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  • 『教育基本法「改正」を問う―愛国心・格差社会・憲法』の、書籍紹介(未満のもの) - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[教育法][]『教育法「改正」を問う―愛国心・格差社会・憲法』の、書籍紹介(未満のもの) 19:28 教育法「改正」を問う―愛国心・格差社会・憲法 作者: 大内裕和, 高橋哲哉 出版社/メーカー: 白澤社 発売日: 2006/06 メディア: 単行 おすすめ。 ・ 例えば「『教育法が変わると、憲法も変わる(かもしれない)』っていわれるけど、ナゼ?」という疑問を持つ方に読んでいただくと、「…ナルホド、こういうわけね」って納得いただける、コンパクトなだと思います。 ・ 例えば「『教育法の改正は「新自由主義*1」に則っている』っていわれていて、だから『能力主義教育』がガンガンやられたり『格差社会』になっていっちゃったりするっていわれているけど、その理由は?」という疑問を持つ方に読んでいただくと、「…ナルホド、こういうわけね」って納得いただける、コンパクトなだと思い

    t_kei
    t_kei 2006/06/26
    私信。購入しましたよ!
  • 自民党の教基法特別委員会委員のHPより - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    手抜きエントリを、お許しください。 ある仕事を、おおせつかっております。…これがまた、気分が沈む仕事です。その中でも、アリゾナマリアナ海溝の底まで沈んだ(かのような)気分にさせられた、ある御方の発言をここで掲載しておきます。その方とは、松浪健四郎衆議院議員(http://www.kenshirou.com/top.htm)です。 少しだけ、思ったことを付け加えておきます。 この種のことを言っている方は、最近多く目に付きます。そのたびに、発言に緊張感がないため口を滑らせた(滑らせている)のだなと、多くの人によって受け取られています(ワタシもそう思っていたし)。そして、時間が過ぎるとともに忘れられていくって感じですか、よくあるパターンは…。 しかし以上のような考えは、ひょっとするとワタシの誤解なのかもしれません。以下の四角がこみのようなことを、アタマの芯から「こうであるべきだ」「昔はよかったの

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    t_kei 2006/06/04
    …。
  • たんたんと粘り強く、ベタでメタな抵抗をしていく - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    t_kei
    t_kei 2006/04/13
    「昨日で、雪崩の存在と方向性は確認できました。」
  • 「公民教育」は、問題では?―「政治的素養」はナンのため?に関わる問題として - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[教育法]「公民教育」は、問題では?―「政治的素養」はナンのため?に関わる問題として 07:07 現行教育法と「新教育法案」の比較(http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu.html)を開きながら、以下をお読みください。<(_ _)> あ、あと不躾にトラックバック送っております。無作法をどうぞお許しください(だって今日からすげぇ忙しいんだもの…←言い訳)。 第十五条(公民教育)  一 公民教育は、国民が社会における自己の責任を自覚し、国家社会の発展に積極的役割を担うことを目的として行われなければならない。 二 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。 この条文の第二項は、現行教基法第八条(政治教育)第二項と同一であるため、このエントリでは第一項を中心問題にいたします。そして

    t_kei
    t_kei 2006/04/11
  • 「改革」の論理、というか、「『改革』なんですが、ナニか?」という強弁が危ういなぁということを言葉にしておきたいための、メモ(3) - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[雑]「改革」の論理、というか、「『改革』なんですが、ナニか?」という強弁が危ういなぁということを言葉にしておきたいための、メモ(3) 16:11 (4)「改革」は、失敗しない。(以下、前回エントリに同じ)。 (4)-2 逆に「問題である」とされた「ある状況」が、「問題がある」というまなざしでみている人にとって「悪転」したと思える状況になった場合、「この『悪転』は『改革の徹底が阻まれているため』」と因果関係が付けられる。そして、「よりよい「好転」のため、「改革」は、いわばより濃密に実施される(「状況が悪転したのは『改革』がもたらしたのではないか?」と考えようとは、ほとんどされない)。「改革」が濃密さを伴う中、「『改革』を阻んでいたコトはナニか・人は誰か?」という形で問題にされる。『改革』を阻んできたと見られた「問題な」人は、(1)同様「ナゼ問題なのか?」が問われないまま「改革」への同調

