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ブックマーク / elm200.hatenadiary.org (12)

  • パブリック・マン宣言 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    41歳の日人の男はいかに生きるべきか。その社会通念は、日の中でも住む地域や所属する社会階級によって異なるのかもしれない。私は、東京のいい大学を卒業したので、同級生たちはたいてい大企業や役所で働いている。多くは家族を持ち、仕事に子育てに忙しく暮らしている。かつて、同じような立場で生活していた私は、いつしか彼らと遠くかけ離れた人生を歩むようになった。 私は大学を卒業して入った都市銀行を半年で退社。1年間フリーターを経験した後は、ずっと IT 技術者としてメシをってきた。私は零細ソフトウェアハウスの技術者としてスタートしたので、当然ながら、孫請等の仕事が多かった。いわゆる下流の仕事だ。昔は、B2C のウェブサービスなんて存在しなかったから、大企業の社内システムを構築する仕事が主だった。2005年あたりに、インド系ソフトウェア会社でブリッジエンジニアのような仕事をした後、ウェブ制作業で独立。

    パブリック・マン宣言 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • ウェブデザインが苦手なプログラマーたちへ「XHTML+CSSデザイン 基本原則、これだけ。」 - elm200 のノマドで行こう!

    私はウェブデザインができないプログラマーである。以前はデザインはデザイナーさんに任せておけば良いと思っていた。だが、考えてみると、われわれは、デザインされたものしか目にすることはできないのだ。どんなに優れたアルゴリズムをプログラマーが実装しても、残念ながら私たちの目には見えない(反応速度で体感できることはあるにしても)。人もウェブサイトも見た目が9割なのである。 最近、私は「書評人」というウェブサービスを始めた。当然、私にデザイナーを雇う余裕などない。自分でデザインを制作する必要に迫られた。さて困ったどうするか。 私は、ある人気ウェブサービスを運営する友人に尋ねてみた。彼は、昔、一緒に仕事をしたことがあるプログラマーだ。特にデザインを専門的に勉強したことはないはずなのに、彼が作るサイトはどこかあかぬけている。彼に根掘り葉掘り尋ねるうちに、勧めてくれたがこれ。 XHTML&CSSデザイン

    ウェブデザインが苦手なプログラマーたちへ「XHTML+CSSデザイン 基本原則、これだけ。」 - elm200 のノマドで行こう!
  • ベンチャー企業が富を作り出す理由 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    常に手元に置いておきたい。読み返すたびに何か新しい示唆を与えてくれる。そういうは多くはない。これはそういう数少ないの一つである。 ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち 作者: ポールグレアム,Paul Graham,川合史朗出版社/メーカー: オーム社発売日: 2005/01/01メディア: 単行購入: 109人 クリック: 4,884回この商品を含むブログ (582件) を見るこのは2005年に日語版が発売された。日のまともなプログラマーで読んだことのない人はいないんじゃないかというくらい話題になり、人気を博した。驚くべきことに、それから6年経って、この変化の激しい IT について記述した部分においても、彼の文章は少しも輝きを失っていない。そこには深い洞察がちりばめられている。 著者・ポール・グレアムの経歴は面白い。コーネル大学で哲学の学位号、ハーバード大学でコン

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    tknzk
    tknzk 2011/10/24
  • Twitter 社採用面接受験記 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    1ヶ月ほどまえに、私はシリコンバレーを訪れたのだが、そのときサンフランシスコの社で Twitter の採用面接を受けてきた。結果は残念、ということだったのだが、その経緯について書いてみようと思う。 なぜ Twitter 社の面接を受けたのか。7月の終わりころ、私はシリコンバレーで働くにはどうすべきなのか、ということについて頭を悩ませていた。考えながらぼうっと Twitter のタイムラインを眺めていたのだが、Twitter が日エンジニアを求人しているという情報が飛び込んできた。おお〜、と思って軽い気持ちで職務経歴書を Twitter に送ってみたのだ。 相当数の人たちが職務経歴書を送ったはずだし、私は書類選考で落とされると高をくくっていた。ところが、数日してTwitter の人事担当者からメールがあり、電話面接をやるからいつがいいか?という。まさかの展開に私はやや慌てた。電話面接を

