うだるように暑い8月の昼下がりだった。信号待ちしているだけで、どっと汗が噴き出す。道の向こうに見える風景が蜃気楼のように揺れていた。 だが、用意していた対談の会場に着くと、灼熱の外界とは切り離された空気と時間が流れていた。 そこは昭和30年に建てられた都内にある古い平屋の住宅だ。引き戸を開け放つと、広々とした庭の緑が目に涼しい。岩に染み入ってなお溢れ出してきそうな蝉の声が現実感を失わせ、どこか遠い昔にタイムスリップしたような感覚に陥る場所だった。 先に中村太地七段が姿を見せた。白いTシャツにセットアップのジャケパンスタイル。そうと知らなければ、スタートアップの創業者のような現代的な佇まいだ。 「アン・ドゥムルメステール」の黒のマスク 冷たい麦茶を飲みながら、もう1人の到着を待つ。対談の相手はファッションやクラシック音楽などに造詣が深い“貴族”佐藤天彦九段である。「一体、どんな格好で来るんで
指し将棋の終盤のように、王手の連続で相手の玉を追い詰める知的パズル「詰将棋」。指し将棋の世界で戦うプロ棋士ほど目立つ存在ではないが、詰将棋創作に人生を捧げる人々がいる。 今回取材した橋本孝治さんは、最長手数記録を持つ「ミクロコスモス」を手掛けた詰将棋作家。約30年前(1986年)に22歳の若さで発表した1519手詰の作品で、この記録は1995年に自ら更新した(1525手詰に)以外には破られていない。プロの実戦で現れる詰みが長くて10数手程度ということを考えれば、この手数の途方もなさは一目瞭然だろう。 同氏にとって詰将棋は「すでに完全に生活の一部」であり、費やしてきた時間は「取りあえず数万時間」。形を変えながらも、今なお詰将棋の世界に関わり続けているという。その情熱、詰将棋と向き合い続けて見えてきた世界について話を伺った。 ライター:橋本長道 1984年生まれの小説家、元奨励会員、神戸大学経
将棋界には師匠・弟子の制度がある。その関係は棋士によって様々だが、強い絆と思いやりに、話を聞いた人々の胸を打つようなものもある。今年、史上最年長で初タイトルを獲得した木村一基王位(46)と、師匠の後に続くように新人王戦で初優勝を果たした高野智史五段(26)。この2人の間にあったものが12月17日に行われた新人王表彰式で高野五段から語られると、木村王位は初タイトルを取った時と同じく、もしくはそれ以上に涙した。多数集まった関係者がしんと静まりかえり、思わず聞き入ったあいさつの中で、師匠に贈ったメッセージを紹介する。 高野智史五段のあいさつ ※一部、抜粋。 私にとって何よりも大きな存在である師匠の木村王位に対する思いを言葉にしたいと思います。 入門したのは中学2年生になろうかと、今から12年ほど前になります。月1回のペースで将棋を教えてくださいました。そのおかげもあって、しばらく順調に上がること
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週プレNEWS TOPニュースエンタメ【将棋】木村一基は、なぜ46歳にして初タイトル(王位)を獲得できたのか? 本人を直撃!「それがわかっていれば、もっと早くから取り組んでいますよ(笑)」 【将棋】木村一基は、なぜ46歳にして初タイトル(王位)を獲得できたのか? 本人を直撃!「それがわかっていれば、もっと早くから取り組んでいますよ(笑)」 自らを「将棋の強いおじさん」と呼ぶ、気さくな木村一基・新王位 29歳の絶対王者に挑戦し、46歳にして初のタイトルを獲得。親しみやすい風貌と、軽妙なトーク&ジョークで、幅広い層のファンから熱烈に支持されている人気棋士、それが木村一基(きむら・かずき)だ。自らを「将棋の強いおじさん」と呼ぶ気さくな人柄の新王位を直撃インタビュー! * * * ――今日だけ"おじおじ"と呼んでもいいですか。 木村 はい、いいですよ。 ――まずは初タイトルの獲得、おめでとうござい
