泉麻人が語る、自由が丘の往来——“モンブラン”なオシャレ夫人が“メルヘン”な路地を闊歩する……元祖・郊外高級タウンの変遷 東京・昭和のカルチャーやトレンドの第一人者であるコラムニスト・泉麻人が、都内の街や通りをテーマに時代の移り変わりとそのカルチャーを解説する連載コラム。第3回は「自由が丘」。昭和時代の幕開けとともに誕生し、70〜80年代にかけて郊外のオシャレタウンとして全国区となった街である。現在でも、路地の名前から軒を連ねるショップ、そして行き交う人々までも独特な“自由が丘っぽさ”を醸しているように思える。エリアの歴史をひもときながら、文化の変遷を考察していこう。 かつて「オカジュー」、今「ガオカ」。郊外高級タウン、自由が丘 現在の自由が丘駅前。改札左は1953(昭和28)年に建てられた商店街ビル「自由が丘デパート」。 自由が丘は東横線沿線の高校、大学に通っていた時代によく寄り道した街