群馬県に富岡市というところがある。明治は世界に冠たる製糸場があって名をはせたところだが、すこし地味なのであまり話題にはのらない。交通で言えば高崎から碓氷峠に向かう途中であり、場所で言えば妙義山の麓だ。 明治5年に富岡製糸場ができたとき、明治政府は次の3つの制限を設けた。 1) 指導者は外国人に限る、 2) 製紙機械は外国製に限る、 3) 女工は日本各地からの日本人女性に限る、 実に簡素で正直である。明治維新から5年。まだ正直に事実を直視しなければすぐ外国に占領される危機を感じていた時代である。この富岡製糸場は日本の生糸の生産工場として、また日本中の製糸の技術の普及、技術者の養成に力を発揮した。 明治からすでに150年が経とうとしているが、この富岡製糸場の歴史は、今の私たち、特に地方の活性化に多くの教訓を与えてくれる。 ・・・・・・・・・ 簡単に言えば「地方活性化の五原則」が見える。 1)
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