P.E.S. で私訳版が掲載中のアイザック・アシモフ自伝から、これはいいなと思ったところを抜粋します。間違いなく多くの人達は物語を作りたいという欲求を持っている。それは人類共通の願望なのだろう──思索する心、理解しきれぬ世界、誰かが物語りを語った時に感じる自分だってという感情。物語りとは、人がキャンプの火の回りに座った時に行うことではないのか?多くの社会的な集まりが思い出話のためのもので、誰もがほんとうは何が起こったのかについての物語を語りたいものではないだろうか?そしてそういった物語は避けがたい脚色と語りの改善を受けて、やがて現実とはほとんど似ても似つかぬものになってしまうものではないだろうか? 太古の昔、一人の男がキャンプの火の回りに腰を下ろした時のことを想像してみよう。とてつもない狩の偉業についての語りだすのだが、それは真実をあまりに誇張していてばかばかしいほどだ。だが、それは誰かか
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