「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」を書いてから二週間。休暇で海外に出ていたのでしばらくこのブログを更新できなかったが、その間の膨大な反応も、帰国してから全部読んだ。 僕の本やブログをずっと読んでくれている人には「言わずもがな」かもしれないけれど、あの短いエントリーを単体で読むだけだと誤解を招くだろう部分が「好きを貫く」ことの難しさ、厳しさだ。 人生の幸福とは「好きを貫いて生涯を送ること」だと僕は思っている。「好きを貫いて生涯を送ること」は素晴らしいことだ。人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること。本当の幸福とは、そういう心の在り様にこそあると、僕はそう信じているから、若い人達に、そんなに簡単に「好きを貫く」ことを諦めてほしくない。でも「簡単だから
書店でふと手に取った「談―Speak,talk,and think (No.76(2006))」の特集が情動回路。 「情動」というのは、いわゆる感情。感情というと「感情的になるな」「感情に流されない」などといわれて、知覚・認知といった論理性に対してネガティブに捉えられるもののようです。 ですが、この情動というものが実は重要。僕が面白いと思ったのはオートポイエーシスで有名な河本さんのこの言葉。 現実性をそれとして成立させる、つまり物自体のところから現実が出現することろ、そこのところで働いているのが「注意」です。 この「注意」の動きに、どうも情動や感情が相当関与しているように思います。 世界というのは自分に関係なく進んでいて「僕にとっての現実」というのは僕が認識できた領域にしか過ぎません。河本さんの指摘は、その「僕にとっての現実」に気づく瞬間の動きです。それは知覚や認知や認識の手前。 僕は直感
ここ一週間、たくさんの日本の若い人たちと話した。JTPAツアー、九州大学ツアー、そして昨日のLingrイベント。それでつくづく思ったこと。もう前にも一度言ったことだし、当たり前のことだし、言わなくても伝わっているだろうとふと思っても、しつこく言おうと。なぜなら、僕が考えていることと正反対の言葉を、日本の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかったから。 二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会
『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史著・大和書房)より。 【不安とトラブルは違うと書きました。 そもそも、「考えること」と「悩むこと」は違うのです。 僕は22歳で劇団を旗揚げしました。今と違って、学生劇団からプロを目指すなんて、誰もやっていませんでした。当然、旗揚げの時は、不安でした。 早稲田大学演劇研究会という所にいたのですが、先輩が、僕に、「鴻上、劇団、どうするの?」と聞いてきました。 「今、どうしようか考えているんですよ。旗揚げしたほうがいいのか、やっていけるのか……」 と答えると、その先輩は、 「考えてないじゃん、悩んでるんだろう」 と言いました。えっ? という顔をすると、先輩は、 「考えることと悩むことは違うよ。考えるっていうのは、劇団を旗揚げして、やっていけるのかどうか――じゃあ、まず、今の日本の演劇状況を調べてみよう。自分がやりたい芝居と似たような劇団はあるのか、似たような劇団
Ywcafe.net This Page Is Under Construction - Coming Soon! Why am I seeing this 'Under Construction' page? Related Searches: Cheap Air Tickets Top Smart Phones fashion trends Healthy Weight Loss Health Insurance Trademark Free Notice Review our Privacy Policy Service Agreement Legal Notice Privacy Policy
arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ プロジェクト・ブックの中で、佐々木正人さんが書かれたコラム「アフォーダンスのフィールドから」。 日本のギブソン(?)こと佐々木正人さんは発達心理学、ようは赤ちゃんが成長にともなってどうやって動きを発達させているのかという研究をされています。 ある家庭に赤ちゃんの様子を撮影してもらっったところ以下のような段差による動きの発達トリガーが見られたそうです。 頸が据わった頃、仰向けの赤ちゃんは寝返りをしようと全身をねじり始めた。うまくいかず足で布団を何度も蹴った。全身が移動し、ベビー布団からはみ出し、布団の縁と床の数センチの段差にのった。段差が「あと押し」したように、くるりと寝返った。 はいはいは、はじめの頃はゆっくりだった。部屋と部屋の間に、10センチぐらいの段差があり、こ
