イタリアは12、13日に原発再開の是非を問う国民投票を実施するが、イタリア国民に影響力のあるローマ法王ベネディクト16世が再生可能エネルギーの利用を提唱し、暗に原発再開反対の発言をしたことが分かった。イタリアのANSA通信が伝えた。 法王は9日、シリアなどの駐バチカン大使からの信任状を受け取る式典で「環境に配慮した生活様式を選び、人類に危険を及ぼさないエネルギーの研究を開発することが政治と経済の優先事項である」と述べ、再生可能エネルギーの必要性を強調した。(パリ 山口昌子)
また1年近く間が空いてしまった。しかも、またLady Gagaである。Lady GagaやPerfume ばかり聞いているわけではないのだが、Lady GagaのJudasのPVがとても面白かったので久々の更新。これはGaga自身がディレクションを行ったという。もちろん曲もいい。Gagaは歌がうまいなあ。 GagaのPVといえば、「愛の嵐」を彷彿とするAlejandroのPVには圧倒された。それにくらべれば今回のJudasはつくりとしてはシンプルだが、前作から引き継いでいるキリスト教的なモチーフが真正面から取り上げられていて、いかにも、さあ解釈してくださいというメタファーやアレゴリーの嵐で、その誘惑に引き込まれてしまった。 とはいえ、そういう作業というのは、中にあらかじめ隠された意味を掘り起こそうというものではない。むしろ逆である。解釈することによって意味が生まれるのだ。初めは意味なんてな
(CNN) 今月21日に神が「最後の審判」を下すと予言したのは「解釈の間違い」で、世界の終わりは5カ月後にやって来る――。キリスト教のラジオ伝道師ハロルド・キャンピング氏が23日、番組の聴取者に弁明した。 キャンピング氏は数カ月前から、21日には神に選ばれた2%~3%の人々が天国へ昇り、世界は地震などの災難に襲われると予告していた。当日が何事もなく過ぎた後、同氏は沈黙を守っていたが、この日初めて自身のラジオ局「ファミリーラジオ」の番組に出演した。 同氏は番組で、「愛と慈悲に満ちた神」は災難で人間を罰する計画を取りやめたと説明。「われわれが誤解していたのは、21日に起きるのが物理的現象ではなく、精神的な現象だったという点のみだ」と強調し、破滅の日は当初から予告している通り10月21日に到来すると話した。 一方で「世界はすでに警告を受けている」と述べ、10月に向けてこれまでのように看板やチラシ
気功集団「法輪功」がネットワーク機器メーカーCisco Systemsを提訴した。法輪功側によると、Ciscoが監視システムを設計し、中国政府による法輪功メンバーの追跡および弾圧に協力したという。 米国時間5月19日、サンノゼにあるカリフォルニア州北部地区米連邦地方裁判所に提出された訴状によると、Cisco Systemsは中国政府に監視システム、いわゆる「金盾」(Golden Shield)を提供し、その維持管理に協力したことで、中国政府による法輪功のインターネット活動の追跡および検閲を可能にしたという。同社の技術はその結果として法輪功メンバーの不当な投獄や拷問、死を招いたと主張するこの訴状は、ワシントンDCに本拠を置くHuman Rights Law Foundationが、法輪功の代理として裁判所に提出した。 52ページに及ぶ訴状は、Cisco Systems会長兼最高経営責任者(C
(CNN) MacやiPhoneを愛するアップルファンの脳内には、宗教信者の脳内に起きるのと似たような反応が起きていることが分かったと、英BBCのドキュメンタリー番組が伝えている。 同番組では神経学の専門家が磁気共鳴断層撮影(MRI)を使ってアップルのファンに同社の製品を見せ、脳内の反応を調べる実験を行った。その結果、脳の特定の部位が明るくなっていることが判明。これは、宗教信者に神の像を見せた時に明るくなるのと同じ部位だった。 ドキュメンタリーのシリーズ第1回では、ロンドンに最近できたアップル直営店の開店イベントで、同社社員たちが何かに熱狂的に駆り立てられたような様子を映し出している。 ファンがアップルに極端にのめり込む傾向があることについては、以前から批判的な見方があった。 中にはタトゥーを入れたり車にバンパーステッカーを張ったり、自宅に設けた祭壇に古くなったMacを飾るファンもいる。2
近代日本の社会事業思想―国家の「公益」と宗教の「愛」 [著]姜克實[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)[掲載]2011年5月8日著者:姜 克實 出版社:ミネルヴァ書房 価格:¥ 5,250 ■利他活動と宗教 関係問い直す 昨年末からのタイガーマスク騒動や東日本大震災への義援金など、社会的再配分の機運が高まっている。しかし、その持続可能性は、未知数だ。 ボランティアという語が、もともとキリスト教の「志願兵」に由来するように、欧米社会では神への信仰心が利他的活動の主な動機付けになってきた。寄付などが持続する背景には、キリスト教的精神と教会の活動が存在する。一方、日本では市民的公共圏での宗教団体の活動は限定的だ。そもそも特定の宗教への関与に抵抗を持つ人のほうが多いだろう。 本書は、近代日本の社会事業の担い手に注目し、彼らが自らの信仰心と国家による政策の間で揺れ動く
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