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ブックマーク / reki.hatenablog.com (30)

  • 韓国のフライドチキンの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    한국어: 맥주를 곁들인 한국식 치킨 (간장, 후라이드, 양념) 甘辛タレがビールに合う!韓国のフライドチキン いまや、韓国B級グルメはブームを経て日に定着した感があります。 サムギョプサル(豚バラ焼肉)、トッポッキ、キムパプ(海苔巻き)、ハットグ(ホットドッグ)などなど。都市部ではチェーン店でいくつもあるし、コンビニでも売ってたりします。 中でも絶品が韓国風フライドチキン。ピリ辛の衣やにんにくの風味が効いた衣をつけて揚げたフライドチキンはビールのおつまみやご飯のおかずに最高です。 今回はそんな美味しい韓国のフライドチキンがどうやって進化を遂げたのかの歴史です。 1. 韓国人が愛してやまないチキン 韓国と言ったら焼肉とキムチ、というイメージが強い方もいるかもしれませんが、韓国ではフライドチキンが庶民グルメのキングです。 おかずにもなるし、子どものおやつにもなるし、鉄板のビールのツマミ

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  • 中国のキリスト教の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    人口世界最大の国における、人口世界最大の宗教の歴史 現代の中国のキリスト教徒の人口がどれくらいいるかは、調査によって様々な説があります。 Katharina Wenzel-Teuber氏の調査によると3%にも満たないそうです。と言っても13億の人口の3%なので、4千万人もいるのですが。 今後中国ではキリスト教徒の人口が増えていくことが予想され、2030年には中国は世界最大のキリスト教徒を抱える国になることが予想されているそうです。 これに対し、中国政府は「中国政府の支配下での信仰」を強化すべく、様々な規制や干渉をしていると言われています。今も強く国家の干渉を受けているように、これまでの中国のキリスト教の歴史は、 時の権力者や対外関係などの影響をモロに受ける非常に不安定なものでした。 1. 唐の時代・大秦景教の流行 シルクロード経由でやってきたネストリウス派キリスト教 中国に最初にキリスト教

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  • 【太平洋戦争】日本軍が起こした忘れられがちな虐殺事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    事実として認めたほうがいい過去 日軍が起こした虐殺事件で最も有名なのは南京大虐殺です。 これはいまだに議論が盛んで、どういうわけかこの話になると普段は論理的な人も冷静さを失うほどです。 中国政府が発表する犠牲者の数が年々増えたり、多分に政治利用されているフシはありますが、火のないところに煙は立たないというか、数はともかく事実として事件はあったはず。 この、事実として受け入れるということが大事で、外からみたら日の右派的な言説があれこれイチャモンをつけてなかったことにしようとしているように見えるので、かなり心象が良くないです。 今回は日でも忘れられがちな「日軍の虐殺事件」を見ていきたいです。 1. ラハ飛行場虐殺事件(1942年2月) 掃海艇破壊の報復で300名以上のオーストラリア兵とオランダ兵を虐殺 蘭印攻略を進める日軍は1942年1月からアンボン島を空襲し、2月からオーストラリア

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  • 【太平洋戦争】日本の無条件降伏反対派による蜂起事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    徹底抗戦派によるクーデター・蜂起・騒乱事件 1945年8月15日に日はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、天皇陛下による玉音放送によってその事実は戦闘中の軍人及び民間人に広く伝達されました。 大部分の人はそれを受け入れたようですが、中には「降伏はありえない」としてあくまで徹底抗戦を主張する人もいました。 「日男児たるもの最後の一兵になるまで戦うべし」などと教え続けてきたから、気でそう考えるやつが出てきても無理はありません。 8月15日近辺で起きた、降伏反対派による事件をピックアップします。 1. 西部軍による九州独立構想 九州を独立させ徹底抗戦をする構想 西部軍は連合軍の日土侵攻に備え、中国・四国・九州を統括するために設置された陸軍の組織で、昭和20年九州全域の地上作戦を任務とする「第16方面軍」、警備や補給、地方機関との連携を任務とする「西部軍管区」に分けられました。 8月1

