そもそも世界史とは、生徒が内職などできないくらい面白い物語であるはずなのに。
d:id:bluede:20070417に強い共感を覚えたので記す。 あまり裕福ではない家に生まれ育ち、bluedeさんと同じく「自分には金がない」という意識が強すぎたため*1、僕も学生時代のときには、いわゆる「キャンパスライフをエンジョイ」(笑)のような価値観からは距離を置いて生活していた。そういうライフスタイルを維持するには、傍から見ていても、月々数万円くらいの余分な出費が必要そうだったし。いや、内的必然性があれば、そのための金くらいは万難を排してでも稼ぎに出たのだろうけど、でも僕にはそんな必然性とかなかったから、必死でバイトとかもしなかったし、たまたま財政に余裕があるときは、余剰な金は全部本などに化けた。「学生の本分は学業ですよ?」とうそぶきながら。 そして社会人になってから数年くらいの間も、「少なくとも奨学金を完済するまでは『遊ぶ』なんてもってのほか!」と大真面目に信じ込んでいたの
って話ですよ。ほんと。いや、周りの大多数が同調しているというただそれだけの理由で、意味もなくそれに逆らいたくなっちゃう。僕にとって、多数派に属しているというのは、それだけで生理的に気持ちが悪いことなのです。でも多数派であることが心地よい人のほうがはるかに多いというのだから世の中はよく分からない。あと、「非国民」なんて言葉がわりかし当たり前に出てきちゃう時点でかなりやばいと思ってる。きっとみんなシャレのつもりで言ってるんだろうけど、ファシズムとは案外こんなところから始まるんじゃないの、マジで? なんて思ってしまう。だから、今夜試合があると分かった上で、わざわざそれに逆らった行動を取りたくなったし、それを実践してしまった。だいいち、本当にサッカーとかに全く興味がないなら、そもそも今日の22時(日本時間)から試合が始まるということ自体を知らずに過ごすはずなのに。僕みたいな中途半端が、たぶんいちば
僕が漠然と抱いていた観念のひとつを今朝ふと言語化してみたら、以下のようになった。 「誰かを好きになるという気持ちは、ある日突然天から降ってくるものである。そしてそれが降ってこない限り、交際などしてはならない。」 ……なんだこりゃぁぁぁぁぁぁ!!!??? 自分はどこまでものの考え方が童貞だったら気が済むのだ。まさにこれこそは、噂の「恋愛の過剰な神聖視」の典型ではないか。自分に呆れ返ってしまった。 きっと世の中の人は、誰かを好きになるのをボケーっと待っているのではなく、ちょっとだけ気に入った人と接触を繰り返すことによって「好き」についての正のフィードバックをかけるとか、自分が誰かを好きになるように自分に暗示をかけるとか、そういうことを当たり前のようにやっているのだ。そうに違いない。
はーい、みなさんが大好きな、自己言及の話ですよー(w)。 作成を思いついた思考過程 寸゛さんがブックマークをやめる話を読んで、僕は本題とは全然関係のない、以下のようなことを考えてしまったのだった(寸゛さんごめんなさい)。 「なるほど。『いくらでもメタ言及ができてしまふ』。でも、その(理論上は)無限に続くメタ言及の列のたどり着く先が全然突拍子もないところだったら、どうなるだろう? 例えば、ありえないけど、当の発端になったはずの記事だったとか。いや待てよ、無限は無理だけど、その気になれば、はてなブックマーク上でn=3や4くらいのケースを再現することは可能じゃないか? (なぜ可能と思ったかは後述) ……いや、nの縮減をそこで止める必要はない。いっそ、n=1、つまり自分自身を直接ブックマークしてしまうというのはどうだろう? その方がインパクトも大きそうだし、しかも(なお若干の試行錯誤が必要になると
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