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2017年2月20日のブックマーク (5件)

  • ビル・ゲイツ氏、「働くロボットへの課税で人間を守るべき」

    Microsoftの共同創業者、ビル・ゲイツ氏が、労働するロボットへの課税の必要性について、2月17日(現地時間)に公開された米Quartzのインタビューで語った。 このインタビューはYouTubeでも公開されている(記事末に転載)。 自称“テクノロジーの楽観主義者”で慈善基金団体Melinda Gates Foundationの共同経営者である同氏は、ロボットは将来、例えば倉庫作業や運転などの人間の仕事を確実に奪うことになるが、その置き換え速度を抑制するためにもロボット課税は有効だと語った。 現在働いて税金を支払っている人間がロボットに置き換えられた場合、ロボットに同等の税金を課すべきだという。 その税金で、人間の方がロボットより適している新たな職を作れると同氏は言う。高齢者支援や教育関連などの、共感や理解の能力を必要とする仕事はまだまだ人間を必要とすると同氏は考える。 「イノベーショ

    ビル・ゲイツ氏、「働くロボットへの課税で人間を守るべき」
  • バルバロッサ作戦 - Wikipedia

    バルバロッサ作戦(バルバロッサさくせん、ドイツ語: Unternehmen Barbarossa ウンターネーメン・バルバロッサ、英語: Operation Barbarossa)は、第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始された、ナチス・ドイツとその同盟国の一部によるソビエト連邦への侵攻作戦のコードネームである。作戦名は、12世紀の神聖ローマ皇帝でドイツ国王でもあったフリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)にちなんで付けられた。 この作戦は、ソ連西部を征服してドイツ人を再増加させるというナチス・ドイツの思想的目標(国家戦略)を実行に移すものであった。ドイツ軍の東部総合計画(Generalplan Ost)は、征服した人々の一部を枢軸国の戦力として強制労働させ、コーカサスの石油資源とソ連領の様々な農業資源を獲得することを目指した。彼らの最終的な目標は、最終的にスラブ民族の絶滅、奴隷化、ゲル

    バルバロッサ作戦 - Wikipedia
  • 文科省の天下りスキャンダルはすぐに消えていく 週刊プレイボーイ連載(277) – 橘玲 公式BLOG

    トランプ新大統領が引き起こす混乱はいまだ収まる気配がありませんが、今回のテーマは文部科学省による天下りの斡旋です。なぜかというと、いまはたくさんにひとが怒っていますが、この話題はすぐに消えていく運命にあるからです。 すでに報じられているように、文科省の人事課は、OB団体が天下りを組織的に斡旋する手の込んだシステムを構築し、それを隠蔽するウソの説明の想定問答までつくっていました。「学の独立」を高らかに掲げる私立大学の雄が、文科省の指示に従って再就職等監視委員会の調査で口裏を合わせていたことも暴露され、教育行政に対する信用は大きく失墜しました。――この私立大学はなぜか「被害者」の立場に収まっていますが、ふつうは違法行為の幇助というのでしょう。 不思議なのは、文科省をきびしく批判するマスメディアが、どうすれば天下りを根絶できるかを説明しないことです。 ピラミッド型の組織は、その構造上、昇進にとも

    文科省の天下りスキャンダルはすぐに消えていく 週刊プレイボーイ連載(277) – 橘玲 公式BLOG
  • レトロゲームを、うちの子どもはちゃんと楽しんでますよ? - シロクマの屑籠

    jp.automaton.am リンク先を読んで、「ハッハッハッ、それはお父上がいけないのだよ」と思った。 リンク先で述べられているように、『ファイナルファイト』は往年の名作だ。だが、無限コンティニューなどという、スルメイカを噛まずに呑み込むようなプレイスタイルでは面白さは伝わらない。なにより、ゲームの核にあたるエッセンスがごっそり抜け落ちてしまうじゃないか! 投げ技を駆使した立ち回り。 ここぞという時のボタン同時押し技。 体力のやりくり。 ハメパンチ。 こういった、このゲームならではの“やりかた”を通り過ぎてしまうプレイで、果たして子どもは『ファイナルファイト』の面白さを体感できるだろうか。そしてゲームを通して何かを得ることができるだろうか。 いわゆるレトロゲーム――かつてはファミコンあたりを指していたが、近年は、プレイステーションやセガサターンあたりの年代まで含む――は、グラフィック面

    レトロゲームを、うちの子どもはちゃんと楽しんでますよ? - シロクマの屑籠
  • 僕が「ノーコンティニュー主義者」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    jp.automaton.am 面白いなあ、今度僕も息子がどんな反応を示すか、試してみよう、と思いながら読みました。 でも、この「一度遊んだら、もういいや」っていうのは「今の子どもだから」じゃないのかもしれません。 僕も最近ゲームをやるとき、RPGとかでも「寄り道」とか「オマケ要素」とかに、「こんなにボリュームがあって嬉しい!」というよりは、「ただでさえ時間ないのにめんどくさいな」という気持ちが先に立ってしまうのです。 どうせネットで検索すれば、答えも書いてあるし、とか、つい考えてしまいます。 自分の人生の残り時間と、遊びたいゲームの数を比べてみると、かなり駆け足で遊んでもたぶん、遊びきれなくて積み遺してしまう「ゲーム遺品」だらけになるのだろうな、とも思うし。 僕は小中学生だった頃、「コンティニューをしないゲーマー」だったのです。 「コンティニューは卑怯だ」「ワンコインでクリアできてこそ、

    僕が「ノーコンティニュー主義者」だった頃 - いつか電池がきれるまで