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  • 深夜にじっくり見たい、世界史の「戦闘経過」の動画20本 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    じっくり歴代将軍の大戦術を楽しもう 動画サイトには数多くの歴史関連のコンテンツが上がっていますが、みんな見たいに違いないのが、戦闘経過の解説動画です。 ニコ動にはそれなりにあるんですけど、今回はYouTubeから英語圏の動画を20ピックアップしました。ぜひ帰宅後、寝る前の落ち着いた時間などにドリンク片手にじっくりお楽しみください。 できれば音声付きでご覧いただきたいんですが、状況によって音声を再生できないかもしれないし、再生しても英語なので、日語の簡単な解説も記載します。 1. 古代 実は戦闘経過動画で一番充実しているのが古代の戦闘動画なのです。 アレクサンドロス大王、ハンニバル、スキピオ、カエサルなど、偉大な将軍たちの戦いぶりはやっぱり興味ありますもんね。 1-1. イッソスの戦い(紀元前333年) www.youtube.com イッソスの戦いは、アレクサンドロス大王がペルシア帝国の

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  • 【古代インド】ヒンドゥー教はどのように成立したか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    馴染みがあるようでないヒンドゥー教について学ぼう 我々に馴染みが深い仏教の教えは、その大部分が古代インドの思想がバックボーンにあります。 輪廻転生とか諸行無常とか縁起とか、すべてインド人の発明です。 しかし、いまインドの宗教のマジョリティであるヒンドゥー教は、シヴァ神とかパールヴァティとかガネーシャとか、我々とは全く異質の世界です。 今回は、古代インドの思想の発展とヒンドゥー教の成り立ちについて見ていきたいと思います。 1. ヴェーダの宗教の成立 紀元前1500年ごろ、北半球の寒冷化と大規模な乾燥化により、イラン北東部に住んでいたアーリア人がヒンズークシュ山脈を超えてインドに大移動しました。 インダス河流域には、衰退したものの健在のインダス文明が存在し、アーリア人はインダス文明の担い手であった先住民と戦って土地から追い出したり、支配に組み込んでいきます。 北インドの新たな支配者となったアー

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  • なぜロシア人はキリスト教を受け入れたのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Work by Moataz1997 ロシアがイスラム教を受け入れなかったのは酒が原因…? キエフ公国のウラジミール大公がルーシにイスラム教を取り入れることを良しとせず、キリスト教(正教)を受け入れたきっかけとなる有名なお話があります。 ウラジミール大公の元にあるムスリムが現れ、多神教信仰を棄ててイスラム教に帰依するように訴えた。その教えは大変魅力的で、大公は乗り気だったが、ムスリムになったら「豚と酒が禁止される」ことを聞いてこう言った。 「ルーシは酒を飲むことが楽しみなのだ。酒なしには生きている甲斐がないのだよ…」 そうしてウラジミール大公はイスラム教ではなく、酒が許される正教の導入を決定したのだった。 実はこれ以外にもウラジミール大公と様々な宗教使者のエピソードが色々あり、どれも半ばネタじみて作り話っぽい感じで、当かどうか分かりません。 ルーシ国家は伝統的に南のアッバース朝との中継交

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  • 北元の歴史 - 元王朝がモンゴル高原に撤退して以降 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Al Jazeera English 明朝成立後も約280年モンゴルで続いた元朝 1368年、元朝の順帝(トゴン・テムル)は明軍に追われて都の大都(北京)を脱出し、北方に逃れました。 これをもって華北は再び華人の天下となったのですが、北に逃れた元朝はその後も健在で、しばしば華北に攻め入り、明皇帝・正統帝を捕虜にする(土木の変)など、北方から明を脅かし続けました。 1636年、後金国のホンタイジが諸部族から「モンゴリアの支配者」の称号を推挙され、後金が清朝に変更したことで元朝は正式に消滅しました。 そのあいだの280年間の元朝の歴史を見ていきたいと思います。 1. モンゴル高原に撤退した元王朝 Image by Khiruge フビライ・ハーン家の王位断絶 北方に逃れたトゴン・テムルは2年後に死亡。 長男アユルシリダラと次男トクス・テムルは華北の回復を目指し、明と軍事対立を

