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2006年9月8日のブックマーク (7件)

  • ガラスの艦隊 Special Blog:猪股プロデューサーが語るEPISODE-23「血戒のごとく…」 キーポイント

    まず残念なお知らせからです。テレビ朝日をご覧の視聴者の皆様には、今回がシリーズ最後の放送となります。事情を云々することも特にないのですが、結果として放送がここまでということになってしまいました。 いつも放送を楽しみにされていたファンの皆様には大変申し訳ないのですが、9月24日から始まるCS放送(AT-X)など、第24回の視聴機会については別途に複数検討していきますので、何卒ご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。 なお朝日放送は、現状、オンエアが第24回まであると聞いています。 さて、その「血戒のごとく…」(制作上25話)ですが、内容的には革命前夜の様相です。 迫る銀河のタイムリミット、神聖皇帝軍と人民軍の決着、十字星教法王が目論む真の目的とは。 男と女はそれぞれの納まるところに向かって行く感じが、何ともいえない雰囲気です。 王家秘伝のガラス製法を利用した艦隊に立ち向かう、元ア

    str017
    str017 2006/09/08
    ウチの地方では最後まで見れるようだ  この後こっちの地方でうたわれあたりが打ち切りとかになったら笑う  ってかガラ艦見てた人ってこんなにいたんだぁ(感動
  • 安易な謝罪は保身に過ぎない。: あんたジャージでどこ行くの

    「荒らし」への対応として、謝罪する必要のないことまで謝罪するのは、これは「御都合主義の最悪な対応」である。 そんな物は保身でしかない。謝罪することで、あなたのブログの炎上は収まるかも知れない。しかし奴らは増長するだけだ。あなたの謝罪は、奴らの「達成感」になる。 それは、奴らが「次のブログを荒らすため」の活力になる。 「ブログ炎上への最良の対処法は謝罪である」なんていうのは、アホの考えた戯言に過ぎない。 参考:「ブログ荒らし」の行動パターン 一応TBしとこ。 ・乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします なんか追い打ちをかけるようで気の毒だけど。たしかにあの記事への「補足」は必要だったろうし、大人な対応としての「謝罪」は選択肢の一つだと思う。でもやはりブロガーとして、上記のようなことは認識して欲しかった。 しかし、この謝罪記事にまで中傷コメントを書いている連中っていうのは何なんだろう。なんでこう

    str017
    str017 2006/09/08
    私は確実に自分が間違っている部分を謝罪した上で、相手の間違っている点を指摘する方法をとる
  • キャラとかうるせえこといってんじゃねえよ - Mellow My Mind

    ■[メモ]キャラとかうるせえこといってんじゃねえよ 「キャラを立てる」ことと「キャラ設定を作りこむ」ことはまったく別のはなしだと思うんだけど、そこを混同して、作りこんだ設定さえ用意すれば簡単に話や世界が作れると勘違いしている作品がけっこう多い気がしてならないのであった。いくら設定があったって行動やエピソードで描かれなかったら意味ねえよ。そして作品のテーマや物語の構造に関係ない設定がいくらあったところで、それは何ら作品の面白さに寄与しない。 ふと思ったのは、アニメのムックとかってキャラ設定とキャラ紹介が一緒にのってたりするじゃないすか。そのこと自体はかまわないんだけど、でもそれで誤解しちゃってる「作り手」の人もいるんじゃないのかなもしかして。来、キャラ設定とキャラ紹介って、実はまったく別のものだと思うんだよね。キャラ設定ってのは作り手が最初に決めた約束ごとで、キャラ紹介ってのは作品中のその

  • 「キャラクターが立った」という瞬間には二通りのケースがある - ピアノ・ファイア

    『テヅカ・イズ・デッド』の「キャラ/キャラクター」概念の自己流解釈を少しずつ深めている最中なのですが、その過程でちょっと思い立ったのは、受け手側が「キャラクターが立った!」と感じる瞬間には二種類あるのではないか、ということです。 以下、些細な話なのであんまり面白くない説明ですが。 そのひとつというのは、 「(脳内で)キャラクターが立った!」 であり、もうひとつは 「(作品世界の中で)キャラクターが立った!」 このふたつです。これらはそれぞれ異なる快感や興奮を受け手側にもたらすものであって、ちょっと分けて考えてみるのも良さそうなんですね。 具体的にどう違うかというと、 脳内 キャラクターの名前、外見、性格、能力、背景、口調などの設定を知ることによって、明確なイメージが脳裏に浮かぶ状態 キャラクター紹介の説明文を読むだけで「立つ」こともあれば、作品に触れながら「立っていく」こともある(普通は後

    「キャラクターが立った」という瞬間には二通りのケースがある - ピアノ・ファイア
  • 男性が描く百合 - ピアノ・ファイア

    BL作品なんて今まで数える程度しか読んでないんですが、「やおい」も含めたこのジャンルに対する個人的雑感をば。 なぜ同性愛を描こうとするのは、BLであってもGLであっても女性なのか。 逆に、男性が同性愛を描くことについて。 男性の描く男色作品について考えるのは容易いでしょう。万国の古典や日文学にも前例があるくらいですからね。由緒正しいジャンルなわけです。気になるのは「逆の性の同性愛を描く」ということについてです。 男性が描く百合というのは、ぼくが知る限り「魅力的な男性なんか描きたくない(描けない)」という、男性キャラの否定や作者の技術的な欠落などから発生してきたはずです。そこに恣意的な「同性愛性」は(僅かに後付けされるのみで──それも「背徳感」という、ありがちなエロティシズムでしかない──)無かったと思います。 男性作家にとって「百合」というジャンルのレベル(思想性、と言ってもよい)がかな

    男性が描く百合 - ピアノ・ファイア
    str017
    str017 2006/09/08
    男性キャラより女性キャラの方が書きづらいとずっと思ってたが、違ったのか
  • 「萌え要素」という言葉には二種類の使われ方がある - ピアノ・ファイア

  • 少年事件での少年の実名・顔写真の公表は許されるか: 法と常識の狭間で考えよう

    山口県の徳山高専で起きた女子学生の死亡事件に関し、殺人容疑で逮捕状が出され、指名手配されていた19歳の少年について、「週刊新潮」9月14日号は、その実名と顔写真を掲載した。 新聞報道によると、「週刊新潮」編集部は、実名と顔写真を掲載した理由について、「逃亡して指名手配されているのに、実名も顔写真も公開されていないことはどう考えてもおかしい。公表は犯人の自殺・再犯の抑止にもつながる」とのコメントを出したと伝えられている。 この「週刊新潮」が発売された9月7日、山口県下松市内で、その少年が遺体で発見された。事件が発生した数日後から、少年は自殺しているのではないかということは懸念されていた。「週刊新潮」も、「すでに○○は自殺している可能性もある。しかし、今も逃亡を続けている場合、〝第2の殺人〟が起こらない保証はどこにもない」(○○は原文では少年の実名)と述べて、その少年が自殺している可能性がある

    少年事件での少年の実名・顔写真の公表は許されるか: 法と常識の狭間で考えよう