細川紙は、昭和53(1978)年4月26日に、その漉く技術が国の重要無形文化財に指定されました。現在、比企郡小川町と秩父郡東秩父村のみでその技術が保持されています。 細川紙とは、紀州高野山麓の細川村で漉かれていた細川奉書が、江戸時代の始まりとともに、江戸の中心部にほど近いこの小川周辺に入ってきたものと言われています。 しかし、実際に小川でその細川紙が漉かれた時期については不明な部分が多く、はっきりとしたことは今でもわかっていません。 ただ、江戸時代初期の延宝7(1679)年の記述では、「小川紙」という記述があり、その後の安永6(1777)年の記述でも、細川紙はなお紀州の紙として挙げられています。 一方、元禄7(1694)年に江戸十組問屋が結成されてから、大阪の紙問屋を経由しないで大量の紙を江戸に出荷するようになっていることから、この時期に「細川紙」を漉くようになったと思われます。