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  • ブラジルの近現代史(1) - 帝国ブラジルの野望 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    21世紀の大国・ブラジルの近代史 ブラジルという国はGDPは世界9位(2016年度)であり、天然資源や工業部門で世界経済に占める割合は大きなものがあります。 日人の移民の歴史も長く、3世や4世の日系人が日で就職するケースも多く、人的な結びつきも強い国です。 にも関わらず、ブラジルの歴史というのはあまりにも馴染みがありません。 今回はブラジルがポルトガルから独立した1822年から20世紀までの歴史を、全4回に渡って追っていきたいと思います。 1. 独立の英雄・皇帝ペドロ一世 国に反旗を翻したポルトガル皇太子 ブラジルは長い間、ポルトガル帝国の海外戦略の中心でした。 植民地ブラジルがあげる富の量は国よりも大きかったし、ナポレオン戦争中はポルトガル王室はブラジルに避難しており、1815年から1821年の間、ポルトガルの首都はリオ・デ・ジャネイロにありました。 クリオーリョ(南米に生まれ育

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  • 【独眼竜】世界史で活躍した「隻眼の軍人」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    隻眼キャラはカッコイイ!? 映画やアニメでは、何か「隻眼キャラは有能」みたいな風潮があります。 戦闘の指揮官や孤高の天才キャラ、あるいは戦闘バカに多い気がする。重要な局面で替えの効かない働きをする。 終盤のストーリーやラスボスと関係ある何らかの過去を背負っていたり、抑えの効かない危険な能力が眼帯を取ったら解放されたりする。 隻眼であることと有能であることの因果関係はないはずなのですが、確かに活躍している隻眼の人物は数多く存在します。 日史であれば伊達政宗、山勘助、鎌倉景政が有名ですが、世界史ではどうでしょうか。 1. 李克用(中国) 黄巣の乱を鎮圧した元祖「独眼竜」 李克用の家系はもともと遊牧民族の突厥であり、父の朱邪赤心は唐に仕え李性を賜りました。しかしこの親父はえないヤツで、878年に息子の李克用と共に唐に対し反乱を起こし敗れると韃靼に逃亡。そこで捕らえられるかと思いきや、息子李

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  • 【WW2】ハンガリーが枢軸国側で参戦した経緯 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    大ハンガリーの領土回復への夢と絶望 第二次世界大戦の枢軸国の主要参戦国は、日ドイツ、イタリアばかりがクローズアップされますが、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、クロアチア、タイなども枢軸国側に立って参戦しています。 ハンガリーも枢軸国の一員になった国で、ソ連とアメリカに宣戦布告し主に東部戦線でドイツ軍と共に戦いました。 ハンガリーも他の枢軸国側と同じく親独・親伊一辺倒だったわけではなく、ハト派や保守派が何とか国を中立に維持させようと努力しますが、結局強力なドイツの外圧と国内急進派によって国を牛耳られていきました。 今回はハンガリーが枢軸国の一員になって破滅的な戦争に向かっていった経緯をまとめていきます。 話はオーストリア=ハンガリー帝国時代に遡ります。 1. 帝国の支配層としてのマジャール人 1-1. 自治を求める戦い ハンガリーの支配的民族であるマジャール人は、オスマン帝国の支配

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  • アパルトヘイトはなぜ始まったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    南ア経済システムに組み込まれた黒人差別 「アパルトヘイト」と聞くと、バスや公衆便所、水飲み場など公共の施設で白人と黒人が分けられているシンボリックな写真を思い浮かべます。 今の常識だとそんな差別が制度化されていたのが不思議なほどですが、なぜ1994年まで続いていたのか。 それは単に南アフリカの白人が他の国の白人より差別的だっただけではなく、南アフリカの特殊な社会状況・経済状況がそのような社会システムを作り出したためでした。 システムの中に差別が組み込まれていたため、国際社会から批判を受けつつも、長い間アパルトヘイトは機能し続け、ある意味南アフリカという国家を「支えてきた」のです。 1.  アパルトヘイトの真の目的 アパルトヘイトがいつから・なぜ始まったかは諸説ありますが、主流な説はM.レイシーが唱えた「労働力調達のための人種隔離説」です。 1950年代から黒人の人種隔離と政治からの締め出し