将棋の高野智史四段(26)が10月28日に行われた第50期新人王戦の決勝3番勝負第3局で増田康宏六段(22)に後手の98手で勝ち、対戦成績2勝1敗で初優勝を果たした。師匠の木村一基王位(46)が9月に史上最年長で初タイトルを獲得したことに続いての快挙。師匠の17年後に新人王になった高野は「『木村一基の弟子』という言葉の似合う人になりたいです」と思いを語った。 9月26日夜。対局を終えた高野は大阪市内の宿舎で一人、歓喜の声を上げていた。王位戦7番勝負最終局で、師匠の木村が豊島将之名人から初タイトルを奪取したことをスマートフォンを見て知ったからだ。 「ドキドキしながら棋譜中継を追っていたら、LINEで『師匠、おめでとう』って送られてきて。すごい…すごい…という言葉しか思い浮かばなかったです」。ちょうど、新人王戦決勝3番勝負への進出を決めた1週間後の吉報だった。「自分も頑張ろうと思っていたら、師
●木村一基(きむら・かずき)/1973年生まれ、千葉県出身。23歳でプロ入りし、初のタイトル戦は2005年の竜王戦。そこから計7回のタイトル戦に挑み、19年の王位戦でタイトルを獲得。46歳3か月で初タイトル獲得最年長記録を更新した。師匠は故・佐瀬勇次名誉九段(撮影/写真部・張溢文)この記事の写真をすべて見る 「私を置いて家族旅行をしていたことを思い出していたら、(王位獲得後に)泣かなかったと思います」と冗談交じりに話す木村王位(撮影/写真部・張溢文) 将棋への思いを語る木村王位(撮影/写真部・張溢文) 王位戦の後、記者から、支えてくれた家族への思いを問われると、こみ上げる思いを抑えられず涙した。 【インタビュー写真】笑顔で話す木村王位はこちら 46歳3か月。木村一基“新”王位が初のタイトル獲得に要した時間だ。それまでの37歳6カ月だった初タイトル最年長記録を46年ぶりに塗り替える偉業だった
第1部では、「観戦記者のおしごと」「“棋譜コメ”ソムリエ選手権」などの企画が行われた。このレポートでは、木村一基王位、遠山雄亮六段、漫画『将棋めし』の作者である松本渚さんが登壇して大いに盛り上がった、第2部トークショーの模様をお届けしよう。 木村王位は、冒頭で乾杯を促されると「お茶じゃないだろうね」と軽いジャブ。ビールジョッキを片手に、遠山六段と集まったファンの「おめでとう」コールで乾杯した。 まずは木村王位と乾杯 王位獲得後の記者会見で泣いたこと 木村 王位になってこれだけ多くの人の前で話すイベント初めてなんですが、やはり王位戦の最終局のことを思い出しますね。あのときはファンの方が多かったんですよ。終局後の大盤解説会でも、何局も来ていただいた方がたくさんいて、そういった人を見ると泣きそうになるから見ないようにしていたんです。けれども、記者会見のときに泣いちゃって……。その泣いちゃった姿
「千駄ヶ谷の受け師」、「将棋の強いおじさん」で有名だった木村一基王位。46歳の初タイトルは彼の真価を世に知らしめた。 加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、藤井聡太と続く、史上5人しか出現していない中学生棋士の輝かしい足跡が示すように、「早熟」が何よりのアドバンテージとして幅を利かすのが将棋の世界だ。 そんな中にあって、46歳3カ月という年齢で念願の初タイトルに届いた木村一基新王位の奮闘は、まさに大快挙と呼ぶに相応しい。 それ以前の年長記録は、当時37歳6カ月だった'73年の有吉道夫九段の棋聖獲得。今回の王位戦で大幅に書き換えられた史上最年長記録は、振り返ればそれから46年ぶりで、今度こそ不滅の大記録なのかもしれない。 棋界の常識を外れた偉業の数々。 さらに付け加えれば、7度目のタイトル戦挑戦での初奪取も史上最も多くはね返されたニューレコード。四段昇段後22年5カ月、初挑戦('05年竜王
