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人生と教育に関するtaroleoのブックマーク (6)

  • 留学が無事に終わりそうなので - Ockham’s Razor for Engineers

    ちょっと今までのことを書いてみる。まず人のやる気が大切。なにかやりたいことが出来たら、実現可能かどうか周りに訊いてみるのがまず最初にやること。たとえば子供のとき、私は天文物理学の研究者になるのが夢だった。誰かガイドしてくれる人がいるとありがたい。若い、どころか小学校ぐらいの幼いときは、自分の漠然とした目標を達成するための手順と難易度を、回りの大人に教えてもらう必要がある。一方で、人間は20をすぎてから、結構妙なところで化けたりするから、学問に関しては、高校ぐらいで「この辺でもうやめとけよ」って言うのは大人の余計なお世話だと思っている。学部でたいしたことなくても、大学院で化けるなんてざらだ。でもとにかく、自分をガイドしてくれる大人がそばにいることが、環境のひとつだと思う。私には25ぐらいまで、そういう人はあんまり周りにいなかった。気づいたら天文物理学と研究者になる夢はどこかにいって、計測器

    taroleo
    taroleo 2009/04/10
    子供のときは絵描きや音楽家になりたかったなぁ。いまでもなりたいけれど。コンピューター屋さんにもなりたくて、情報科学というキーワードをたどっているうちに、なぜか研究者になっていました。。。
  • 工学とその思想が一体になった授業 - Ockham’s Razor for Engineers

    だと工学と思想は別物扱いになっていて、どちらかというと現場では思想とゆーより体育会系根性論「根性が足りない、なんとかしろ」的な強引な考えが幅を利かせてる気もするんですね。とくに機械工学は、なぜだか異様に体育会系の熱い、というかほとんど暑苦しい人が多くてですね…(人のことは言えない)。 さて。はじめに。 - Ockham’s Razor for Engineersでも触れている「音響学の円環(Circular chart)」とは、BUの音響学で、第一回目の講義に出てきた話題です。音響学がどのような分野に分かれているか、そしてどれひとつとして欠けては、音響学の車輪たるCircular Chartは回転し、学問として前進しないこれを言ったのは、講義を担当していた某K先生です(一応伏せておく)。Allan D. Pierceのでは、ちょっとまた別の説明のしかたをしています。 つまり、運動方程

  • ポスドク問題について思う2 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Contax T2, 38mm Sonnar F2.8 @Los Angeles, CA (これは昨日の呟き編の続きです。ごはんを楽しくべていたら書くのを忘れてしまってました、、、。昨日のを読まれていない人は、まずそちらをご覧ください。) wackyhopeさん、いつもコメントありがとうございます。 ふーん、へぇーーーでした。学位を取ろうとする人の集団は、いくら何でも民間企業に働くことを最終目的にした人が主ではないと思うので、あのような検討をしたのですが、まあ要はアカデミアは無理でもやっぱり仕事に就けないということが問題ということで、supply(社会への供給量)とdemand(社会の需要)の問題ということは変わらない訳ですね。 (、、、昨日書いた通り、明らかにアカデミア側のキャパがたりない状況下で、「もし」ですが、自分のトンガリ、売りもないのに、非現実的にアカデミアの道のみを考える人ば

    ポスドク問題について思う2 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • それって勉強じゃないよ : 404 Blog Not Found

    2008年12月24日20:30 カテゴリArt それって勉強じゃないよ 言葉というのは時代を経るに従ってさまざまな意味を持つようになるのだけど、意味を拡大解釈しない方がよい言葉というのが確かにある。 「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを blog 勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。 勉強が、それだ。 勉強。努めて、強いる。 なぜこれが、学習の意味で用いられるようになってしまったのか。 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。 だからそれは、「勉強」じゃないんだってば。 努めて強いてないんだから。 404 Blog Not Found:勉めなくても強い人々 私は、勉強なるもの楽しんだ事がない。「勉強」という字をもう一度見て欲しい。「勉めて強いる」。これが

    それって勉強じゃないよ : 404 Blog Not Found
    taroleo
    taroleo 2008/12/25
    「勉強」の意味を「努めて」「強いる」に閉じ込めておきたいみたいだけれど、汚い言葉まで持ち出してそこで意固地になる必要はあるのかな?
  • 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

    このへんの話題について。はてな匿名ダイアリー:勉強が出来る=頭がいい?404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? 小学生のころ、学校のテストで苦労したことはなかった。「勉強ができる」子供だったと思う。 保育園児のころからを読むのが好きだった。絵も、図鑑や「かがくのとも」も好きだった。を開くと、自分の知らない世界や、なぜかなつかしく感じられる世界に、体ごと入り込めるのが好きだった。幼児教育の類はまったく受けていなかったけど、何かのごほうびにねだるものは、たいていだった。 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。《これだけの新しい世界が、私を待っているんだ!》嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。くやしいので音読してやったところ、「じゃあ

  • 勉強が出来る=何がいい? : 404 Blog Not Found

    2008年12月22日16:30 カテゴリArt 勉強が出来る=何がいい? それって頭がいい人が増えて来た証拠だ。 勉強が出来る=頭がいい? 勉強が出来る=頭がいい 僕はそう思って生きてきた。 でも、そのことを否定する意見が多い。 それじゃあ、勉強が出来る人が何がいいのか。 頭じゃなくて、都合。 学校では教師にとって、会社では雇用主にとって。 そりゃそうだ。命令する方から見たら、自ら努めて強いる子の方が、かれこれ質問する子よりずっとありがたい。 ついでに、「勉強が出来る」が「頭がよい」ことでない説明も。 勉強って、ほとんど頭使わないよね。 人様に言われたことを、やればいいんだから。 あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。 親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。 ところ

    勉強が出来る=何がいい? : 404 Blog Not Found
    taroleo
    taroleo 2008/12/22
    ここで言う「勉強」と、僕ら研究者にとっての「勉強」の意味が違いすぎる。
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