志村は高校卒業間際の1968年より、ザ・ドリフターズの付き人=ボーヤとして、芸能界の世界に足を踏み入れる。その後紆余曲折を経て74年にドリフに新メンバーとして加入。76年に『8時だョ!全員集合』内で歌った「東村山音頭」がウケて以降は、ドリフの既存メンバーをしのぐ人気を獲得していく。 『全員集合』終了後も『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』など冠番組を次々とヒットさせ、70年代後半から80年代にかけての志村は間違いなく、日本で最も人気・知名度の高いコメディアンの一人だった。 同世代のたけしと異なる「キャラクター性に対する姿勢」 志村がスターになってから数年後、漫才ブームのなかで大きな人気を集め、80年代以降にビッグになったコメディアンとして、ビートたけしがいる。後年志村とたけしはテレビ番組で共演しているが、彼ら二人の個性の差異として、キャ
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