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旧日本軍に関するsskjzのブックマーク (3)

  • 陸軍が熊本で人体実験、「虹波」研究の人脈は京大医学部に 寒地で耐寒機能向上図る?|社会|地域のニュース|京都新聞

    戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊県合志市)の入所者に対し、陸軍が「虹波」(こうは)と名付けた薬剤を投与する人体実験を行い、9人が死亡したことを示す文書群を、同園が初めて開示した。同園での人体実験で死者が出ていたことは知られているが、1次資料の全容が明らかになったのは初めて。 戦後のハンセン病患者隔離政策を主導した菊池恵楓園の宮崎松記園長は京都帝大医学部卒だ。死者9人を出した旧陸軍の「虹波(こうは)」の人体実験で、宮崎園長と同じく第7陸軍技術研究所嘱託だった熊医科大の波多野輔久教授や、虹波を投与され死亡したハンセン病患者の遺体を解剖した同医科大の鈴江懐(きたす)教授(のち京大医学部教授)も、京都帝大医学部出身だ。虹波研究の人脈は京大医学部に連なっている。 京大医学部は、旧満州で捕虜らにペストなどを感染させるなどの生体実験を行った731部隊に、講師クラスの研究者を送り込んだ。虹

    陸軍が熊本で人体実験、「虹波」研究の人脈は京大医学部に 寒地で耐寒機能向上図る?|社会|地域のニュース|京都新聞
  • 平頂山事件 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 独自研究が含まれているおそれがあります。(2023年9月) 百科事典的でない記述が含まれているおそれがあります。(2023年9月) あまり重要でない事項が過剰に含まれているおそれがあり、整理が求められています。(2023年9月) 平頂山事件(へいちょうざんじけん)とは、1932年(昭和7年)9月16日、当時の満州(中国東北部)で、旧日軍が多くの住民を殺害した事件である[1]。 現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日軍の撫順守備隊が、その前夜の抗日ゲリラによる炭鉱襲撃の報復のため、抗日ゲリラと通じていたとして楊柏堡村付近にあった平頂山集落の住民の多くを殺傷した[2][注 1]。 満州鉄道の技術者だった加藤末吉は、当事件について、不良の徒が撫順炭鉱に押しかけ、殺傷強盗したことに対し、当時の撫順守備隊

  • 戦後60年 記者がさぐる戦争の真実/南京大虐殺/偕行社の「お詫び」

    軍の侵略行為の象徴として語られる「南京大虐殺(南京事件)」。日中戦争中の一九三七年末から三八年にかけて、日の占領部隊が南京市で捕虜・住民多数を殺害し、略奪、放火、強姦(ごうかん)などを繰り返した事件です。犠牲者数は数万から十数万ともいわれます。「戦闘の結果、民衆にも被害が出た」という程度のものではなく、捕虜と一般市民の組織的な大量殺りくでした。 体験手記募集 日戦争が正しかったと主張する人々は、この事件を「でっち上げ」「誰も見ていない」などとののしってきました。靖国神社の「遊就館」は「南京事件」のパネル解説で「敗残兵の摘発が行われたが、南京城内では一般市民の生活に平和がよみがえった」と述べています。 約二十年前、「でっち上げ」論の「根拠」を失わせる出来事がありました。 八三年十一月、旧陸軍将校の親ぼく団体「偕行社(かいこうしゃ)」の機関紙「偕行」に「いわゆる『南京事件』に関する情

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