そうなんだ。 気持ちを「言葉」にしたときに、こぼれ落ちることがたくさんある。だから、ぼくたちは「思うように伝わらない」というジレンマを永遠に抱えながら、でも伝えようとする。 どうして、「言葉」にすると、たくさんのことがこぼれ落ちるのか? それは、言葉が個人のものではなく、伝えるためのもので、社会のものだから。 ぼくの「りんご」に対するイマジネーションと、あなたの「りんご」に対するイマジネーションは、ズレていて、一致することがない。 それどころか、ぼくが、ぼくのイマジネーションとして「りんご」と発した瞬間に、それは社会的な「りんご」というイマジネーションを帯びてしまう。純粋なぼくの言葉としての「りんご」は消えてなくなってしまう。 ぼくの「りんご」は、言葉にすると、ぼくの「りんご」じゃなくなってしまうんだ。 これは、絶望なのかな。 それとも、希望なのかな。 ていねいに言葉を重ねていけば、そのズ