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communicationとサイト運営に関するsweetloveのブックマーク (9)

  • メールが来るかどうかはサイト運営者の運営方法による部分が大きいのだろうなぁ:ekken

    Eメールはサイト管理人とのコミュニケーションにおいて地位が下がっているようだけど、もっと活用してもいいんじゃない? : ARTIFACT ―人工事実― リンク先の内容とはあまり関係ないのだけど。 面識のない「Web上の知人」にメールを出せるかどうか、というのは、相手のブログが所属する(意識的にか否かは問わない)コミュニティによる部分が大きそうだと思った。 僕がブログを日常的に更新するようになったのは、2004年の3月からなんだけど、当時は「コメントやトラックバックがたくさんもらえるブログ」を目標に更新していて、その目論見は割と早期に実現することができた。アクセス数の割には信じられないくらいのコメントがついて、雑談コミュニティとしてはそこそこ成功したのではないかと思っている。 こうしたブログは読者からのメールをもらえることが多いのか、当時、ブログ上にEメールアドレスの記載がなかったにもかかわ

    sweetlove
    sweetlove 2007/07/01
    よーし、えっけんさんにラブレター書いちゃお!
  • https://jp.blogherald.com/2007/04/23/when-was-the-last-time-you-thanked-those-who-made-your-blog/

  • http://digiper.com/trend/archives/2007/02/post_8.shtml

  • みんなが元気になる記事を書いてみたい - 304 Not Modified

    私、サイト管理人が元気が出るようなサイト論を書いてみたいんですよ。 サイトを運営していると、楽しいこともあればつらいこともあります。楽しいときには良かったねーって一緒に喜んで、つらいときにはがんばれって声かけたいんです。 じゃあ、どういうものを書いたら良いかって考えたんだけど、何も思い浮かばないんですよ。その逆は意外とあっさり思い浮かぶのに。でも、それは違うと思うんです。「悪くない」ものが「良い」とは限らないじゃないですか。 このブログを読んでいる人に私の文章がどう思われているかは分からないけれど、私自身は他人まかせで投げやりな文章を書いていると思ってます。サイト論系ブログとしての性格でも似たようなことを書いたけれど、「~ができる」「~という方法がある」とばかり書いていて、その判断は読者に投げてるんです。 過去ログを読んでみると「私は~思う」という文章がやたらと出てくるんじゃないかな。私は

    みんなが元気になる記事を書いてみたい - 304 Not Modified
    sweetlove
    sweetlove 2007/02/08
    いつも読んでますよ /↑マジで更新楽しみにしてますよん
  • 率直な意見を聞きたいなら

    知り合いに、WEBサイトの制作とか諸々を仕事でやっている人がいます。 で、たまに自分がデザインしたサイトなんかを見せてきて、感想を聞かせて欲しい、なんて言ってくるワケなんですけども。まぁ私はぱっと見の印象とか、適当に感想を言うワケです。それは別にいいんですけど。気になるのが、私が適当に感想やら使いづらいと思った点を指摘すると、「いや実はクライアントからはこういう要望があって~」とか、「ちょっとこういう制約があって~」とかなんとか言い始めるコトが多いんですよ。 いや、そういうコトを言いたくなるのはわかります。彼もいろんな制約の中で、頑張って工夫しているのでしょうから。しかし、それって使う側の人間からしてみれば、何の関係も無い話なワケですよ。部外者である私に意見を求めてくるっていうのは、「利用する立場からの意見を聞かせてくれ」って意味でしょ?でも、利用する立場なりの意見を言うといきなり制作サイ

  • ブログにコメント欄を設置しないリスク:Geekなぺーじ

    ブログにコメント欄を設置するリスクに関しては多くが語られていますが、コメント欄を設置しない事によるリスクもあるのではないかと考え始めました。 うっぷんマグマの蓄積 ブログを書いていると様々な題材を扱います。 ブログを見る人数が増えれば増えるほど、異なる意見の方が記事を読む確率が高くなります。 例えば題とは全く関係ないつもりで何気なく書いた数個の単語が誰かの逆鱗に触れる可能性もあります。 最初はちょっとした事でも、回数を重ねてしまうと知らず知らずのうちに読者を苛立たせているかも知れません。 ブログにコメント欄があると、中には不満をコメントとして残してくれる場合もあります。 このような不満コメントは危険信号としてキャッチする事ができます。 不満が軽微なうちに誤解を解いたり、方向修正をしたりすることが出来れば大事になる事を防げる場合もあります。 コメント欄がないと自分が知らないうちに読者の中に

    sweetlove
    sweetlove 2006/11/10
    うっぷんマグマがうっぷんブクマに見えた
  • 獲得できる常連の数には限りがある - Mugi2.0.1

    ■[Web] 獲得できる常連の数には限りがある これはぼくのキャパシティの問題でもあるのですが。 実生活において,親身に気にかけて,何とかしてあげようと声をかけたり面倒見たりできる人はいちどに数人まで。 それとなく気にかけて一応様子を見られる人はいちどに数十人まで。 顔と名前が一致して名前で呼びかけられる人は数百人まで。 たぶん限度があって,新たに誰かを気にかけるようになったら,誰かを放ったらかしにするようになり,誰かを放ったらかしにしない限り,新たに誰かを気にかけることはできない。 ブログでも同じようなことが言えそうです。 記事やブックマークをチェックして,いま何に興味を持ち何を考えているか気にかけるようなブロガーが数人。 一応RSSなどでチェックして,それとなく様子を見ているブロガーが数十人。 ハンドルを見て「ああ,この人ね」と思い浮かぶブロガーが数百人。 キャパシティの大きな人もいる

  • http://d.hatena.ne.jp/yama_r/20060716/1153053935

  • Mugi2.0(むぎむぎ) - 系のなかで書くことと閉鎖について

    ■[Web] 系のなかで書くことと閉鎖について 例えば,リンク集のようなページにサイト名を載せリンクをはる。が,何かの事情であるサイトが閉鎖することになり,リンクを外す。それでも,リンク集はコンテンツとしての形を保つ。ひとつのサイトの閉鎖による影響はあまり大きくはない。 ブログでどこかの記事に言及した場合はどうだろう。ある記事の主張・意見・感想に対して,自分の考えや思いを書く。人の記事に大事な部分,根拠となる部分を頼った形でコンテンツは作られる。その元となった記事が削除されてしまったら。書いたものが意味不明になることもあるだろうし,根拠を失って力のないものになってしまうかもしれないし,議論の空振りになってしまうかもしれない。  削除までしなくても,大幅に書き換えられた場合も同じようなことは起こる。 言及することによってつながり合った記事は,「系」を作り出す。ある記事が他のある記事につながり

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