王位戦第7局の感想戦。初のタイトル防衛をかけた豊島将之王位(29歳)が投了し、木村一基九段の勝利。初タイトル獲得の最年長記録を46年ぶりに更新した。(村瀬信也 撮影) 「こんなことが、本当に起きるとは」 都内にある22階建てホテルの最上階。対局室近くの和室でパソコンに向かっていた私は、快挙達成が近くなっても、まだ戸惑いを覚えていた。仕上げるべき原稿は、なかなか進まなかった。 豊島将之王位に木村一基九段が挑戦した第60期王位戦七番勝負。9月25、26日に指された第7局は、先手の豊島が得意とする「角換わり」の戦いになった。研究熱心で知られる豊島がハイペースで手を進めるのに対し、初タイトル獲得を目指す木村は慎重な対応を強いられた。豊島のペースかと思われたが、2日目の午後に入ってみると、勝利を手にしようとしているのは木村だった。
将棋の第60期王位戦7番勝負の第7局が25、26日に東京都千代田区の都市センターホテルで行われ、後手の挑戦者・木村一基九段(46)が110手で豊島将之王位(29)=名人=に勝ち、対戦成績4勝3敗で初タイトルの王位を奪取した。46歳3か月での初タイトルは史上最年長記録。苦労人の悲願成就を多くのファンが祝福した。タイトル獲得の夜を担当記者が振り返る。 とある質問を私がすると、木村は声を発しなかった。いや、発せられなくなったのだ。 感想戦後の合同取材。対局室を埋め尽くした記者とカメラマンの間から、私は「誰よりも喜んでいるのはご家族だと思います。奥さまと娘さんの存在、支えについてお言葉をいただけますか」と聞いた。直前まで努めて淡々と答えていた新王位は言葉を失い、メガネを外し、あふれ出る涙を手ぬぐいで拭いた。20秒後、私に視線を送り「…家に帰ってから伝えたいと思います…」と照れ笑いを浮かべながら言っ
「努力とは、息をすること」。今春、念願の初タイトル・叡王を手にした永瀬拓矢は、みずみずしい感性で「努力」の定義をそう示した。希代の天才棋士・羽生善治は「才能とは、続けられること」と説く。 一般的に「努力=苦労」と結びつけやすいし、「才能=天から与えられた自分の力ではどうにもならない能力」と思われがちな2つの単語。一般社会を生きる私たちと、“天才たち”の語彙のギャップに興味が湧く。 厳しい勝負の世界を身一つで戦い、切り開いて生きる棋士たちにとっての「才能と努力」観とは―? 複数冠獲得に挑む者。再び玉座を狙う者。初タイトルや、神の領域とも言える通算100冠を見据える者―。 第69期大阪王将杯王将戦挑戦者決定リーグには、現在の将棋界の顔とも言える個性豊かな7人の棋士が集結した。待ち構える大将は、将棋界最強の男・渡辺明。8棋士の素顔と感性に迫り、読者とともに“天才の視点”を体感していきたい。 リー
豊島将之王位(29)に木村一基九段(46)が挑戦する第60期王位戦七番勝負は9月25・26日に最終第7局が行われ、木村九段が勝って悲願の初タイトルを手にした。 46歳3ヶ月での初タイトル獲得は、初タイトル獲得最年長記録を大幅に更新した。 一方、防衛に失敗した豊島王位は、二冠から一冠(名人)に後退した。 最終第7局は改めての振り駒で豊島名人の先手となり、豊島名人のエースである角換わり戦法に進んだ。 豊島名人が攻め込む展開となったが、自玉が不安定で思い切った攻めができず、好タイミングでの反撃を決めた木村王位が優位にたった。 終盤は際どいところもあったが、豊島名人の最後の突撃をギリギリで見切る木村王位らしい指し方で勝負を決めた。 読みを大切に 昨日の対局含め七番勝負全体を通して、木村王位は常に薄い守りでの戦いだった。そういう戦いで大切なのは丹念な読みである。相手の攻めを一つずつ見きわめ、ギリギリ
