すがすがしい5月の空が広がっているが、鯉のぼりの数はめっきり減った。東京の過密地域ゆえだと言えばそれまでだが、柏餅を頬張りながら「こどもの日」にちなんで一筆啓上することにしたい。私が生まれた1955年は、第二次世界大戦の敗戦から10年、サンフランシスコ講和条約が結ばれた年である。自民党と社会党が睨み合う「55年体制」もこの年にスタートする。 当時、分裂状態にあった右派・左派社会党は日本社会党に統一された。保守勢力も日本民主党と自由党が統一し、自由民主党がつくられ保守合同がはかられた。戦後政治の構図は、自民党が「改憲」をめざしても、3分の1の議席を野党である社会党などが占めてきたことで実現しなかった。ところが1993年に、自民党の分裂によって宮沢内閣不信任案が可決され、「小選挙区比例代表並立制受け入れ」を決めて細川連立内閣に参加してから転落の道が始まる。1996年、ついに社会党から社民党に党