ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (125)

  • 「スイーツ」の起源 - Living, Loving, Thinking, Again

    畑中三応子*1「自己増殖するファッションフード1 まだまだバブルの九〇年代」『scripta』(紀伊國屋書店)18、pp.32-45、2011 曰く、 そもそも菓子はいつから「スイーツ」になったのだろう。これも発信源は『Hanako』らしい。一九九一年二月七日号の「スイーツ――この店このお菓子」を皮切りに、「懐かしきスイーツは乙女の永遠の喜び」(九二年三月五日号)、「エスニック・スイーツ」(九二年六月二五日号)、「広尾は日最高レベルのスイーツ激戦区だ」(九五年二月二三日号)、「なごみの浅草スイーツ、全員集合」(九六年七月一八日)、「銀座スイーツBOOK」(九七年一一月五日号)、「東京スイーツ502個」(九八年一二月二日号)と、ぐんぐん調子が上がり、女性誌全般に普及した。(p.39) *1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101120/1

    「スイーツ」の起源 - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/03/05
    『Hanako』かあ。
  • 「かれの尊敬は、軽蔑よりも侮辱的で、恥辱的である」 - Living, Loving, Thinking, Again

    「古代人は神話を信じたか」*1の余白への落書き; (前略)「双面像」的存在であるソクラテスはギリシア思想史において、最初の近代的複雑さ、最初のペシミスティックな分離、最初の謎を体現している。(略)ソクラテスはかれの実例によって、美は常にすばらしいものであるとか、善と真の発光であるというのを否認し、外見は常に質の真実な現れであるというのを否認する。肉体的醜さと道徳的美しさとの交錯を確立するソクラテスの仮面は、人間に自分の現代性を教えてくれる。外面は雄山羊のように醜く、内面は神のように賢いソクラテスは、その斜視と、かれ自身の神話のかげに隠れて、善=美という公的、自己満足的、公教的な方程式を離してしまう。かれの容貌はかれの思想を裏切り、かれの言辞は二重の意味に解され、かれの使命を巧妙に塗り隠している。かれは偽って明瞭なのであり、カリクレスの妙技やエウテュプロンの偏狭な信心ぶりに感心するふりをし

    「かれの尊敬は、軽蔑よりも侮辱的で、恥辱的である」 - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/02/09
    風邪引いてるんで勘弁してくださいよ。
  • 神話と伝説など - Living, Loving, Thinking, Again

    「古代人は神話を信じたか」http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20120125/1327506442 広坂さん曰く、 古代ギリシアの神話・伝説は、ソクラテスやプラトンが活躍した古代ギリシアから見れば時間的にも空間的にも遠く離れた異教の地に生まれ育った私などはついつい「ギリシア神話」として一括りにしてしまいがちだが、古代ギリシア人、少なくともソクラテスやプラトンたちにはその内容によって重要度に差があったのではないか。北風の神ボレアスがオレイテュイアという娘をさらっていったという伝説やヒポケンタウロス、キマイラ、ゴルゴ、ベガソスといった「妖怪めいたやからども」や「怪物たち」は、合理的解釈もできるがいちいちつきあうほどのものでもない。対するに、デルポイやドドネで巫女の口を借りて神託を下すアポロンやゼウスへの信仰はそれらとは別のものである、というような。これについて、

    神話と伝説など - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/02/05
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  • 『マルセル・モースの世界』 - Living, Loving, Thinking, Again

    マルセル・モースの世界 (平凡社新書) 作者: モース研究会出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2011/05/13メディア: 新書購入: 7人 クリック: 42回この商品を含むブログ (20件) を見る モース研究会『マルセル・モースの世界』(平凡社新書、2011)*1を読了したのは先週のこと。 第I部 快活な社会主義人類学者の肖像 第1章 民族誌 知の魔法使いとその弟子(渡辺公三) 第2章 社会 モース人類学あるいは幸福への意志(渡辺公三) 第II部 起点としてのモース 第1章 フィールド レヴィ=ストロースからさかのぼる――自然・都市・協同組合(渡辺公三) 第2章 文献学 『供犠論』とインド学――もう一人の叔父シルヴァン・レヴィ(高島淳) 第3章 呪術 一八九九年のモース――『供犠論』と「社会主義的行動」(溝口大助) 第4章 宗教 コトバとモノ――モース宗教社会学の基要素(関一敏)

