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東京と歴史に関するtangkai-hatiのブックマーク (7)

  • オシャレとメルヘン、そしてモンブラン……泉麻人が語る「自由が丘」 | 人生を豊かにする東京ウェブマガジン Curiosity

    泉麻人が語る、自由が丘の往来——“モンブラン”なオシャレ夫人が“メルヘン”な路地を闊歩する……元祖・郊外高級タウンの変遷 東京・昭和のカルチャーやトレンドの第一人者であるコラムニスト・泉麻人が、都内の街や通りをテーマに時代の移り変わりとそのカルチャーを解説する連載コラム。第3回は「自由が丘」。昭和時代の幕開けとともに誕生し、70〜80年代にかけて郊外のオシャレタウンとして全国区となった街である。現在でも、路地の名前から軒を連ねるショップ、そして行き交う人々までも独特な“自由が丘っぽさ”を醸しているように思える。エリアの歴史をひもときながら、文化の変遷を考察していこう。 かつて「オカジュー」、今「ガオカ」。郊外高級タウン、自由が丘 現在の自由が丘駅前。改札左は1953(昭和28)年に建てられた商店街ビル「自由が丘デパート」。 自由が丘は東横線沿線の高校、大学に通っていた時代によく寄り道した街

    オシャレとメルヘン、そしてモンブラン……泉麻人が語る「自由が丘」 | 人生を豊かにする東京ウェブマガジン Curiosity
  • 中銀カプセルタワーお宅拝見 :: デイリーポータルZ

    洗濯乾燥機をてきとうにつみあげたようなふしぎな形のビルが、銀座と汐留のちょうど境目のあたりにある。 この万博のパビリオンみたいなビル、実は現役のマンションだ。 「中銀(なかぎん)カプセルタワー」というビルなのだが、建築分野では超有名な建物で、設計者はあの黒川紀章。 このたび、中をちょっとだけ見せてもらえることになった。

  • 東京五輪が消した町 原宿・御徒町・田町・汐留… - 日本経済新聞

    1964年(昭和39年)開催の東京五輪は、東京を大きく変えた。国立競技場などのスポーツ施設が生まれ、首都高速道路や新幹線が整備された。一方でなくなったものもある。その代表格が町名。原宿や御徒町など歴史的な町名が消えた。川や都電の一部も姿を消した。前回の東京五輪で「変わったもの」を探してみた。原宿駅の住所は神宮前9月の平日、JR原宿駅周辺は、若者であふれていた。竹下通りの前では、カメラを構える

    東京五輪が消した町 原宿・御徒町・田町・汐留… - 日本経済新聞
    tangkai-hati
    tangkai-hati 2013/09/20
    今度の五輪では何が消えて行くのだろう?
  • 吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 - 日本経済新聞

    大学時代、友人に「東京を出て多摩川を越えたら神奈川県」と教えられたことがある。西日出身者としては素直に信じていたのだが、実際に当てはまるのは一部だけ。中流域では「多摩川を越えても東京都」だ。しかしかつては違った。八王子や町田、多摩川の手前にある調布や成城、吉祥寺も神奈川県だった。なぜ東京になったのか。事情を探っていくと、長年の課題である水源問題と、複雑な政治事情が浮かび上がってきた。多摩が東京になって120年

    吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 - 日本経済新聞
  • 探検・渋谷駅 地下流通システム「フローベヤ」とは NHKニュース

    1日およそ300万人が利用する東京の渋谷駅は、15日、半世紀にわたり親しまれてきた東急東横線の駅が営業を終了し、地下の新しい駅に引っ越します。 駅ビルのデパートにある品街といえば「東横のれん街」ですが、その地下に、半世紀にわたって稼働し続けている巨大な流通システムが存在していたことをご存じでしょうか。 新鮮な肉や魚、高級洋菓子にできたての総菜。 「東横のれん街」は、各地の老舗85店舗が軒を連ね、いわゆるデパ地下の草分けと言われています。 賑やかなフロアから、とある階段を地下に降りていくと、次々と流れる無人のカゴが、レールに沿ってゆっくりと走っています。 運ぶのはデパートの仕入れ商品で、のれん街をはじめ、各店舗に届けます。 「フローベヤ」と呼ばれていますが、その名の由来は誰も知りません。 半世紀にわたり、渋谷の地下を走り続けて来ましたが、今月で姿を消します。 のれん街が誕生したのは、戦後復

    tangkai-hati
    tangkai-hati 2013/03/15
    こんなシステムがあったとは!
  • 50年前のガイドブックに載っている店巡り :: デイリーポータルZ

    美味しい料理を出しているお店を紹介しているガイドブック。 さまざまな出版社から出版され、屋に行けばずらりと並んでいる。 そんなは50年前もキチンと存在している。 「どこどこのお店が美味しい」や「なになにがオススメ」など内容も今と変わらない。違うのは掲載されているお店だ。現在のガイドブックには今の、50年前のガイドブックにはその当時の流行のお店だったり、オススメのお店だったりが載っている。 50年前のガイドブックに載っているお店は今はどうなっているのだろうか。当時のガイドブック片手に出かけてみることにした。 (地主 恵亮) 正確には48年前のガイドブック 古書店で「東京うまい店二00店」というガイドブックを見つけた。内容は書名からも分かる通り、東京で美味しい料理を出しているお店が掲載されている。「そば」や「日料理」、「天ぷら」などカテゴリー別に載っているあたりも、今のガイドブックとあま

  • 東京の地名の由来「江戸歴史散歩」

    「マチ」か「チョウ」か?「迷ったことはありませんか。」意外と難しい由来があります。 今でも「まち」と呼ばれる地名の多くは、江戸時代に「御」が付き幕臣の屋敷でした。 町人地の「ちょう」と区別するため、「まち」と読まれます。 現在の表記 新宿区箪笥町  しんじゅく たんすままち 〃 納戸町        なんどまち 〃 細工町        さいくまち 江戸時代の表記 御箪笥町    おたんすままち 御納戸町    おなんどまち 御細工町    おさいくまち

    tangkai-hati
    tangkai-hati 2009/11/02
    「まち」「ちょう」の読み方の相違、など。
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