東日本大震災から1年後、多くのドキュメンタリーがテレビで放映された。その一つに震災後の学校生活を描いたものがあったが、或(あ)るアナウンサーがこう言った。「いのちからがら勉強した」と。 おかしい。「いのちからがら(やっと)逃げるのに成功して、ここで勉強した」と言うべきだろう。 このような奇妙な誤解用法が、近ごろもう一つ飛び出してきた。「保守」という語についてである。 この14日、中国の全国人民代表大会(国会に相当)が閉幕したが、その結果の全体像を各メディアは、なんとこう表現していた。すなわち「改革派対保守派」と。 「保守派」-このことばを目にしたとき、ふつうならば、そこに〈伝統的なものを継承する集団〉という感じを受ける。 ところがその内容は驚くべきもので、歴史から見れば、その保守派とは革命派のことだ。 それは、次のような事情である。 昭和20年、日本の敗戦後、中国では蒋介石(しょう・かいせ