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  • ソ連ヤクザ学入門 - 赤い大地の親分たち(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ロシアマフィアの源流・ソ連ヤクザを知ろう ソ連時代にヤクザなんていたのか? と思うかもしれませんが実際に存在し、かなり大規模に闇商売に手を染めて勢力を拡大し、ソ連警察もなかなか手を出せないほどの力を持っていたそうです。 15世紀後半〜16世紀前半に急速に進んだ格差の拡大により、階級からドロップしたルンペン・プロレタリアートがならず者集団となり、様々な非合法活動を始めたのがロシアにおけるヤクザの起源とされています。 ソ連時代を生き延びたヤクザは、ゴルバチョフのペレストロイカ時代で急速に拡大しマフィア的組織となり政治家とグルになって影響力を広げ、現在のロシア政治・経済を牛耳るまでに至っています。現在のロシアの政財界でマフィアと繋がりのない人間などほぼいないほど。むしろマフィアが社長になったり大臣になったりしているのが、ロシアという国なのです。 ソ連のヤクザの入門知識を、「ロシア★マフィアが世

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  • 2016年に読んで面白かった本&よく読まれた記事 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    歴ログの今年の振り返りをしてみます 年末に今年の振り返りをするのが恒例?になってます。 恒例といっても3回目なのですが。 今年は仕事と私生活がメチャクチャ忙しくて、更新の頻度をガクッと落とした年でした。その分品質を上げようと努力したんですがあんま上がってないので、ただ量が少なくなっただけでした。すいませんでした。 は週2〜3冊のペースで読んでいるんですが、あんまり世界史に関係ないも読んでいました。 ということで、2016年のブログの振り返りと今年読んだ記事をまとめてみます。 2016年度に読んで面白かった 今年は直接ブログのネタになるようなだけでなく、あんま関係のないを結構読んでました。特に辺境作家の高野秀行さんのを凄く読んでました。 1: 「 世界の辺境とハードボイルド室町時代」 高野秀行,清水克行 集英社 世界の辺境とハードボイルド室町時代 作者: 高野秀行,清水克行 出版

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  • チェチェンの歴史 ー なぜテロや紛争が続いているのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Attribution: Pro-Russian separatists from the Chechen "Death" battalion MAXIM SHEMETOV / Reuters ロシアに抵抗を続けるチェチェン民族 「チェチェン」といえば名前くらい聞いたことがあると思います。 では具体的にチェチェンの場所がどの辺りなのか、なぜ人々がテロに訴えてまでロシアに抵抗するか、そこまではあまり知らないのではないかと思います。 物理的に遠いというのもありますが、我々とあまり経済上交流がないというのも日人がチェチェン問題に疎遠な理由の一つである気がします。 チェチェン問題が複合的理由や現地で実際何が起こっているかなど、ぼく自身まだ不勉強なところがあるため充分に網羅することはできませんが、「なぜこうなったか」にフォーカスを当ててまとめていきます。 1. ロシアの南下とチェチェンの抵抗 1-

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  • フランスの北アフリカ植民地支配と経済依存構造の成立について - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    旧宗主国フランスに依存する、不安定なマグレブ諸国 チュニジア、アルジェリア、モロッコを総称してマグレブ諸国(リビアとモーリタニアを含む場合もある)と言いますが、日人にとっては馴染みが薄い地域です。 モロッコはサハラツアーやマラケシュ、カサブランカと言った町を巡るツアーで特に女性に人気があるようですが、アラブの春の発信地チュニジア、日揮の社員が襲撃され殺されたアルジェリア、リビア革命が起きカダフィが倒されたリビアなど、治安が悪いというイメージを持つ人もいるかもしれません。 これらの国々はヨーロッパ諸国、特に旧宗主国フランスとの関係は深いものがあります。 過去の支配し支配されという経験から反ヨーロッパ・民族ナショナリズムの声は強いですが、一方で植民地解放を終えて長い時間がたった今でも経済的にフランスに頼る部分が大きい。 今回はフランスの北アフリカ植民地支配とその間のマグレブ諸国の政治・経済を