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  • 人生の転機 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    この秋は、はてな村の有名人たちが人生の転機を迎えているようだ。id:naoya や id:amachang が古巣を去り、id:Chikirin が高給を捨ててニートになった(はてな村では id: は Mr/Ms 相当の敬称である)。 私もまた先月、米国公認会計士(USCPA)試験に全科目合格し、会計畑の仕事に方向転換しようとしている。もっとも会計というのは私にとっては手段にすぎず、最終的には企業経営に関わる仕事に就きたいと考えている。 私は、26歳のときからずっと IT 畑の仕事をしてきた。途中、語学留学等で職歴が中断したり、職場が変わることはあっても、ずっと プログラマだった。だから、いま全く畑違いの分野に乗り出していこうとするのは、かなり勇気がいる。大学を卒業したばかりの若者が、希望と不安を持って未来の職業生活を見つめているような気分だ。 実を言うと、私は、いままでの人生仕事が心底

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  • プログラマが直面する2つの「世界」 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    プログラマというのはとてつもなく難しい仕事だ。 職業的なプログラムは、それが会社であれ、個人であれ、顧客の何らかのニーズを満たすために存在している。プログラマは、顧客の要求を満たすように、プログラムを設計・実装する。ここで注意しなければならないのは、「顧客の要求」と「プログラムの設計・実装」という全く異質な 2つの仕事を同時にこなさなければならないということだ。 顧客の要求は、社会というシステムに属し、プログラムは、技術というシステムに属する。この2つは全く似ていないし、何の関係もない。それが、「顧客要求を表現したプログラム」という一つの場で切り結ぶ。異質な2要素がぶつかり合い、プログラムコードはまさに戦場と化す。 書かなければならないプログラムの種類によって、この緊張度は異なってくる。たとえば、組み込みソフトウェアや科学技術計算などの場合は、要求自体がかなり技術的であるから、プログラムと

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  • ギークたちの耐えがたい部分最適性 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    東京でフリーランスのウェブプログラマをしていたころ、技術勉強会によく参加した。こういう勉強会に参加する人たちは、意欲も技術力も高い人たちが多かった。技術者としては、幸せな時間を過ごすことができた。 だが、疑問もあった。参加者たちの多くは、職業プログラマであったのだが、カネの話をしない。技術が最終的にどのようにビジネスに役立ち、利益を増進し、社会に寄与するのか、ということに興味をもっている人はほとんどいなかった。彼らの多くは、ただ純粋に新しく登場した技術をオモチャのように慈しんでいた。 シンガポールで Barcamp に参加したときの風景はかなり違っていた。技術的なセッションもあったが、マイクロファイナンスなど IT をいかに社会の進歩に結びつけるかについての真剣なセッションも多かった。 日の優秀な技術者たちにとって、IT はある種のオタク的消費対象であり、その社会的応用については、自分た

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  • 私がソフトウェア技術者をやめた理由 - Rails で行こう!

    昨日、 人生の転機 - Rails で行こう! の中で「ソフトウェア作りが嫌いだ」と言い切ってしまったことが引っかかっている。 私の職業生活でもっとも多くの時間を注いだのがソフトウェア作りだ。その作業に対して、実際のところ、好きとか嫌いとか一言で割り切れるはずがない。複雑な感情を持っているというのが正直なところだ。 私の職業プログラマのとしての最大の欠点は、ソースコードに対して強い美意識を持たずにいられなかったところだろう。生来の生真面目な性格が災いし、私の基準で美しいとはいえないソースコードを敵視しすぎた。 簡単な例を挙げよう。 うるう年を計算するアルゴリズムを考えてみる。うるう年とは、「4で割り切れて、かつ100で割り切れない年。ただし、400で割り切れたら、やはりうるう年」である。 def leap_year?(y) (y % 4 == 0) && ((y % 100 != 0) |