  • グリコだった - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 松崎しげるの「愛のメモリー」はグリコの「イメージ・ソング」(「イメ・ソン」)だった(川三郎「スポンサー 企業とタイアップしたカルチャーの行方」in 『'80年代都市のキーワード』、p.38)。 ところで、この『'80年代都市のキーワード』(1986)の「まえがき」に曰く、 ファミコンの任天堂と新日鉄の経常利益がほぼ同じだ――という事実を最近知った。これは昭和一九年に生まれ、昭和四三年に大学を卒業した旧人類にとっては信じがたい驚くべき事実である。 私の世代では大学を卒業し新日鉄に入社する学生はエリートだった*2。任天堂に入社しようとする学生は当時は私の周囲にはいなかった。――それから二十年。いまや鉄というかつての基幹産業が斜陽化し、ファミコンという、ありていにいって子どもの遊びのほうが時代の主役になっている。ポストモダンといわれる時代はそういう時代なのかとひとり驚きつつ納得する。

    グリコだった - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/01/03
    川本三郎
  • 企業としての社会? - Living, Loving, Thinking, Again

    「妄想上のネオリベラリズム」http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20111123/1322058697 曰く、 私のイメージしていたリベラリズムとは、人々の価値観が多元的であることを前提として、それらが共存できるゆるい枠組みを微調整しながら維持していくという、すこぶる保守的な自由主義である。ところが、どうやらネオリベラリズムは経済活動の自由以外の自由は斬り捨ててかまわないとする排他的な価値一元主義のようだ。これは保守的な私にはまともなバランス感覚を欠いた偏狭な態度であるように感じられる。 彼らは、競争原理を強調し、弱肉強を是とする以上、最大多数の最大幸福ではなく、最小少数の最大幸福を目ざさざるを得ないから、鋭角ピラミッド型の階級社会を理想としているわけだ。ただ、近代以前の階級制度が血統や名誉なども重視して組み立てられていたのに対して、ネオリベラルな階級社会は

    企業としての社会? - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/12/24
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  • 早川語録 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「早川由紀夫教授ツイートの 問題について/Skeptic's Wiki」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/df8585e06195e80d2a8a93b1197265a4 See also http://skepticswiki-jp.org/wiki.cgi?page=%C1%E1%C0%EE%CD%B3%B5%AA%C9%D7%A1%A1%A1%CA%C5%EC%C6%FC%CB%DC%C2%E7%BF%CC%BA%D2%A1%CB まさに〈早川語録〉。赤いポケット・ブックになるのだろうか。 ざっと目を通してみて、古寺多見氏の 一連の早川のTweetについて、早川が当に主張したいことは、放射性物質の拡散を止めろということであり、それ自体は正論だとする反論がある。しかし、それなら福島の農家に対する非難を強調することは逆効果であり、早川

    早川語録 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 大熊夫妻 - Living, Loving, Thinking, Again

    3月に池田信夫曰く、 1980年代には、石油危機のあと「脱・石油」の旗印のもと、原発が推進されました。民放のローカルニュースにはたいてい電力会社がスポンサーになっていたため、反原発の番組はほとんどなく、新聞も同じでした。特に朝日新聞は、科学部の木村繁部長と大熊由紀子記者が激しい原発推進キャンペーンを繰り広げていました。社会部の記者はみんな反対派でしたが。 (「「豊かな日」の終わり」http://agora-web.jp/archives/1287220.html [Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110331/1301545326])最近上に言うところの大熊由紀子が再び注目されているようだ*1。 さて、朝日には大熊一夫という記者がいて*2、自らアルコール中毒患者を装って精神病院を潜入・取材して、『ルポ・精神病棟』を書くなど、精神医療批判

    大熊夫妻 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「誰にでも通じること」って「尊い」の? - Living, Loving, Thinking, Again

    「誰にでもわかることの大切さ」http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20110821/1313935955 最後の一節を引用してみる; 非常口のピクトグラムが世界中で使われるようになったのは、言葉の壁を越えて誰の目にも明らかなメッセージを与えてくれるからだ。「誰にでも通じること」は当はすごく尊い。逆に、自分の言葉だけしか話さず、その言葉を理解できない人間を排斥するのは、傲慢で幼稚な態度だと言うよりほかない。たしかに「非常口」に限らず交通標識などに使われるピクトグタムやアイコンはわかりやすくなければならない。何故か。それは標識の目的が〈命令〉だからだ。「非常口」だったら、(火事のときは)そこから逃げろ! つまり「非常口」の標識は火事の際にそこから逃げるという斉一的な反応(行動)を産出することを目的に設置されている。実際ピクトグラムを見てこれってどういう意味だっけとい

  • 補助線或いは余白への落書き - Living, Loving, Thinking, Again

    ST「継承と隔たり――いかにしてデリダは/を継承するか」『コーラ』14 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-1.html これには、広坂朋信氏の「前口上」及び広坂氏と岡田有生氏のコメントが附せられている。さらに、広坂氏は関連のエントリー「逆オリエンタリズム」*1を書いている。 ST氏の論攷に関しては、何度かbrowsingはしたもののreadingしたとはいえない(orz)。にも拘わらず、色々と考えが湧いてきた。以下は多分議論の補助線を引くつもりがたんなる余白への落書きになってしまっているのではないか、と事前に危惧しておく。 デリダのインタヴュー「パッサージュ」を引用しながら提示される「想起」としての「哲学」という主題。「やって来るもの、到来=生起するもの、明日到来=生起するもののほうを向いた記憶」。ここで気になったのは、デリ

