自己と異なる他者に異なるものを発見し、異なるがゆえにそれを讃える人類学者は、自己の集団から遠く離れ、他者の集団にも決して同化することができないような存在である。そして彼の観点や方法は、あくまで彼の出自を決定している西欧の体制と歴史に属するのだ。 『悲しき熱帯』という書物が感動的なのは、このような引き裂かれたままに、どんな図式も解決も与えずに示しているからだ。この人類学者は差異について考えるばかりか、差異をとらえる方法やそのことの意味まで問うている。残念ながら文化人類学を新しい学や知として読む人々にはそれはどうでもいいことだった。 (宇野邦一『反歴史論』せりか書房、2003年、46頁) 田中ロミオの作品からは、文化人類学の香りがする。彼が都市や社会の形態を描く際にはその法則性や合理性が強調されるが、それは誰かの意識によって設計されたためではなく、人間にとっての自然(そこには無意識も含まれる)