将棋は男性が指すもの。女が将棋をやっても絶対に強くはなれない。そんな意見がまかり通っていた時代、少年たちに混ざり、将棋盤に向かい続けた少女がいた。 女流棋士の第一人者であり、昨年、最年長勝利などの記録を残して、惜しまれつつ現役を引退した蛸島彰子女流六段である。 道なき道を歩き続け、女流棋士として研鑽を積みつつ、将棋の普及活動にも力を尽くしてきた。将棋界という完全な男性社会の中で、何を思い、何を目指したのか。「女性初」の道のりを尋ねた。(全2回の1回目/#2へ続く) ◆ ◆ ◆ 「女はバカだから将棋をやっても強くなれない」 私が子どもだった頃は、将棋を指す女の子なんて、まずいなくて、何々県にひとりいるらしい、と噂になるような、そんな時代でした(笑)。 私が将棋道場で指していますと、偉い先生がやってきて「女はバカだから将棋をやっても強くなれない。だから、早く違うところに行きなさい」って真剣に言
1974年に女流棋士の第一号となり、初代女流名人、初代女流王将などタイトルを通算7期獲得した蛸島彰子女流六段。しかし、その道のりは平坦ではなかった――。 「女は将棋に向かない」「やっても無駄だ」という根強い神話があり、自分が負けると「だから女は」と言われてしまう。それでも挫けず盤に向かい、女性の仲間を増やしてきた。 女性の進出が早かった囲碁界 確かに将棋界において、男女の実力差は今現在、歴然としている。しかし、それはどうしてなのか。 「お隣」の囲碁界に目を転じると、男女の実力差はここまで開いていない。男女が同じ条件で戦い、待遇面も同等だ。 おそらく、これは歴史から来るのだろう。囲碁界における女性棋士の歴史は長い。幕末から脈々と女性棋士はおり、活躍してきた。囲碁界の運営にも関わり、発言権も強かったと聞く。 一方、将棋界では戦後生まれの蛸島彰子が第一号なのだ。女性たちの参入が、だいぶ遅れた。そ
2012年1月、コンピューターソフトと戦う「第1回将棋電王戦」に敗れた故・米長邦雄永世棋聖。米長門下の中村太地現七段が、AIの示す手を指す役目を務めた。(村瀬信也 撮影) 「6二玉はいい手ですからね。朝日新聞にも申し上げておきます」 対局後の記者会見で、私が「コンピューターが強くなったことについての感想」を尋ねると、米長邦雄永世棋聖は質問に答える前に、穏やかな口調でそう釘を刺した。 2012年1月14日。東京都渋谷区の将棋会館には、多くの取材陣が詰めかけた。棋士と人工知能(AI)が対戦する「第1回将棋電王戦」で、日本将棋連盟会長の米長はAI代表の「ボンクラーズ」と相まみえた。米長は2手目に△6二玉という常識外れの手を指して力勝負に持ち込んだが、自陣に生じた隙をつかれて敗れた。
コンピュータの将棋ソフトに焦点を当てたインタビュー本『不屈の棋士』(講談社現代新書)は、新書大賞2017のベスト10に入るなど、大きな話題を呼んだ。その著者で将棋観戦記者の大川慎太郎氏が、今度は羽生善治九段を中心とする羽生世代に関する連載を、講談社の月刊PR誌「本」8月号から開始! なぜ、羽生世代はこれほど強く、長期間にわたって活躍できた(している)のか? ここに連載第1回を特別公開! 将棋界には奇跡がある。 近年、お茶の間で話題になった藤井聡太のことではない(これからそうなる可能性は十分にあるだろうが)。 羽生善治を中心とした、羽生世代の棋士たちだ。 なぜ、彼らが奇跡的な存在なのか。それは将棋という弱肉強食の勝負の世界にもかかわらず、1990年くらいから最近まで、延々とトップを張り続けていたからである。 根回しや忖度などはなく、ただただ実力だけが存在する世界。力なき者はすぐに蹴落とされ、
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