    補助線或いは余白への落書き - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/08/29
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  • ミステリー・サークルとUFO - Living, Loving, Thinking, Again

    肖婷「網絡瘋伝青海”沙漠怪圏”実探無果」『東方早報』2011年8月23日 青海省徳令哈地区の沙漠に出現したというミステリー・サークルの写真がネット上に出回っているが*1、中国共産党青海省海西州委員会宣伝部が実地調査したが、そのようなミステリー・サークルを発見することはできなかったという。この写真は観光宣伝のための捏造ではないかという説あり。この近くには「外星人遺跡」があり、観光地となっている。普通ミステリー・サークルというと畑にできるものだが(「麦田怪圏」)、〈ナスカの地上絵〉のようなものか。記事では「沙漠怪圏」の原因として、「龍巻風説」、「外星製造説」、「人造説」を挙げている。 http://news.hexun.com/2011-08-25/132787557.htmlは愉快犯的捏造説。 李萌、劉哲瑜「航班紛紛報告夜見UFO」『東方早報』2011年8月23日 8月20日21時前後、上海

    ミステリー・サークルとUFO - Living, Loving, Thinking, Again
  • 〈ニュー・エイジ〉とイルミナティ - Living, Loving, Thinking, Again

    A Culture of Conspiracy: Apocalyptic Visions in Contemporary America (Comparative Studies in Religion and Society) 作者: Michael Barkun出版社/メーカー: University of California Press発売日: 2006/04/04メディア: ペーパーバック クリック: 7回この商品を含むブログ (10件) を見る http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110703/1309670384の続き。 Michael Barkun A Culture of Conspiracyからのメモ。〈ニュー・エイジ〉と「イルミナティ」陰謀理論について。 先ず〈ニュー・エイジ〉は”a construct variously describ

    〈ニュー・エイジ〉とイルミナティ - Living, Loving, Thinking, Again
  • 共産党と原発(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    Related to http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/03/post-b53e.html *1 「共産党の原発問題の見解についての歴史的変遷」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/9dfee96d82b2491c6772b391c531cd42 ざっくりと 60年代末からチェルノブイリ原発事故以前については、 ブログ「土佐高知の雑記帳」にまとめられていました。 資料:日共産党の原発政策? http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2283.html 資料:日共産党の原発政策? http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2284.html 資料:日共産党の原発政策? http://jcphata.blog26

    共産党と原発(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • やはり真打 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110328/1301288749に対して、 秋菊 2011/03/28 15:11 60歳以上の「えらいひと」は「天罰・お説教路線」の語り口が大好物な気がします。気のせいでしょうか。 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110328/1301288749#c1301292663 若手でもその手の「語り口」を「大好物」とする人はいます。ということで、放言といえば、城内実*1でしょう。ちぇんちぇー、「大地震発生」と題して曰く、 菅直人総理はつくづく運が良いなと思った。これで「外国人からの献金問題」がトップニュースから消えたのだ。天上界の神々が菅直人総理にもう一度チャンスを与えたのか、それとも地底の神々がなんとか菅直人総理をやめさせないように策動したのか。 私はいかなる宗教団体にも所属していないが(

    やはり真打 - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/03/29
    アウエハントの『鯰絵』*11を読むべし。或いは赤松宗旦の『利根川図志』。
  • 新左派/自由主義/ナショナリズム(徐友漁) - Living, Loving, Thinking, Again

    黄暁峰、曹柳蔦「徐友漁談三十年来的社会思潮」『上海書評』2011年2月27日、pp.2-3 徐友漁氏*1へのインタヴュー。1980年代以降の中国思想史について。 先ず「新左派」への批判的言及をメモ; 很早就有人懐疑、以前自称為新左派的人到底不是新左派。因為根拠西方経験、新左派応該対自己所処的現実環境進行批判與反省、但中国新左派好像併非如此、反而是国家主義傾向表現得強烈。(略) (略)像銭理群或者艾未未*2這様的人、他們恐怕才応該算作真正的新左派。他們的思想和理論立場與西方新左派的脈絡更為接近、同時也特別関注弱勢群体、特別是在批判専制主義余毒和維権這類事情上、表現得突出。而其他所謂的新左派、不過玩弄一些西方的新名詞、現在大家対他們的立場都表示懐疑。当時就有人説、那些所謂的新左派併不是真的、他們其実是国家主義者。所以我認為有必要重新厘清思想派別。(略)在現実問題上、我與汪暉*3、甘陽*4等很対

