。土器片が出土した宮崎市田野町の野原遺跡は縄文後期としては西日最大級の集落跡を持つ。掘削した巨大な広場に沿って環状に住居跡があるなど関東の遺跡との類似性が指摘される特異な遺跡だ。

    国内のゴキブリの起源か 縄文土器から「第2の発掘」 歴史新発見 宮崎市田野町・本野原遺跡 - 日本経済新聞
    sink_kanpf
    sink_kanpf 2016/06/30
    虫の痕跡を媒介にして当時の生活を描き出す話
  • 前方後円墳のルーツ発見か 奈良で弥生末期の円形墓:朝日新聞デジタル

    奈良県橿原(かしはら)市の瀬田遺跡で弥生時代終末期(2世紀中ごろ~後半)とみられる円形の墓が見つかった。奈良文化財研究所(奈文研)が12日発表した。円形の一部に四角い突出部があることから、専門家は「前方後円墳のルーツではないか」と指摘する。 ポリテクセンター奈良(奈良職業能力開発促進センター)の建て替えに伴う発掘調査で確認された。円の直径は約19メートルで、周囲を幅約6メートル、深さ約50センチの溝が巡る「円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)」。周溝を含めた直径は最大約31メートルに及ぶ。奈文研は、当時の奈良盆地で最大規模とみている。突出部は南側にあったとみられ、長さは約7メートル。墓への通路となる「陸橋」だったとみられる。 今回の調査では、7世紀後半の藤原京の時代とみられる大型建物跡などの遺構も出土し、墓はその下層で見つかった。墳丘は削られ、埋葬施設などは残っていなかった。 約7キロ北東の

    前方後円墳のルーツ発見か 奈良で弥生末期の円形墓:朝日新聞デジタル
    sink_kanpf
    sink_kanpf 2016/05/12
    「円形の一部に四角い突出部があることから~突出部は南側にあったとみられ~墓への通路となる「陸橋」~前方後円墳は陸橋(突出部)が次第に大きくなって前方部に発展したとの説があり…」
  • エラーページ - 産経ニュース

    ページが存在しません 指定されたURLは存在しませんでした。 5秒後に産経ニューストップページへ移動します。 産経ニューストップへ

  • 舒明天皇か蝦夷の?巨大古墳説強まる 奈良の小山田遺跡:朝日新聞デジタル

    飛鳥時代に築かれた未知の古墳の一部の可能性がある巨大な石張りの掘割(濠=ほり)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、厚さ3メートル以上の粘土層が見つかった。県立橿原考古学研究所(橿考研)が23日発表した。古墳の基盤部分にあたり、大規模な造成工事による巨大古墳だったことを裏付けるものという。 2014年の県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、北側斜面と底面に石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、南側斜面に榛原石(はいばらいし)と呼ばれる特殊な板石などを階段状に積み上げた掘割(長さ約48メートル)を確認。舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓や大豪族・蘇我蝦夷(そがのえみし)の墓などの見方が出ている。 今回、掘割の西約11メートルを発掘。地下約3・5メートルで南北3・5メートル、東西3メートルにわたる黄褐色の粘土層を確認した。粘土層の上では、10~30センチ大の石英閃緑

    舒明天皇か蝦夷の?巨大古墳説強まる 奈良の小山田遺跡:朝日新聞デジタル
    sink_kanpf
    sink_kanpf 2016/03/24
    「周辺も大規模に整備する飛鳥時代の古墳の特徴がうかがえる。」
  • 「天智天皇陵」、学会代表が初の立ち入り調査:朝日新聞デジタル

    宮内庁が天智天皇(626~671)陵に指定している御廟野(ごびょうの)古墳(京都市山科〈やましな〉区、7世紀後半)に20日、日考古学協会など歴史・考古学系16学会の代表らが立ち入り調査した。学会の要請で同古墳に立ち入りが認められたのは初めてで、飛鳥時代の天皇陵に特徴的な八角形墳の形が肉眼で確認できたという。 学会の陵墓・陵墓参考地への立ち入り調査は2008年以降、11カ所目。御廟野古墳は下部が一辺約70メートルの方形、上部が対角長約42メートルの八角形。同古墳が近江大津宮(現・大津市)で没した天智天皇の墓であることは、文献資料などからも確実視されている。 学会代表らは約1時間半にわたり、古墳最下段などを歩いて墳丘を観察。参加者によると、八角形部分の斜面は河原石で覆われ、八角形になっていることが確認できた。下部は2段または3段で、上段の角には兵庫県高砂市周辺に特有の凝灰岩「竜山石(たつやま

    「天智天皇陵」、学会代表が初の立ち入り調査:朝日新聞デジタル
    sink_kanpf
    sink_kanpf 2015/02/20
    「八角形墳の形が肉眼で確認できた」
  • 「卑弥呼の墓」?箸墓古墳、初の立ち入り調査 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓という説がある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳で20日、日考古学協会など15学会が立ち入り調査をした。 午後には卑弥呼の後継者・台与(とよ)の墓との説がある同県天理市の西殿塚(にしとのづか)古墳でも立ち入り調査を実施。ともに陵墓(天皇、皇族の墓)として宮内庁が管理し、非公開としてきたが、邪馬台国の所在地や古墳成立過程の解明の鍵を握る古墳だけに学会側が要望し、初の調査が実現した。 各学会による陵墓の立ち入り調査は2008年から行われており、今回で9か所目。ただ許可されたのは、墳丘の下段を歩いて観察する程度で、遺物の採集や発掘はできない。この日は午前10時頃から代表の研究者16人が箸墓古墳に入り、墳丘の形状などを確認した。

  • 韓国:新石器時代中期の耕作遺構を発見…国立文化財研発表- 毎日jp(毎日新聞)

  • asahi.com(朝日新聞社):マチュピチュ劣化深刻 日本の研究者に保存・修復依頼 - 文化トピックス - 文化

    印刷 メール マチュピチュ劣化深刻 日の研究者に保存・修復依頼 隙間が目立つようになったマチュピチュ遺跡の「太陽の神殿」(西浦忠輝さん提供) 標高約2400メートルの尾根上に築かれていることから、「空中都市」とも呼ばれる南米・ペルーのマチュピチュ遺跡。世界遺産にも登録されているこの遺跡の建造物遺構の劣化が進み、一部は立ち入り制限も考慮するレベルに至っていることが明らかになった。ペルー政府の要請を受け、日の研究者たちが保存・修復に乗り出した。 マチュピチュ遺跡は長さ約700メートル。15〜16世紀に築かれたインカ帝国の離宮跡と言われており、200以上の建物から構成される。1911年、アメリカ歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見された。 傷みがひどいのは、遺跡の中でも中心的建物とされる「太陽の神殿」。墓とその上にある円筒状の神殿から構成されており、冬至と夏至の日に、それぞれ太陽が差し込

    asahi.com(朝日新聞社):マチュピチュ劣化深刻 日本の研究者に保存・修復依頼 - 文化トピックス - 文化
    sink_kanpf
    sink_kanpf 2011/08/02
    「現状に至った最大の原因は、ビンガムが行ったという、たき火」「問題は資金難」「資金は私たち日本側が調達しなければならない」「ゆくゆくはペルーの人たちだけで保存・修復ができるようになれば」