王稼祥(左)毛沢東(中央)と(1959年) 1977年7月の第10期3中全会において、党副主席、国務院常務副総理、中央軍事委員会副主席兼人民解放軍総参謀長に正式に復帰した。翌8月に開催された第11回党大会において、文化大革命の終了が宣言される。鄧小平は文革で混乱した人民解放軍の整理に着手すると共に科学技術と教育の再建に取り組み、同年に全国普通高等学校招生入学考試を復活させる。 1978年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため、当時は副総理だったが事実上の中国の首脳として初めて訪日して福田赳夫首相らに歓待され、中国の指導者としては初めて昭和天皇と会見した[12]。 1976年2月のロッキード事件の渦中にあった田中角栄の私邸を田中の日中国交正常化の功績を称えるべく訪れたほか[13]、日本社会党・公明党・民社党・新自由クラブ・社会民主連合・日本共産党といった野党6党の代表と会談し、自らを不老