【多事蹴論(14)】 苦境に立たされた日本代表を救ったのはカップラーメンだった――。1996年にUAEで開催されたアジアカップにディフェンディングチャンピオンとして臨んだ日本代表は加茂周監督に率いられて連覇を目指していた。しかし、当時の日本代表はまだW杯出場を目指している段階。現在のようなサポート体制が確立されておらず、不慣れな中東の地で万全の体調を整えることも難しい状況だった。 特に選手たちを苦しめたのは食事だ。日本代表に専属シェフが同行したのは94年にカタール・ドーハで開催された米国W杯アジア最終予選(93年開催)が初めて。しかし、その後は海外遠征でもイレブンに日本食が振る舞われることはなく、長期遠征となったアジアカップでも日本人にとってパワーの源といえる白米もなし。現地のメニューを食べるしかなかったという。 満足のいく食事が食べられずに、選手たちのストレスはたまるばかりでイライラを募