【警告】当ブログ内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用を禁止します。すべての文章、画像等は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。 Copyright 2005〜2018 Kikko. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission. なんか、どこかのサイトか何かで、「きっこにメールしよう」ってことになってるんだと思うけど、ものすごくたくさんの、2種類のメールが届いてる。1つは、両親ともにNHKのプロデューサーで、立派な持ち家まであるお金持ちの夫婦が、自分の娘の心臓移植費用の1億円以上もの大金を一般から募金してる「さくらちゃんを救う会」とかってのが、「死ぬ死ぬ詐欺」の疑惑があるとかで、日記で取り上げて欲しいというメール。もう1つは、「広島ドッグパーク」って
なんか、むずかしいことばを使うのはどうなのかとか書いてありますよ? コミュニケーション能力の低い人文系について(訂正とお詫びあり) - Discommunicative http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/0723d08e5fed66a1187ca0667a9ac141 リンク先テキストは、それぞれ考えさせられる。想定読者に伝えたい事を伝えたいなら、それに合わせた言葉にしろよ、というのは合理的な考え方だと思う。厨房相手に難解な哲学用語をまき散らしたり、軍事オタクでもない人に説明無しで専門用語を使ったりするのは、ディスコミュニケーションの典型と言える。おまえは相手に何かを伝えたいのか、それとも「お前らには分からないけど俺には分かる」ことを確認しないと気が済まないのか、どっちなんだよと突っ込んでやりたくなる。 …ということで、私もあまり難解な単語は使いたくない
痛いニュース(ノ∀`) : 首切少年Aが弁護士になって悠々自適。ヨットサイトも運営。 - ライブドアブログ という記事を先週ぐらいにたまたま見かけました。1969年にあった少年による殺人事件、その少年がその後弁護士になったということに触れたノンフィクションの書籍「心にナイフをしのばせて」についての記事です。 書籍の紹介から引用します。 高1の少年が同級生の首を切り落とした驚愕の事件。被害者の母はさながら廃人のように生き、犯人は弁護士として社会復帰していた! 1969年春、横浜の高校で悲惨な事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。「28年前の酒鬼薔薇事件」である。 10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失っていた。そして犯人はいま、大きな事務所を
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出先で、次男は眠り込んでしまった。 家内は買い物をしなければならないので、 私は次男を抱き、長男を連れて駅に向かう。 駅にて。 私は次男を抱っこしているのであまり動けない。 私「じゃあ、はい、これお金。切符買って」 長男「(切符販売機を探してうろうろ)」 私「あっちのほうだよ。乗り換え切符のボタン」 長男「わかった、これだね」 改札を入る。 私「ホームはどっち?」 長男「ええと…あれだ!」 私「本当かな?」 長男「え? …あっ、違う。逆だ」 私「そうだね。正しいホームを探して。お父さんは動けないから」 長男「ええと、ええと…あっちのエスカレータだ!」 ホームに行く。ちょうど電車が来たので飛び乗る。 長男「ふう…座れた!」 私「そうだね。切符を買っても、ホームを間違えたら全く逆のほうにいっちゃうね」 長男「ほんとうだね」 電車が出発。次男は腕の中で熟睡している。 私「小学校出たら、あなたはど
200X年の、恋愛相談を思い出して。 「僕じゃ、彼女に迷惑をかけるから」 だったら迷惑にならない、有益な男になればいいじゃないか。 「僕じゃ、彼女を守ってあげられないから」 守りきれるような男になってしまえばいい。 「僕じゃ、彼女と釣り合わないから」 釣り合うように、男をあげればいい。 「僕はキモメンだから」 キモいという短所を軽減する方法論を研究したのかね?キモさを上回る長所を伸ばしたのかね? 「根性無いから、努力できません。そのうえ才能もルックスもないからダメなんです。」 そりゃダメだわ。 そんな風にガタガタ言い訳する暇があるなら、強くなっては如何でしょうか。モテるモテないなんて喚いてないで、自分を限界まで強化したほうがいいんではないでしょうか。駄目なものは駄目というのは同意しますけど、ホントに全部、隅から隅まであなたは駄目なんですか?確かに今日日の男女交際で高値取引されやすいスペック
ときどきプログラマのblogで上司の悪口や会社への愚痴を延々と書いている人が居る。そういう人は、たいてい優れた技術力を持っている。しかし、いかんせん心がどこか貧しい。その人は問題解決能力が飛びぬけて高いから、他人の欠点がやたら目につくのかも知れない。しかし、そんなことをblogで愚痴っているうちは、決して人の上に立つことなんて出来やしない。たいていは平社員で、会社への帰属意識に乏しく、職を転々としている。あるいは、長期間、neetを続けていたりする。そういう人はあなたのまわりに居ないだろうか? 先日、はぶあきひろさん(id:habuakihiro)にお会いしたときに「いきいき本」をいただいた。この本の内容をひとことで言えば、いい会社、すなわち、そこで働く者がみな幸せになれるような会社を作るには、どうしていけばいいのかが書かれている。経営者の私が読んでも参考になるが、どちらかと言えば、現場で