    t_kei
    t_kei 2006/01/11
    無敵の「改革」信仰。
  • 「改革」の論理、というか、「『改革』なんですが、ナニか?」という強弁が危ういなぁということを言葉にしておきたいための、メモ(2) - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[雑]「改革」の論理、というか、「『改革』なんですが、ナニか?」という強弁が危ういなぁということを言葉にしておきたいための、メモ(2) 04:11 …下のエントリの、続きナリ。 (4)「改革」は、失敗しない。少なくとも「改革」推進側にいる人は、自身の働きかけを「成功しているのか? 失敗しているか?」など反省の様子を(周囲にはあまり)見せず、状況の改善のため「改革」の手綱を緩めてはならない、という姿勢をとり続ける。 (4)-1 例えば「問題である」とされた「ある状況」が、「問題がある」というまなざしでみている人にとって「好転」したと思える状況になった場合、「この『好転』は「改革」によるもの」と因果関係が付けられる(状況が好転した理由を「『改革』以外の要素によるのでは?」と考えようとは、なかなかされない)。そして、「よりよい「好転」のため、「改革」の手綱を緩めてはならない」という姿勢と施策

    t_kei
    t_kei 2006/01/09
    「改革」の、恐るべき無邪気さ。
  • 「改革」の論理、というか、「『改革』なんですが、ナニか?」という強弁が危ういなぁということを言葉にしておきたいための、メモ(1) - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[雑]「改革」の論理、というか、「『改革』なんですが、ナニか?」という強弁が危ういなぁということを言葉にしておきたいための、メモ(1) 06:34 以下は、正月に愚弟と雑談していたとき気づいたことです。政治や政策の話にすると、抽象度が増してしまい、以前書いた「ブログの効能」のドクトリン(方向性)から外れてしまうことを「困ったなぁ…」と思っておったのです。「教育改革」って奴のウサンクササを、どう、分かりやすく問題にすればいいか…考えあぐねていたので*1。 が、「お店のシェフの立場」という具体性を持たせれば、少しは分かりやすい話になるのかなぁ、と考えさせられました*2。以下、計画性のないまま回を分けてお話をいたします。 (1)「ある状況」が「問題である」として「改革」は着手される。ただ、「ある状況」がナゼ「問題である」かについての精査や検証は行われない。往々にして「問題である」から「問題で

    t_kei
    t_kei 2006/01/08
    「しかし、なんでこうも『改革しなきゃ』の人たちって、視野が狭いんだろう…」
  • 改憲への動き なぜ急ぐ「国民投票法」(中日新聞 2006.01.06) - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[憲法]改憲への動き なぜ急ぐ「国民投票法」(中日新聞 2006.01.06) 08:18 http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200601060043.html 憲法公布から六十年の節目の年、改憲のための手続きを定める国民投票法案が二十日開会予定の通常国会に提出される見通しである。自民、公明、民主三党が早期成立を目指すことで一致したからだ。 改憲の前提となる重要な法案なのに唐突すぎないか。国民を置き去りにして一気呵成(かせい)に進む危険性を感じる。「平和憲法」の果たしてきた役割をじっくり考え、議論をさらに深める必要がある。 (中略) しかし、先の総選挙で国民は改憲問題で与党に票を投じたわけではない。国民にじっくり判断する時間も情報も与えず、なし崩し的に改憲に向けて外堀を埋めようとする思惑が透けて見える (中略) 国民投票法案も、「改憲ありき」で

    t_kei
    t_kei 2006/01/08
    重要な意味を持ち、かつ恐るべき問題をはらんだ「国民投票法」が、議論も無いまま成立へと歩を進めている。
  • グチ もしくは、難しい(?)問題 - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[駄]グチ もしくは、難しい(?)問題 21:41 1、戦後(教育)史を話すと完全に他人事*1って感じになる学生は、どうしましょう(現在との接点=歴史的現在を考えるためには、冷戦期や逆コースの政策とその当時の教育政策を、授業で取り扱う必要があると私は思うのです)。 これについて工夫の余地は、如何に。この問題は、おそらく「歴史(社会科学)ってなんのためやるの?」という問題に関わります。(少し飛躍があるかもしれませんが)、分かりやすいということは、内容が薄いということではない。分からないと認識した途端に関わりから撤退する人に、私≒教師はどうふるまえばいいのか? 2、「共産主義」「社会主義」という言葉が出てくるとすぐ「悪いもの」と決めちゃう学生(教職志望)に、どう私は対峙すればいいのか。おそらく彼は、「共産主義」「社会主義」についてはワイドショー的な知識しか所有していない。よって、「悪いもの

    t_kei
    t_kei 2005/10/27
    「印象のコードで「悪いもの」と認識した途端に関わり」「から撤退する人」と、どう関われば良いのかと提起
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