その資料が見つかったのは去年12月。 東京の日比谷公園の一角にひっそりとたたずむ「後藤・安田記念東京都市研究所」の書庫に保管されていました。研究所を設立したのは、内務大臣として、関東大震災からの復興の陣頭指揮にあたった後藤新平です。 資料は3種類の路線図と2つの書簡。 日付は1923年11月。関東大震災が発生してわずか2か月後に作られていました。 専門家によると、「第一号図」が最も理想的な案、「第二号図」は当時検討されていた幹線道路の整備計画にあわせて修正した案、「第三号図」は最新の復興計画にあわせて修正されたということです。 どんな路線なのか、「第一号図」をもとにみてみましょう。 青い線が地下鉄路線、「高速鉄道線」と言われていました。 当時の主要な交通手段だった国営の鉄道路線「省線」が赤い線で、路面電車が黒い線で記されています。赤い円形の路線はいまの山手線です。 地下鉄路線は放射状に伸び
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