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  • 仏教の基本的な教えを再学習する - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    釈迦の教えをイチから学び直す 最近ほんとうにいいニュースがないです。 進む円高、増える国の借金、格差の拡大、地方の衰退、年金の崩壊、ブラック企業問題、AIに奪われる仕事、少子高齢化。 老いたヤクザ国・アメリカの混乱と、ブチ切れまくった若いヤクザ国・中国の台頭。 戦禍の続く中東と、そこから逃れた難民がヨーロッパでコンフリクトを起こす。 そして排外的な極右、耳あたりの良いポピュリズムの台頭。 次にいったい何が起こってしまうのか、みんな極度の不安の中で日々を過ごしていることと思います。まじで、どう転んでも悪い方向に行くようにしか思えない。 こんな時、どうするんだ?どうなるんだ?とオロオロするんではなく、一人一人が意志をしっかり持ち諸問題に対し善処し一個一個問題を解決していくしかないです。 一挙に問題を解決してくれるような英雄など現れません。英雄めいたことを言う奴ほど危険な存在はありません。 さて

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  • 弱小ポルトガル・ファシスト政権の「生き残り戦略」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ファシストだけど戦わないという「第3の道」 1929年10月、ウォールストリートで起こった株価の大暴落は、後に世界的な大恐慌を巻き起こしました。 アメリカやイギリスなど各国が自国の保護を優先して通貨や自国産業の保護を優先しブロック経済に走った結果、植民地を多く持たないドイツ・イタリア・日といった国は全体主義を推し進め暴力的手段を用いて経済危機から脱出を図ろうとし、結果的に第2次世界大戦が勃発することになったのでした。 さて、ヨーロッパの中でもとりわけ弱小国のポルトガルは、イギリスやフランスのような植民地経済圏もない上、軍事力もないのでドイツや日のような暴力的手段も取れない。 それでも、何としてでも生き残らねばならない。 ポルトガルの独裁者サラザールは、ファシズムを取り入れつつも決して戦わないという、「第3の道」を取って激動の時代の生き残りを図ったのでした。 1. 19世紀のポルトガル社

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  • 中国の伝統思想と共産党政権の関係 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    社会主義を容易に受容できた中国の伝統思想 いわずもがなですが、共産主義やその手前の社会主義思想が作られたのはヨーロッパです。 マルクスはその著作の中で「高度に発達した資主義はいつか必ず共産主義に到達する」と書きましたが、彼はそれを当時のイギリスを想定して書いていたのであって、すべての国・地域にあまねく適応できるとは限りません。 ところが実際に社会主義革命が起きた国の多くは、ロシア、東欧、中国、東南アジアなど高度な資主義どころか工業化もサッパリなところばっかでした。 さて、中国は清王朝の崩壊から抗日戦争と内戦を経た後に社会主義国家となったわけですが、マルクスの言う「西欧流」の思想がそのまま当てはまったわけではありません。 服は西欧の借り物だったわけですが、その体は中国の伝統思想からなる文脈に根ざしていたのであって、ヨーロッパ思想を中国独自の思想に溶解させていたのでした。 1. 満を排し漢

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  • 【事件】無人島で男女が集団サバイバル生活をした結果 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無人島に流れついた男女… あなたの乗っていた航空機が無人島に墜落。乗客の半分は死亡しますが、あなたは偶然助かったとします。 どういうわけか救助は来なく、しばらくの間生き残った人同士で無人島で生活しなくてはいけない。 さあ、どうする。 日々の暮らしに必要な道具が一式ないのはもちろん、社会統制のためのルールや法律もない。 もちろん、生き残った人たちと協力して生きていかねばならないけど、 ここには集団を縛る行動規範がないから、料や縄張り、異性を巡った争いが起きてしまう。 人類が未踏の地にたどり着くたびに、このような困難は繰り返されてきたはずです。 今回は、実際に無人島に複数男女がたどり着き、その後どのようになったのかを2例紹介します。 英領ピトケアン島 ピトケアン島は、南東太平洋にある絶海の孤島。 現在もイギリスの委任統治領で、人口わずか50人。 最寄りの有人島まで400キロ、政庁があるニュー

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