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落語に関するtaskforce2008のブックマーク (28)

  • 大工調べ

  • asahi.com:「夜のカセット落語」 みうらじゅん - ラクゴロク - 文化芸能

    「夜のカセット落語」 みうらじゅん 聞き手:西秀一郎 構成:小松照昌 2006年04月20日 「マイブーム」の生みの親、いまやサブカル界のキングとして、独自の世界を切り拓く「MJ」ことみうらじゅんさん。イラストレーター、小説家、ミュージシャンなど幅広いジャンルで活躍していることは有名ですが、実は親子ニ代にわたる大の落語ファン。そんなみうらさんに、落語との出会い、そして“MJ流落語の楽しみ方”を聞いてみました。 みうらじゅんさん ――どういうきっかけで落語を? ボクの両親って、ボクが一人っ子だったせいか、たまたまそういう親だったのか、いずれにせよ、うっとうしいくらい、ボクに対して限りない愛を注いでくれるような親でした。特にオカンは勉強もしないでテレビを見ているボクに、「純(名)、首が痛うなるさかい枕した方がエエで」といって枕を差し出してくれたり、女の子から電話かかってくると、「あんた、さっ

  • Amazon.co.jp: 談志 最後の落語論: 立川談志: 本

    Amazon.co.jp: 談志 最後の落語論: 立川談志: 本
  • 立川談志の業- てれびのスキマ

    立川談春による名著「赤めだか」には以前も紹介したとおり、印象的なエピソードが満載だが、彼の初めての立川談志体験の模様も当然描かれている。 それは中学生の時。同級生たちと上野鈴へ落語を聴きに行くという企画があったという。 そこに登場した談志は、他の芸人とは明らかにオーラが違っていたという。 その高座の枕で談志は以下のように語ったという。 落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。 そこで、談志は「忠臣蔵」を例に出す。普通の芸能では当然、四十七士が主人公だ、と。しかし、赤穂藩には家臣が300人近くいた。つまり、他の250人ほどの家臣は、敵打ちにいかなかった。逃げちゃった。47人やその親族は尊敬をされただろう。一方

    立川談志の業- てれびのスキマ
  • 話芸きまり文句辞典 R

    ●公開を終了しました。 ──────────────────── ●落語・講談によく引用される諺や俗称・慣用句などを五十音順に 配列し、意味を辞書類から引用、用例、その語句が使われることの多い演目を紹介しました(用例のない項目もあります)。 ●使用参考文献は別途掲示しました(引用部の表記について:用例は原文のままですが、語句そのもの、またその意味についての引用部は現代の漢字・仮名遣いに改めました)。 ●オーソドックスな「いろはかるた」にそのまま、またアレンジされて使用されている項目には《い》がついています。 ●この「辞典」には、今日では差別表現・偏見に基づく表現と考えられる語句をいくつか採りあげていますが、諺というものの特性を考慮し、あえて項目としております。 ↑このブログは日経済新聞2004年12月8日付朝刊で紹介されました。 (編者・初編:2004年6月開設)

    話芸きまり文句辞典 R
  • 落語の舞台を歩く

    落語の舞台を歩く ■デジカメを持って落語の世界を歩いて行きます■ 江戸落語、当時の状況は現代ではどのように変貌しているのか? その面影が残っているのか、はたまた、全くの別の世界になっているのか、 資料をひもといて、実地検証していきます。

  • ぽっどきゃすてぃんぐ落語

    以前より「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」のオリジナルグッズについてアンケートを行ってきた結果、皆様から「手ぬぐい」の要望が非常に多かったため、先着200名限定のオリジナル手ぬぐいを製作しました。 ■商品説明 ぽっどきゃすてぃんぐ落語オリジナルグッズ第一弾は「オリジナル手ぬぐい!」伝統的な豆絞り柄に千社札風のロゴをちりばめました。和装はもちろん、カジュアルなファッションにも合わせやすい若草色のシックなデザインです。 素材は手触りのよい綿100%を使用し、職人さんが、1枚1枚手作業で染め上げる「手捺染」という手法で作っています。もちろん、安心の日製です。 ハンカチ代わりに、お風呂タオルに、もちろん落語鑑賞のおともにどうぞ! ■仕様: サイズ:約35cm x 90cm 素 材:綿100% 製造国:日 ■注意事項 ・手ぬぐいの端は、通常切りっぱなしとなります。使い始めはほつれがあり

  • タモリの新言語学 Linguistics on Tamori,or Pseudo-language

    真理というのは、笑いを通じて語るものだ    ------W・H・オーデン 僕が大学院にいた頃だから77年のことだと思う。TBSの深夜放送、「パック・イン・ミュージック」の木曜パックで珍しい芸をする人が紹介され、真夜中に下宿で笑いこけてしまった。 これが国際親善麻雀でのタモリのデビューであった。 当時、タモリ漫画家の赤塚不二夫に援助を受けているという話だった。 何でも、九州のあるホテルにピアニストの山下洋輔らが泊まり、宴会でバカ騒ぎをしていた時に、何故か当時素人だったタモリが、いつのまにか混じって踊っていた(当時、タモリは早稲田を中退してから、保険の勧誘員からボーリング場の支配人まで、あらゆる職業を転々とした)。それに気づいた一人は(坂田明らしい)、タモリに対して、訳のわからない適当な外国語で、タモリに話し掛け、タモリを試した。するとタモリは、とても流暢に外国語もどきで、反応し、一行を驚