わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
大洋の誉―ひろぽんの教育学系大学院日記― ついに復活!? 「ON AND ON !!!」改め「大洋の誉」として更新再開です。 名前に恥じない人間になろうとね。 国民に秘密裏に改正案が作成されながら、 ついに教育基本法改正案が閣議決定され、 国会に上程される。 個人的な研究領域と関連付けると 「大学」という項を設けることについては反対です。 大学という特異性を学校教育体系から区別し、浮き彫りに しようとするものでしょうが、 大学は教育機関です。 教育機能あってこその大学であり、 そうでなければ単なる研究所でしょう。 教育機関としての大学の役割を明確にしないままで、 「社会」とのつながりを謳う今回の改正法案については 産学連携を優先とした大学の社会貢献モデルの実現を 図ったものだという疑念が払拭されない。 また、大学の自治に代わって、自主性・自律性が設けられているが、 この検討も必要でしょうね
大洋の誉―ひろぽんの教育学系大学院日記― ついに復活!? 「ON AND ON !!!」改め「大洋の誉」として更新再開です。 名前に恥じない人間になろうとね。 朝から晩までハードな一日。 朝には経営ゼミ。 どうにかレジュメを作って発表。 近接領域ではあるものの、他領域のゼミでの発表は緊張する。 H氏の論文の検討だったかが、 事実が羅列的に書かれているだけで、 しかも肝心なところが抜け落ちてる。 総合科学技術会議。 大学政策は同会議に影響を受けているという話だが、 実際にどのようなシステムで大学政策に作用しているのか 明確にする必要があるだろう。 個人的にはこれは博論のテーマの一つでもあるので、 先にやられていないことは個人的にはいいのかもしれない。 夜には 教育基本法「改正」の勉強会。 ブログでも改正問題については触れたいなあと思っていたんですが、 なかなか手を付けれずにいます。。。 ただ
教育基本法を時代に合わないものとして「改正」しようとしている。果たして、時代に本当に合わないのだろうか? 私はまったくそう思わない。 それどころか、現行教育基本法で望まれていることは、いまだに実現されていない。現行の教育基本法は、個人の人格を尊び、あらゆる機会に教育をひとしく受けられるような社会を目標としている。図書館だって、こういう教育基本法の精神にのっとって存在するわけだ。だとすれば、図書館サービスは、人口の少ない田舎でも提供されるべきだし、また、マイナーな分野の資料であっても提供されるべきだし、貧しくて、新聞や雑誌を購読したり、データベースを利用したりすることが困難な人のたよりになる所であるべきだ。 今度の「改正」はいわゆる「愛国心」が問題になっているが、それだけでなく、教育の機会均等というもっとも大切なコンセプトを崩そうとしているところが大問題である。「結果」が必ずしも平等でないの
私は、やっぱり、愛国心とやらを信用できない。 戦前・戦中の意味とは違って、国家を愛するということではなく、国民を大切にすることも含むというが、これも、「ひとりひとりの」国民を大切にするということではないのではないか? 香田さんが殺された事件を思い出す。文字どおり、無鉄砲な行動だったが、平和を希求した彼なりの愛国的な行動であったはずだ。なぜなら、アラブと良好な関係を持つことは日本にとって極めて重要なことだからだ。 愛国心というものが、ひとりひとりの国民も大切にするなら、小泉首相は断固、自衛隊をあの時、撤退させるべきだったと思う。自衛隊はアメリカのためにあるのだろうか? アメリカとの関係をまずくしたら、日本はないという発想なのだろうが、では、アラブとの関係はどうなのだ。あまりにアメリカに追従して、アラブでの日本の評価は絶対に低くなっていると思う。アメリカとの関係を、他の国際関係より優先するなら
岩波新書が新赤版1000点を機に装丁を少しだけ変えた。そのリニューアル第1弾の中に,長谷部恭男『憲法とは何か』がある。 いま憲法の本といえば,改憲派・護憲派の改正論議に参戦するものと思われやすい。もちろんこの本も,立憲主義の意義を再確認する作業を通じて,改正論議に「別の角度」から石を投ずるものではある。しかし,右翼や左翼が自分たちの信念を憲法の条文に反映させようと綱引きしている改正論議には,きわめて冷たく,距離を置いている。だからこの本は,改正論議に熱を上げている人たちが読めば,ものたりなく思えるかもしれない。 まず憲法の「危険性」に注意を喚起する。憲法の「暗黒面」に気をつけろ,と。 次に,立憲主義とは「中途半端な煮え切らない立場」を敢えて選ぶことだという。長谷部恭男には「憲法は生きる意味を教えない」という名言もある。 そして,冷戦の終結は立憲主義の勝利をもたらしたはずだったのに,そのこと
講談社の宣伝用小冊子に、短いエセーを書くように頼まれた。二通りのヴァージョンを書いて送ったら、その一つを選択してきたので、残りの方をここに載せることにした。いはば、感謝祭のときに大統領の恩赦から外れた方の七面鳥である。 ある世代が命がけで提起する問題というものがある。だがそれも、その世代で解決されるとは限らない。フェルマーの謎が解けるには三百年ほどを要したし、平行線公理を証明しようとした何世紀にもわたる数学者の試みは、十九世紀になって非ユークリッド幾何学の発明という予期されなかった決着を見た。幾世代にわたって徹底的に問い直され、問い続けられたあげく、何の決着も見ずに、ただ飽きられ忘却されてしまう問題も少なくない。三位一体の問題とか、原罪の問題などはそれだろう。時代情勢が変化しているので、今となっては何ゆえこれらの問題に命がけで人々が争いあったのか、理解するのは難しい。しかしそれでも、そこに
いやはや、ちょっと真面目になってみようかとも思ったが日頃なれない事はしないに限る。 ゴールデンウイークといったところで中学生の娘は部活、ダーリンはまとまった休みのとれない仕事なので 結局家でうだうだしている、出かけるといっても日帰りできるとこか、剣道お嬢さんの遠征、だし。 車の運転が苦手なので遠出はつらい。かえってきたら娘よりぐったりしている。 年のせいといわれればその通りだけどねえ、、、 しみじみ思うのは30半ば過ぎてお子様をお産みになられた方々、夜泣きする乳児の相手も大変だが、 育ったら育ったでお稽古ごとや部活動は厳選しなければかなり肉体的につらいんではないかとよけいな心配。 同級生で結婚が遅かったり或いは子供になかなか恵まれなかったり、何となく作る気になれなかったり、 で最近になってふと出産したりしてる人がいるので私もまだ3人目大丈夫でしょう、と時々いわれるが 大抵ダーリンの年を聞く
■くだらないところにつっこんでみる 教育基本法改正案を国会提出「国と郷土を愛する」明記 http://www.saitama-np.co.jp/news04/29/05p.html 「国を愛する心」盛り込みが必要 長谷川三千子・埼玉大教授(哲学)の話 現在の教育基本法は米国の軍事占領下でできた法律。国家の主権がなく、日本が自主的に行動するのは不可能な状況でできたもの。とにかく全部見直しが必要。自国政府が「悪の権化」だという歴史感が色濃く反映されている。 ただ、与党の改正案は「国を愛する心」が盛り込まれず、また「教育は不当な支配に屈することなく」という条文が残されており、内容としては不十分。現在、教育界では「国を憎む教育」を行っており、それを正すという意味で「国を愛する心」を盛り込むのはごく自然なこと。もし「不当な支配」を残すのなら「諸外国からの圧力に屈せず」とするべきだ。本来ならもっと論議
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