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  • 柔軟な心を持ち、謙虚に学び続けること - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    数日前、Twitter で「頭で稼ぐ時代に、汗をかくことは意味がない」と書いたところ「肉体労働者たちの仕事も社会には必要だ」という意見をいただいた。そもそも、私はホワイトカラーの仕事について述べていたのであって、肉体労働者のことは念頭においていなかった。やや面らったのだが、その後あれこれ考えてみて、思ったことを記してみる。 私は来月で40歳になる。平均寿命が80歳という時代なので、ちょうど人生の折り返し地点か。「もう半分しかないか?あと半分もあるか?」と聞かれれば「あと半分もある」という気がする。もちろん80歳まで生きられる保障はどこにもないけどね。 私が大学を出たのが23歳のとき。それから17年間いろんな仕事をしてきた。転職回数はたぶん10回以上。(たぶん、というのはもう多すぎて正確にカウントできないという意味)仕事は大体 IT 関係が多いのだが、実は肉体労働の仕事もずいぶんやった。群

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  • 就職氷河期は新しい日本の始まり - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    ちきりんによる、芸術的な域まで高められた煽り。 就職氷河期 サイコー! - Chikirinの日記 これに対するはてなブックマークの反応はすごいことになっている。こんな総タタキみたいになっているはてブは久しぶりに見た。 はてなブックマーク - 就職氷河期 サイコー! - Chikirinの日記 Twitter の方が総じて好意的である。 TOPSY - 就職氷河期 サイコー! - Chikirinの日記 ちきりんの煽り口調がむかつく、という気持ちはわからなくもない。ただ、長年のちきりんウォッチャーである私の目から見ると、今回のエントリはテンションが高すぎて、ちきりんの計画的犯行というのがミエミエなんだけどね。で、内容の方だけど、別に何も間違ったこと言ってないじゃん。その通りだよ。むしろ普通というか。材は普通だけど、その上に振りかけたタイトルと口調という香辛料が効きすぎて、みんな口から火を

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    tknzk
    tknzk 2010/03/11
  • 日本的経営が社畜を生んだ理由 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    社畜とは、会社に強い忠誠心を持ち、私生活を犠牲にして、会社での労働を第一に置くような価値観をもつ従業員を揶揄する言葉だ。「社畜論」については、日では定職を持たず、その後、オーストラリアで修士号を得て、いまはシンガポールで会社勤めをする海外ニートさんのブログが面白い。(アクセスすると音が出るので気をつけてね) 先日、私は、「異なる文化をもつ人たちと働くということ」、「残業は恥だ」という日の労働環境を批判するエントリを続けて書いた。私はかつてカナダのローカル企業で2年半くらい働いたし、その後も、韓国中国・ベトナムなどに住んで、現地の人たちの働きぶりを観察する機会を持った。 とにかく、日の職場の雰囲気や考え方は、海外の職場とは著しく異なる。しかも、北米(カナダ・アメリカ)の職場と日以外のアジア(韓国中国・インド・ベトナム)の職場の雰囲気は当然異なるものの、それでも日のそれに比べると

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    tknzk
    tknzk 2009/07/12
  • 残業は恥だ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    もし日の会社から「長時間残業」が消えたら、日人はそれだけでずっと幸せになれるのではないか。私としては、日の会社から残業が消えたら、もういちど日の会社で働いてもいい。 日と違って長時間残業がほとんどない欧米企業の働き方を見てみよう。 上司は、各々の部下に仕事を割り当て、進捗を管理する。部下は、上司に割り当てられた範囲だけの仕事をやる。自分の仕事が終われば、定時に帰るし、終わらなければ残業することになる。隣の人が残業していても、それは他人の仕事だから、関係なく早く帰ることができる。 こうした環境で誰かがずっと残業をしていたら、それは、上司がその部下の能力を正しく見積もることができなかったことを意味する。その部下は「なぜ残業をしているのか」と上司から尋ねられることになるだろう。そして、上司はその部下が定時に帰ることができるように仕事量を再配置する。 日はどうだろうか。日の場合、上司

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