    新左派/自由主義/ナショナリズム(徐友漁) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「社交」についてメモ - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 社交する人間―ホモ・ソシアビリス (中公文庫) 作者: 山崎正和出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2006/05/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 46回この商品を含むブログ (21件) を見る うっかり忘れていた。「共同体」と「無縁」の間? それは「社交」でしょと山崎正和氏ならば言うのではないか。 ということで、『社交する人間』からちょっとメモ。 山崎氏はこのの冒頭で、エドワード・オルビーの「不条理劇」『動物園物語』を採り上げている。私はこの劇を観たことがないが、山崎氏によると、 明るく穏やかな午後の公園で、いかにも篤実で小心そうな中年のピーターは、思いもかけず見知らぬ無頼の青年ジェリーを殺してしまった。というより、奇怪なことだが逆にピーターはジェリーの策略にかかって、望まぬ殺人を犯させられることになった。意に反して飛び出しナイフを手に握らされ、その刃先に

    「社交」についてメモ - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「四書」の地位など - Living, Loving, Thinking, Again

    昨年、北朝鮮の平壌で前漢の『論語』の竹簡が発掘されたという報道があった*1。そのとき疑問に思ったのは漢代に『論語』がそんなに重要視されたのかということだった。その頃重視されたのはやはり『春秋』や『易経』で、役人として立身出世しようとして勉強するなら『春秋』や『易経』でしょ、と思った。『論語』というのはblogのエントリーとか〈呟き〉とかを纏めたという体の書で、孔子という人物のパーソナリティや生は具体的にわかるにしても、そこを貫く〈理論〉みたいなものはない。 論語 (岩波文庫 青202-1) 作者: 金谷治訳注出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1999/11/16メディア: 文庫購入: 29人 クリック: 192回この商品を含むブログ (176件) を見る易経〈上〉 (岩波文庫) 作者: 高田眞治,後藤基巳出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1969/06/16メディア: 文庫購入:

    「四書」の地位など - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/02/16
    「『論語』というのはblogのエントリーとか〈呟き〉とかを纏めたという体の書」
  • 湘南と米軍(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「石原慎太郎と表現規制とオリンピック」http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110116/1295112327 大矢悠三子「湘南海岸をかけめぐった東京五輪――「太陽の季節」から「若大将」へ」というテクストを紹介している。曰く、 石原慎太郎が小説『太陽の季節』を発表した直後は、「太陽族」は「有閑階級の不良少年」という意味であったらしい。しかし石原慎太郎原作の所謂「太陽族映画」が公開され始めた後には、映画の可視的イメージだけを真似た連中が氾濫し、「太陽族」は「愚連隊」とほぼ同義になったようである。そして舞台である湘南の治安が極度に悪化した事が、227ページのデータで示されている。 当然ながら「太陽族映画」に対する世間の批判は凄まじかったようで、例えば『狂った果実』を観に行っただけで校長から退学勧告された女子高生も複数名いたらしい。神奈川県は「神奈川県青少年

    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/01/20
    烏賀陽弘道『Jポップの心象風景』
  • 伯剌西爾人学校も - Living, Loving, Thinking, Again

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011010702000033.html http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011010702000051.html http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20110107 Via http://b.hatena.ne.jp/o-kojo2/20110111#bookmark-28052474 「朝鮮学校」への「高校無償化」政策の適用が右からの横槍によって宙吊りにされ、やっと適用されるかと思ったら、北朝鮮の砲撃のとばっちりで再度延期されているということは周知の通りである*1。さて、「朝鮮学校」ほど注目はされていないが、少なからぬ「ブラジル人系の学校」が「国が「高等学校相当」として指定し、日の大学入学

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  • 「船玉」 - Living, Loving, Thinking, Again

    既に7月のエントリーであるが、広坂さん曰く、 例えば、船幽霊と呼ばれる妖怪があって、海難事故による死者の亡霊だと説明されることもあるが、これは海坊主や磯女と同じような海の精霊のなす怪異であって、これを「船幽霊」と名付けたのは、その出没の有様が幽霊のように唐突であることから連想されたのであろう。名前から直接に説明するのであれば、それは字義通り、船舶の幽霊でなければならず、水死者の霊とするのはおかしい。事実、「船幽霊」は分布に地域性のある名称であり、同じ怪異を「船魂」と呼ぶ地域もあって、こちらの方が原義に近いのだろうと思う。 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100718/1279460763 「船幽霊」と「船魂」(或いは「船玉」若しくは「船霊」)が同じものなのかどうか。 「日船主協会」のサイトに曰く、 江戸時代から明治時代初期の和船には必ず船魂(ふなだま

    「船玉」 - Living, Loving, Thinking, Again
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2010/10/29
    船幽霊について