昨日、青野社長がイチローの言葉を紹介していたので ちょっと気になって他にもどんな名言があるかを 調べてみたところたくさん出てきました。 どれも含蓄のある深い名言ばかり。 「野球」を「経営」や「人生」に置き換えても十分意味が 通じるものばかり。 その中から特に気に入ったものをいくつか紹介します。 『小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています』 『今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない』 『少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事』 『ぼくが数字で満足することはあり得ません。なぜなら、数字が内容を反映しているとは限らないからです。目標を設定してそこに到達すれば、そこで満足してしまって先へ進む努力をしなくなるでしょう。毎打席何かしら学ぶべきこと、改良すべきことがありま
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なんとなく昔付き合っていた彼女に言われたことを最近よく思い出します。 僕は昔から「文章を書く人」でしたが、20代の頃、付き合っていた彼女に僕の書く文章は「おもしろいけど、言い訳っぽく感じるときがある」と言われたんです。 その頃の僕にはそれがどの部分を指して言っているのか、ピンときませんでした。当然、付き合っていた彼女に言われたのですから、すごく気になったのですが、彼女も明確にどの部分かを言い当てることはできませんでしたし、僕自身、いくら考えてもどういう点について言われているのかがわかりませんでした。 言い訳=無責任に批判することでも、今ならそれがよくわかります。 つまり、それは周囲や社会などへの不満を他人ごとのように批判する点が、彼女にそう思わせたのでしょう。 このブログで
目次 2006年9月30日 - トドちゃん到着 / 書籍のオンラインレビュー / 付録Aを送信 / 仕事 / 2006年9月29日 - 仕事 / BGM / 2006年9月28日 - 仕事 / 仕事 / 2006年9月27日 - 仕事 / 「Mathematical Girls」のアンビグラム! / 仕事 / 2006年9月26日 - 仕事 / 『最後の一枚の葉』音訳 / 2006年9月25日 - 仕事 / 今日の問いかけ / 2006年9月23日 - テストエントリ / 2006年9月22日 - 『改訂新版 コンピュータの名著・古典100冊』 / 2006年9月21日 - 仕事 / GnuPGメモ / 2006年9月20日 - 己を知るということ / 仕事 / 2006年9月19日 - またまた「The Essence of Programming」のアンビグラム! / 2006年9月1
先日、たまたまティーンエージャー(13~19才)の子供を持つ親のための講習会に出る機会があったのだが、そこで『二つのWhy』という話を聞いた。日本語にも若干通じる部分があるので、今日はそれに関する英語うんちく。 その講師は、親はティーンエージャーの「Why」には二種類あるので注意すべき、と主張する。一つは単なる質問の「Why」で、この場合は普通に答えて良い。もう一つが、こどもが自分が何かを拒否したい気持ちを伝えたくて「Why」と言っている場合。この場合に、その気持ちを理解しておきながら、理屈だけで納得させようとすると泥沼にはまってしまう、と指摘するのだ。 良い例が登校拒否のこども。親が「学校に行きなさい」というと「なぜ学校にいかなければいけないの?」と言い返してくる。そこで親としてはつい「ちゃんと学校を卒業しなければ、ちゃんとした会社に就職できないんだよ」などと答えて説得を試みたくなるのだ
第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい スポンサード リンク ・第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい 最初の2秒の状況判断=第一感はかなり正しいということの科学。 全米連続50週のベストセラー、世界34カ国で翻訳された話題の本。 赤いカード2組と青いカード2組の4つの山がある。カードには「○ドルの勝ち」「○ドルの負け」と書いてある。4つの山から、自由に選んでカードを何度もめくり、儲けを競うルールがある。プレイヤーには知らされていないが、実は赤いカードには大勝も多いが大きな負けも多い。青いカードは大勝は少ないが、負けを引いても損が少ない。だから、青を引き続ければ勝てるという、必勝法があるゲームである。人は何枚引いたらこの必勝法を見抜くものだろうか。 アイオワ大学の研究では、ほとんどの人が50枚を引いた頃に「青を引けば勝てる」となんとなく気がつくものだという。さらに続けて、8
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