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2018年12月15日のブックマーク (2件)

  • 木彫りの熊 - Wikipedia

    木彫りの熊 木彫りの熊[1](きぼりのくま)は、北海道を代表する郷土玩具[2]・民芸品[3]。木彫り熊[4][5]、熊の木彫り[6]、あるいは熊彫り[7]などともいう。 這熊・立熊・すわり熊・鮭負熊など、クマのさまざまな姿態を表現して彫り上げたもので[8]、ポーズや表情が千差万別[1]であるのみならず、その彫り方も荒彫りや毛彫りなど[8]、土地により少しずつ違いがあるのが特徴[1]。 大正13年、徳川義親の唱導により、開拓民の副業として八雲村の「徳川農場」で試作されたのがはじまり[6][7][9]。北海道は「郷土玩具不毛の地」といわれてきたが[3]、昭和に入って全国に知られるようになり[10]、戦後の観光ブームの波に乗って人気を獲得[6]、昭和40年代にそのピークを迎えた。 由来[編集] 現在、木彫りの熊は「アイヌの伝統工芸品」とのイメージが強い。だが、伝統的なアイヌ文化においては「リアル

    木彫りの熊 - Wikipedia
  • 徳川義親 - Wikipedia

    徳川 義親(とくがわ よしちか/ぎしん、1886年(明治19年)10月5日 - 1976年(昭和51年)9月6日)は、日政治家、植物学者、狩猟家。尾張徳川家第19代当主。位階・勲等・爵位は従二位勲二等侯爵[1]。戦前の貴族院議員で、第25軍軍政顧問[2]。戦後は社会党を支援して党顧問となるが、公職追放を受けた[2]。日ソ交流協会会長[2]。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから虎狩りの殿様として親しまれた[2]。自伝に『最後の殿様』がある[2]。 徳川義親(1913年10月、華族画報社「華族画報」より) 父は越前松平家・松平慶永(春嶽)で、1908年に尾張徳川家の婿養子となり、家督を相続。同家の東京移転に際し、愛知県下の土地等の財産の処分を指揮し、1931年に財団法人徳川黎明会を設立して同家伝来の什宝・書籍を同財団付属の徳川美術館・蓬左文庫で保存・公開。他家の家政整理にも携わり、「投出し

    徳川義親 - Wikipedia
    takahiro_kihara
    takahiro_kihara 2018/12/15
    「最後の殿様」らしい。虎狩り・熊狩りの殿様とも。